ユーリがデート……?(怒)
「ユーリ。今日は何するんだ?」
アクラ山の一件が片付き、いつものように平和な日々を過ごす。
みんなで朝食を食べながら、ティアロお兄ちゃんが私の予定を聞いてきた。
「んとね。デート」
「「はっ!!!??」」
昨日から楽しみすぎて、あまり眠れなかった。
こんな風に興奮して目が冴えるのは、遠足のとき以来だ。
──この際、中身が26歳なんて関係ない。
楽しみなものは、楽しみなのだ。
「ユーリ」
私を呼ぶ父様の声は低く、不機嫌だと見受けられた。
いつもより眉間に、深い皺が寄っている。
「デートとは、誰と行くのだ?」
ノルアお兄ちゃんとティアロお兄ちゃんが、激しく首を縦に振った。
「母様だよ」
実は昨日、母様から直々にデートに誘われた。
断る理由がなかったため、悩むことなく受けた。
普通なら貴族街へ入るだけでも、身分証の提示や手続きが必要らしい。
でも、テロイ家には関係ない。
なぜなら、テロイ家だから。
絶対的力を持つテロイ家はフリーパスで、好きなときに好きな所に行ける。
改めて考えると、とんでもない家だ。
主人公の家族となる家だし、特例があったほうが都合が良いのだろう。
どこに連れて行ってもらえるのか。
そんなことを考えていると胸が踊った。
「そ、そうか。レーゼルと。しかし……」
父様はなぜか渋い顔をしている。
そうか!
父様は母様を愛している。
それなのに、最近は仕事が忙しくてデートに行けていない。
休日は家族で過ごすことがほとんど。
だから、拗ねているのか。
でも、ごめんね。父様。
このデートは譲ってあげられない。貴族街への好奇心が抑えられないんだ。
「貴族街ってことは、もしかして」
ノルアお兄ちゃんが何かに気付いたように声を上げた。
行き先に心当たりでもあるのだろうか?
「ノルア」
お父様が低い声で遮った。
「ユーリが楽しみにしているんだ。余計なことは言うな」
「そうですね」
私だけが何もわかっていない状況。
いいけどね、別に。
母様とのデート。楽しくないわけがない。
朝食を食べ終えて、母様とお揃いの緑色の服に着替える。
花の髪飾りを最後に付けて、準備万端。
今日は父様達と一緒に屋敷を出た。
貴族街は王宮と学園と真逆なので、門を出たらお別れ。
「ユーリ。今度は兄ちゃんとデートしような」
「兄である私が先に決まっているだろ」
「何でだよ!!」
「次の休みは父様と出掛けてくれるか?」
一斉にお誘いをされても……。
誰を優先するべきか。
最初に誘ってくれたティアロお兄ちゃんは、課題が終わっていないのに出掛けたら困るだろうし。
ノルアお兄ちゃんは真面目だからか、課題なんてすぐに終わらせる。休息も大事ではあるけど……。
一家の大黒柱である父様を最後にするのは気が引ける。
──うーん……。
私が悩んでいると、三人がじっとこちらを見ている。
まるで答えを待っているようだ。
そんなに見られたら、余計に決められないよ。
「ユーリはこれから、私とデートをするのよ?」
三人の視線から守るように、母様が私を抱き上げた。
「それなのに、次の約束をするなんて無粋じゃないかしら」
にっこりと微笑む母様。
笑っているのに、なぜだろう。背中が少しだけ寒くなった。
さっきまでの勢いはどこへいったのか。
急に黙り込んだ。
──なんて強いんだ、母様。
「ふふ。わかってくれたならいいのよ」
母様は満足そうに頷くと、私を抱いたまま馬車へ向かって歩き出した。
「それじゃあ、行ってきます」
「楽しんでおいで」
「うん!」
母様の腕の中から、大きく手を振った。
馬車に乗り込んで、窓から顔を出す。
「行ってきます」
馬車が動き出す。ゆっくりと。
向かいに座った母様は、嬉しそうに私を見ていた。
「どこに行くか、まだ内緒?」
「ええ。着いてからのお楽しみよ」
そう言って、私の髪をそっと撫でた。
「母様も楽しみ?」
「ええ、もちろん。ユーリとのデートですもの」
はう……!!なんて嬉しいことを言ってくれるんだろう。
胸の奥がぽかぽかと温かくなる。
窓の景色が変わっていく。
やがて、見慣れないほど華やかな街並みが目に入ってきた。
貴族街への入り口。
門番は家紋を見るなり、敬礼をして見送ってくれる。
大きな門をくぐった。
その先にあったのは……。
住む世界が違う。
平民街では、食料や日用品を扱う店が多かった。
パン屋に八百屋、衣服を売る店。
どれも生活に必要なものばかりだ。
けれど、ここは違う。
貴族の生活を満たすためのお店が並ぶ。
窓の外を眺めていると、高級菓子店、香水店、高級家具、魔道具専門店、貴族向けの文具、宝飾品、珍しい輸入品。
などなど。色んなお店が目につく。
他にも多くの品物が並んでいるのに、そのどれもに値段がつけられていない。
前世の感覚で言えば、値札のないブランドショップに入って、店員さんに「これください」と言うようなものだ。
