ずいずいずっころばし
そう、黒兵衛は孤独を嫌っていた。孤独を嫌っている現実と向き合うのが嫌で、女を抱き、自分は一人じゃないと錯覚していた。
自覚したのは、善継と仲良くなり、お春も交えて騒ぐ時だ。ふと自分は孤独じゃないと安堵して、嬉しさの余り酒を飲みすぎたりする。
二人と酒を飲み合う幸福は、この木材の家に住むぐらい素晴らしい幸福に思えた。否、二人と呑み合うほうが楽しい。
幸福が一瞬でころころ変わる、不思議な屋敷。黒兵衛はじっと石庭を見つめた。石庭にすら暗号がありそうで、目を凝らす。だが流石に細かいところは見えない。
孤独を嫌う黒兵衛は、かといって、後妻を娶る気にはなれず、見合い話も断り続けてきた。
否、見合いの場合は、断られ続けてきた――のかもしれないが。
この頃の見合いは、ちらりと歩いている見合い相手を物陰から一回だけ見やり、結婚したいと思ったら、扇子を渡し、夕方に婚礼していた。
男共は、たいていは上手くいっていた。しかして、黒兵衛の扇子は未だに手の内。後妻は当分は娶らないつもりだ。
(ずいずい、ずっころばし、ごまみそ、ずい。茶壺に追われて、どっぴんしゃん、ぬけたら、どんどこしょ。俵の鼠が米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう。おっとさんが呼んでも、おっかさんが呼んでも、行きっこなしよ。井戸のまわりで、お茶碗かいたの、だぁれ……)
歌が、唐突に、心を過ぎった。大名行列に関しての歌だ。子供らが指遊びで歌う歌なのに、黒兵衛には怖い歌に聞こえる。
妻の体験を思い出せばこそ、非常に恐ろしい歌で、この歌を聞く度に鳥肌が立つ。
帰ったら、仏さんになっていた妻。草原の豊かな緑の中で、簾を被せられていた。
草原は、さやさやと綺麗に靡いているのに、妻の姿が残酷な現実を映していた。さやさやと草原が靡く度に、幻想的な世界、そう夢みたいだった。
風が吹くと、妻を覆っていた木っ端などが剥がれ、目が涙で覆われた。手が熱い、松明が早くしろと命じている。
人間の感情はそう簡単じゃねぇんだ! と、松明に怒鳴りたいが、手は気づけば下におろしていた。そう、妻に火をはなった。
黒兵衛の手で、妻に松明で火を点けるのに、どれほどの勇気が要っただろう。
うおんうおんと泣いた、男泣きなどかっこつける必要も、かっこつける力も無くしていた。
途中で膝が折れたが、もう一度どうにか立ち上がった。涙は枯れつくし、無表情であった。
無感情で草原から移動させ、野焼きした。骨の少しは、いつまでも、お守りの中だ。
「そうか。それで、大名を狙って、盗みに入っているのかな」
「――大名を狙ってるのは、単に盗みやすいからだ」
「いいや、違うね。心の中では、大名に復讐したい気持ちがあるはずだよ」
一橋卿は遠くを見やり、穏やかに笑った。何十年もの間、何十人との人と過ごした眼が黒兵衛を映し込んだ。不思議な男であった。
怖いかと思えば優しかったり、優しいかと思ったら馬鹿にしたり、自分より若い小僧に何が判るのだ。
「余だったら、復讐したいと思う。盗人ごときが、思わないわけがない」
「盗人ごときだから、復讐までに頭が届かないんです。命が大事、浅ましいだろ」
黒兵衛が善継の真似して捻くれた言葉を向けると、一橋卿は眼を見開き、それから笑った。
善継流の冗句は、高貴な人には受けるみたいだ。それとも、この一橋卿だけが変わり者なのか。
夜の風は、もうそろそろ寒い頃合いだ。風邪を引くんじゃないかと、一橋卿を見て思った。
黒兵衛は重ね着しているし、顔も目元以外は隠しているから、温かいままだが。
重ね着してる黒兵衛でさえ、今は寒いと感じるのに、一橋卿は何も感じず、石を拾い、石庭にぽぉんと高く飛ばして投げつけた。一橋卿は心地よさそうな目を伏せ、苦笑とも微笑ともとれぬ笑みをしている。
黒兵衛の言葉は単純明快すぎて、いっそ気持ちよい、と思ったのかも知れぬ。
もしくは、馬鹿にされたか。馬鹿にされるために、口に出したようなものなのだが、気に入られてしまったようだった。
「お行き。もうすぐ、人が来る。また、おいで」
「変な奴だな、あんた。じゃあな」
大名屋敷を出たら、縄梯子で塀を登り、地面に鉤付きを刺して、下りる。今更のように、どーっと冷や汗が出てきた。
冷や汗が止めどもなく溢れるように出てきて、蟀谷から喉から伝う伝う。
今、命があるだけでも不思議なくらいだ。相手は、あの一橋家だというのに。
それでも、また一橋卿に会ってみたいと思うことこそ、「不思議」である。
どうしてこうも不思議な人物ばかりに出会うのか、と人生を振り返った。春という死に神に、死に神が過保護にしてる呪い子善継、泥棒と笑って会話した一橋家。
まるで、人生が「生き急げ」と急かしているようである、これだけ面白い人物に出会うと。




