大馬鹿者
「何でそうやって、おめぇは間が抜けたことしか言えねぇんだよ」
頭を殴られておいて、こんな日もあるで済まされたら、どうにも気が抜ける。
それまで神経を張りつめて捜していたというのに。
善継に何かあっては大変だ、と捜していたのに、善継はあはは、と笑っている。
「流石に今回はちょっと焦りましたし、怒りました」
「善継、火事の話を覚えているか?」
黒兵衛の表情が、難しげで、口調がやや籠もっている。
この屋敷からはどうにも胡麻油の匂いばかりがする。どこかに胡麻油を大量に隠しているのだろう。
黒兵衛の言葉にぴんと来て、善継は苦笑して済ませた。
善継は火事の犯人があの親子だと悟っていながら、見逃してやったのだ。
睨まれれば、八割の可能性で死ぬ。それはそれで恐怖だが、二割で生きることができるのだ。
どうなるかは自分次第だ。
生き延びる可能性だってあるが、自分の手で、危害を加えたくなったのだ。
生きてると実感すればするほど。
あんな馬鹿らしい親子に自分の手を汚したくない。
もしも呪いが本当に効くというのなら、その力を今回ばかりは借りたかった。
――呪いの力を疑っているわけではないのだが。
「あれほど、許せないって顔していたのに」
後ろから春がやってきて、善継の前に出ると不安そうな表情になった。血が善継のこめかみを伝うと、泣きかける。
泣きそうな春を見て、善継は春を抱きしめた。「大丈夫ですよ」と、あやすように務めて優しい声を掛ける。
「何にせよ、助かりました。有難う、黒さん、お春」
善継が素直に礼を告げるなんて希有で、春の眼は、まじまじと見開いてる。涙をぼろぼろ零しながら。
黒兵衛は黒兵衛で、ぎょっとして、それから、胡散臭いものを見るような目を向けている。
「何ですか、そんなに御礼の言葉は似合わないですか? これでも、黒さんやお春には、日頃から感謝してるんですよ」
善継にとって黒兵衛の存在は意外性であったが、今にして思うと、いても不思議ではない感覚がするから、不思議だ。
善継の胸中で、不思議と溶け込んでいる。警戒心の高い善継が、黒兵衛には溶け込んでいる。
それもこれも、黒という字の所為だろうか。黒は全てを真っ黒に染め上げて、色に交じるから。黒い世界――そう、夜に近しい者という名前であるからかもしれない。
「日頃? 益々、胡散臭いぜ。おめぇ、さては善継の偽物だな」
黒兵衛が髪の毛をわしゃわしゃと混ぜっ返すように撫でると、善継は大笑いし、黒兵衛の背中を叩いた。
「偽物だったら、どうするんです? 本物の善継は、もうすでに死んでいたら?」
黒兵衛が殴ろうとして、やめた。
善継はてっきり殴られると思ったから頭を庇ったところで気づいた。
自分は怪我人だ、重傷だ。だから、殴らないでおいてくれた。
否、そうでもしないと、黒兵衛の仕業に思われるかもしれないからだ、町民に。
善継は何故殴ろうとしたのか不思議そうだ。
だが口にした冗句の下品さに気づけば恥ずかしくなる。
「善継、いいか。冗談でも女の前で、死んだらどうするだなんて、みっともねぇこと聞くんじゃねぇや」
黒兵衛の真剣な言葉に、黒兵衛の妻の話を思い出す。
やや反省して気恥ずかしくなり、善継は「すみません」と口にした。
それから、お春を見やる。そこで、お春の顔つきが不安げなままなのに気付くと、善継は反省した。
「すみません。ちょっと、気持ちが高揚してるみたいです。だって、黒さんまで捜してくれるとは、ついぞ思わなかったので」
「俺も、舐められたもんだなぁ」
「だって、あなた様は――」
善継の言葉を分捕って、黒兵衛は立ち去っていく。
「碌でもない奴、だろ」
肩を怒らせ去っていく様子に、善継は首をかしげた。
「どうして自分のことでもないのに、あんなに怒ってるんでしょう」
「今回ばかりは解らないあんたが馬鹿だよ!」
春に張り手され、善継は、ぼんやりしていた意識が途絶えかけて、春が「やばい!」と慌てて医者を呼びに行き、何とか命は取り留めた。
あれほど痛い思いをするなら、やっぱり死ぬとかは駄目だと善継は苦笑した。