一体いくら請求されるのか。
考えるだけで胃が痛くなる。
──あの髪飾りなんて、一体いくらするんだろう。
店先に飾られているのは、細かな細工が施された金色の髪飾り。中央には小さな宝石がいくつも埋め込まれている。
私の感覚では、どう考えても気軽に買える値段ではない。
10万カリンあっても足りないかも。
道も広くて何台もの馬車が行き交っている。
その両脇には石畳の歩道まで整えられていて、平民街とは比べものにならないほど整然としていた。
格差を感じるな。
平民街も馬車は通れるけど、すれ違えるほどの広さはない。
歩道もなかったし。
あ、あの店のチョコ。前にエルがお見舞いに持ってきてくれたものだ。
貴族街の店だったのか。
高級なチョコだったし、てっきり王都でも有名な店で買ったものだとばかり思っていた。
……いや、貴族街にある時点で、充分高級店だよね。
街という言葉に騙されてはいけない。
平民街と同じ「街」という言葉で呼ばれていても、全然違う。
ここは、貴族が買い物をする街なのだから。
「ユーリ。着いたわ」
馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて静かに止まった。
窓から外を覗くと、そこには大きな建物が建っていた。
白い石造りの外壁。
正面には何本もの柱が並び、その上には精巧な彫刻が施されている。
大きな扉の前には、すでに何台もの馬車が止まっていた。
降りてくる人達は、みんな綺麗な服を着ている。
男性は仕立ての良さそうな礼服。女性は色鮮やかなドレス。
その中でも一際目を引くのは、建物の正面に掲げられた大きな看板だった。
「オペラ劇場?」
「ええ。今日は観劇するのよ」
前世でも今世でも、オペラを観るのは初めてだ。
オペラの知識なんて皆無。素人が足を踏み入れることさえ、躊躇う。
かろうじて知っていることといえば、怪人が様々なトリックを用いて事件を起こす場所。
「ユーリ。手を繋ぎましょう」
こうも人が多いと、はぐれる可能性がある。
迷子にならないためにも、しっかりと手を繋いでおかなければ。
差し出された母様の手を、ギュッと掴む。
周りの人は羨望の眼差しを母様に向けている。
身に付けている宝石よりも、キラキラと輝いていた。
「レーゼル様よ」
「ということは、今日決まるのね」
「やっぱり彼女かしら」
聞こえてくる会話から、羨望だけでなく、何かしらの期待が込められていることもわかる。
母様に連れられて、劇場の中へと入る。
入り口を抜けると、そこには広々としたロビーが広がっていた。
天井から吊り下がる大きなシャンデリア。
壁を彩る金色の装飾。
床には一面、艶のある石が敷き詰められている。
多くの貴族達が集まっていて、談笑しながら開演を待っていた。
当たり前だけど、ここにいる人はみんな、オペラを観に来ているんだよね。
きょろきょろと周囲を見回していると、母様が私の手を引いた。
「こっちよ」
どうやら私達は、普通の観客とは進む方向が違うらしい。
人の多いロビーを抜け、少し離れた廊下へ進んでいく。
そこには、さっきまでいた場所とは違って人の姿がほとんどない。
静かな廊下を歩いていると、やがて一人の係員が待っていた。
「お待ちしておりました。テロイ公爵夫人」
男性は恭しく頭を下げた。
「ありがとう」
母様は慣れた様子で頷いた。
廊下の先にある扉を開けてもらう。
「わぁ……!!」
小さな部屋。
正面は舞台がよく見えるように大きく開かれていて、そこには手すりがある。
中にはゆったりとした椅子と、小さなテーブルまで用意されていた。
──ボックス席だ!!
まさに貴族の特等席。
小さなテーブルの上には、紅茶と色とりどりのお菓子まで用意されていた。
うーん。これは難しい問題だ。
映画館のように食べながら観劇するのか。それとも。開演前や休憩中に少しずつつまむのか。
ボックス席は周囲から仕切られているため、他の観客の目を気にする必要はなさそうだ。
誰にも見られないとはいえ、貴族という立場を考えたら、求められるのは優雅さ。
つまり!食べながら観劇はしない。
謎が解けてスッキリした。
照明が落ちると、幕が上がる。
舞台の上では、見たこともないほど華やかな衣装を纏った役者達が歌い始めた。
目が離せない。
歌声が劇場いっぱいに響き渡り、舞台の上では物語が進んでいく。
気が付けば、私はすっかり物語に夢中になっていた。
時間の流れを気にする暇はない。
ただただ、次の展開に胸を踊らせる。
やがて最後の曲が終わり、幕が降りた。
劇場中から大きな拍手が沸き起こる。
私も夢中になって手を叩いた。
「面白かった……!!」
思わず呟くと、隣に座っていた母様が嬉しそうに微笑んだ。
「気に入ってくれて良かったわ」
母様は立ち上がって、私に手を差し出す。
「行きましょう」
どこに?
