言ったよな?
「おい。今、なんて言った?」
ギリっと奥歯をかみ締めて、聞きなおす。
聞き間違いであることを祈った。
しかし、それは聞き間違いではない。
黒花は、はっきりと、
「気持ち悪い」
そう、言い直した。
キレタ。
駿平の中の、なにかがぶっつりと切れた。
一瞬で脳みそが沸騰し、感情だけが暴走する。
「コロスゾ?」
あと数センチで鼻が当たる距離まで近付いて睨みつける。
「ちょっ! 駿平!」
いろはが慌てて止めに入ってくるが、今の駿平にとっては邪魔でしかない。
「うっせえよ!」
腕にしがみついてくるいろはを吹き飛ばす。
「黒花、謝って! 駿平相手にそれはダメだよ!」
「黙ってろ!」
地面に尻餅をつきながらも必死に仲介しようとするいろはを一括。
今更謝ったところで、その言葉が消えるわけじゃない。
「黒花、俺は言ったよな? 誰もが認知所になる可能性があって、誰もが歳を取る。誰もが決してそうなりたくてなってるわけじゃないって、そう言ったよな?」
黒花は表情こそ変わらないが、肩が震えている。
だけど、そんなこと知ったことではない。
「気持ち悪いだって? ふざけんじゃねえよ!」
ビクリと、黒花の身体が大きく揺れた。
「そうだよ。そいつらの言うように、確かに悪くなるところだって沢山ある。眼だって悪くなるし、耳も遠くなる。病気によっては言葉を喋ることだってできなくなるし、立ち上がることすらままならなくなることだってある。一人でご飯を食べることも、一人でトイレに行くことができなくなることだって、そこら中にあることだ。だけどな、だからなんだってんだよ。そうだからって、お前は気持ち悪いって言って近付かないのか? 避けるのか?」
息を大きく吸って、もう一度言う。ふざけるな、と。
「できなくなることだって多いさ。本人たちでさえ、できなくなっていくことを苦しんでる。嫌だと思ってる。でもな、できることだってまだ沢山あるんだよ」
黒花の肩をつかんで、叫ぶ。
瀬名や、グループホームにいる利用者、特別養護老人ホームでたまに見かける利用者、デイサービスで楽しそうにしている利用者、その全員を思い浮かべて、心の底から叫ぶ。
「立ち上がることができなくなったって、手が動けば車イスを自分で動かせる。パズルや読書、新聞を読むことだってできる。手が動かなくても、足がしっかりしていれば、立って歩くことができる。皆で散歩に行くことができる。自分でご飯を食べれなくても、喋ることができるなら、楽しく会話することができる。誰かを楽しませることができる。記憶力が損なわれても、身体が元気なら、その場その場で楽しく生きていくことができる。立って歩くことも、手が上手く動かなくても、眼と耳がしっかりしていれば、ラジオやテレビを見て楽しむことだってできる。参加できなくても、皆に混じって笑い合うことはできる」
思い出すと、涙が出てくる。
今を諦めて、なにもしようとしなくなる利用者だって中にはいる。家族の都合で、入りたくもない施設に入れられた利用者だっている。五十代、六十代で病を発症してしまい、二十年以上施設で暮らしている人がいることも、駿平は知っている。
それでも、今を生きている一人の人間だということには変わりがないのだ。
もう一度自分の足で立ちたいと、頑張ってリハビリをしている利用者だっているし、これ以上病気が進行しないよう、日常的に手や足の運動を繰り返している利用者もいる。もうどうしようもないと宣告された人でも、新しい楽しみを見つけて笑顔で毎日を暮らしている利用者だっている。
「黒花は、そんな風に考えないのか? どんどん悪くなっていくところばかりを見て、まだできるところ、可能なところを全部否定する。悪くなっていくことを気持ち悪いと言い切って、関わろうとしない。避け続ける。黒花は、暗い部分しか、考えないのか? 悪くなっていくことを気持ち悪いと言って避けていたら、じゃあ自分が歳をとってどんどんできなくなることが多くなったらどうするんだよ? まだできることはあるけれど、それでも、やっぱり誰かに助けてもらわないといけないところは出てくる。そういう時、元気な俺たちが支えるべきじゃないのか?
ただ気持ち悪いって言って避けるのは簡単だよ。でも、そこで思考を止めるなよ。その気持ち悪いことが、自分にだって降りかかるかもしれない。そう考えろよ。……頼むから、気持ち悪いとか、言わないでくれ」
強引だろうが、無理矢理だろうが、構わなかった。
気持ち悪いなどという言葉が撤回されるのなら、それで良かった。
黒花に嫌われることになろうと、それだけは、間違いだと認めて欲しかった。
気持ち悪いという言葉は、瀬名へ向けられたものになるのだ。




