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一枚足りない

「はーりーまーさーまー」


屋敷の裏手に、お菊の声が響く。


「どこですかぁー?」


その妙に優しい声を聞いた瞬間、蔵の片隅に隠れていた播磨の身体がびくりと震えた。


『怖い怖い怖い怖い!』


播磨は膝を抱え、物陰で息を殺していた。


『絶対に怒ってる! 何でばれた!?』


ざっ、ざっ、と足音が近づいてくる。


一歩。


また一歩。


播磨は口元を押さえ、必死に息を潜めた。


やがて足音が蔵の前で止まる。


ギィィ……。


重い扉が、不気味な音を立てながらゆっくりと開いた。


差し込んだ光の中に、お菊の姿が浮かび上がる。


「こんなところにおられたんですか? ハリマさま」


「……」


播磨は恐る恐る顔を上げた。


『まずいまずいまずいまずい!』


お菊は満面の笑みを浮かべていた。


『めちゃくちゃ怒ってる!』


「どうしたのです?」


お菊は首を傾げ、猫撫で声で尋ねた。


「随分と顔色が悪いようですが……」


その声があまりにも優しかったため、播磨の恐怖は最高潮に達した。


次の瞬間――


ガバッ!


「すみませんでした!」


播磨は、その場で見事な土下座を披露した。


「何を謝っているのですか? ハリマさま」


暗がりの中、お菊の目が怪しく光っているように見える。


「え、ええとですね……じ、実は……」


播磨は土下座したまま、恐る恐る蔵の奥を指差した。


そこには、蓋を開けられた木箱が置かれていた。


「……やっぱり」


お菊が深いため息をつく。


「やっぱりって、どうして箱を開けたことが分かったんだ!?」


「まあ、ハリマさまの考えていることなんて、手に取るように分かりますから」


お菊は播磨の声色を真似るように、芝居がかった口調で続けた。


「『お菊が出かけている今が好機だ! しかし、ほかの者に見られるのもまずい。そうだ、蔵の中なら誰にも気づかれまい! ヒッヒッヒッ』と考えたのでしょう?」


「お前はエスパーか!」


播磨は勢いよく顔を上げた。


「それに、私は『ヒッヒッヒッ』なんて笑わない!」


「で?」


「はい?」


「ほかに何かないのですか?」


お菊は笑顔のまま手を差し出した。


「気の利いた言い訳とか」


「言い訳って……」


播磨は不満そうに口を尖らせたが、やがて表情を引き締めた。


「いや。本当に、今朝方から箱の中で妙な音がしていたんだ」


「音ですか?」


「ああ。コトコト、と」


「それで気になって、箱を開けたと?」


「……はい」


「それで、箱の中には何が?」


播磨は答えなかった。


その顔から、先ほどまでの情けなさが消えている。


「……足りない」


「はい?」


「皿が一枚、足りないんだ」


お菊の笑顔が消えた。


「どういうことですか?」


「私が聞きたい!」


播磨は立ち上がり、開いた木箱の前へ歩み寄る。


「昨日、露店で買った時には、確かに十枚あったんだ」


木箱の中には、美しい模様の描かれた皿が並んでいる。


だが、どう数えても九枚しかない。


「その目をやめろ! 本当なんだよ!」


疑うように木箱を見つめるお菊へ、播磨は必死に訴えた。


「それに、そのあとすぐ、お前が箱を封じただろう?」


「……そうですね」


お菊はゆっくりと頷いた。


「その後、触ったのはハリマさまだけ」


「ああ」


「なら、話は簡単です」


お菊は木箱から一歩離れる。


「呪いが動き出しました」


「え?」


「私、言いましたよね。呪われていると」


「……はい」


播磨は素直に頷いた。


「十枚あると確認した時点で、呪いが始まった……?」


お菊は顎へ手を添え、考え込む。


「いえ、違う。買った時には、もう……」


「そ、そんな……」


「私としたことが迂闊でした。ハリマさまを一人で外出させるなんて」


お菊は悔しそうに首を振った。


「こんなことになるなら、首に紐をつけて庭先につないでおくべきでした」


「私は犬か!」


「それで、ポチ。ほかに何か変わったことは?」


「ポチって言うな!」


播磨は声を荒らげたが、お菊はまるで気にしていない。


「ほかには何もない。ただ、どうして呪いだと断定できるんだ?」


「私が、ハリマさまが箱を開けたと気づいた理由にも関係するのですが――」


お菊は、薬種問屋で起きた出来事を播磨へ話した。


店主の不自然な態度。


身体の傷を心配されたこと。


そして、播磨が自分を折檻しているという、身に覚えのない噂。


すべてを聞き終えた播磨は、しばらく黙り込んだ。


「……荒唐無稽すぎないか?」


「ええ。私もそう思います」


「薬屋の主人の勘違いということもある」


「その可能性もあります。ただ、あの様子は普通ではありませんでした」


お菊は真剣な顔で続ける。


「本気で私を心配していたんです」


「……」


「偶然だとしても、それなら誰がその噂を流したのでしょう?」


播磨は腕を組み、木箱を睨んだ。


「そもそも、この絵皿の呪いとは何なんだ?」


「分かりません。ただ、呪物であることだけは確かです」


「……」


「……」


二人は並んで木箱を見つめた。


しばらくして、播磨が恐る恐る口を開く。


「……埋めちゃう?」


「そんな無責任なこと――」


「団子二本でどうだ?」


お菊の言葉が止まった。


「……」


「……」


「三本で手を打ちましょう」


こうして二人は、十枚絵皿を埋めるため、人気のない野原へ向かうことになった。

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