そう思ったけれど、聞くことは出来なかった。
今はまだ、オペラの余韻に浸っていたい。
胸の奥がふわふわして、何もかもが楽しく感じる。
だから、些細な疑問なんてどうでもいい。
私は差し出された母様の手を握った。
「うん!!」
来たときと同じように、人の少ない廊下を歩いていく。
劇場の奥の奥へと進んでいる。
しばらくすると、廊下の途中に警備員らしき人が二人立っていた。
私達の姿を見るなり、深々と頭を下げる。
止められることなく、更に進むと幾つかの扉が並んでいた。
その中の一つの前で、母様が足を止める。
ノックをすると、すぐに慌てた様子で扉が開かれた。
扉の向こうにいたのは、舞台に立っていた女性の役者達。
──舞台に立っていた人達は、みんな同じくらいの年齢なのかな。
まだ若い。15~18歳。
ここって楽屋だよね。
どうして母様は、わざわざ足を運んだんだろう。
「今日の舞台も、すごく良かったわ」
「ありがとうございます。公爵夫人」
女性達は一斉に頭を下げる。
その表情には、緊張が滲んでいた。
ただ褒めに来ただけなら、こんなに緊張するものなのかな。
母様はそんな彼女達を見回したあと、私の肩にそっと手を置いた。
「ユーリ。この中で支援するとしたら、誰がいい?」
瞬間。楽屋内の空気が変わった。
支援。
貴族女性達の会話。
なるほど。そういうことか。
これはただの観劇ではない。
有望な役者を見つけて、貴族が後ろ盾になる。
つまり、母様はこの中から自分が支援する相手を選ぼうとしているのだ。
この世界では、それもまた芸術を支える大切な仕組みなのだろう。
そういえば、表の看板にも「若手役者が集う劇場」って書いてあったな。
となると、ここにいるのはプロとして活動し始めたばかりの、いわゆる新人役者と考えるのが妥当か。
……で。
それならどうして私に聞くのだろうか?
支援する相手は母様が決めるんじゃ……。
私は素人で、煌びやかな世界にただただ感動していただけ。
母様は楽しそうに微笑んでいるだけ。
どうやら、本当に私に選ばせるつもりらしい。
もう一度、楽屋にいる女性達を見回した。
オペラを観たのは今日が初めて。
歌の上手さなんて、私に判断出来るわけがない。
というか、みんな上手かった。心の中では拍手を送りっぱなし。
専門的なことは何もわからない。
それでも。たった一つだけわかることがある。
「お姉さんがいい」
私が指差したのは、一人の女性だった。
幕が上がって、最初に歌った人。
それ以降、出番はなかったけど強く印象に残っている。
舞台に立った彼女が歌ったのは、ほんの短い一曲だった。
なのに、その声を聞いた瞬間。
暗い森が見えた。木々の隙間から差し込む月明かり。冷たい夜風。
そして、その森を一人で歩く少女の姿。
そんな景色が頭の中に浮かんできた。
初めて観るオペラに引き込まれたのは、彼女の歌があったからだ。
私が彼女を選んだことにより、別の女性は驚きを隠せていなかった。
多分、母様が支援すると最有力候補だったのだろう。
その女性、名前はレーナ。彼女は舞台の上でも一際目立っていた。
歌声は力強く、表情も豊かだった。
観客を惹きつける華やかさもある。
私でも、レーナが人気なのだろうとわかるくらいだ。
私が選んだ彼女は、まだ入りたてで出演者名簿に名前は載っていない。
正式な出演者として扱われていないのだ。
舞台に立っていたのも、ほんの一曲だけ。
だから、名前すら知られていない。完全な無名役者。
それほどまでに、二人は対極。
誰もが母様が支援するのは、レーナだと確信していた。
でも……。
「お姉さんは歌うのが嫌い?」
純粋な疑問だった。
多くの人の目を引きつける圧倒的存在感。
役者の中で、一番の実力者なのだろう。
きっと、この舞台を観に来た人達の中には、レーナを目当てに足を運んだ人もいる。
なのに……。歌っているときのレーナは、少しも楽しそうに見えなかった。
予想外の質問だったのか、レーナは目を丸くした。
何も言わない。
自分自身でも驚いているかのように、そこには口元を手で隠す。
舞台の上で見せた堂々した姿はなく、別人のようにも見える。
歌うことが好きなら、どうしてそんな顔をするのだろう。
歌が嫌いなら、どうしてあんなにも綺麗な声で歌えるのだろう。
私には、その理由がわからなかった。
「私は……」
口を開いた。けど、その先は言わない。
私を見ない視線。どこか遠くを見つめている。
まるで何かに、気付いてしまったかのように。
レーナは現実を受け止めることを、恐れていた。
「ユーリ。今日のところは、帰りましょう」
母様が優しく私の手を取った。
「また明日、お邪魔してもいいかしら?」
「は、はい!」
「お待ちしております」
彼女達は一斉に頭を下げた。
誰を支援するかは明日決まる。
──母様は誰を選ぶのだろうか?




