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時の灯の旅路  作者: 謎村ノン


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第二章 黒い羽根の鳥は、乗り物が嫌い

 その日のうちに町を発つつもりはなかった。

 本来であれば、市をひととおり見回り、記録院の仮宿へ戻り、怪しげな品の報告書をまとめ、翌朝にでも近隣の神殿跡や旧家を訪ねる――そういう、いつも通りの手順になるはずである。

 しかし、膝の上に光る精霊を抱えている時点で、いつも通りにいく訳がなかった。

 私は、路地を出て、人の少ない裏通りを選びながら、記録院が借りている宿へ向かった。通りの石畳は昼の熱をまだ残しており、古い家々の壁には洗濯物の影が揺れている。

 肩の上の黒いカラスは、道すがら、やけに偉そうな顔で左右を見回していた。

「ずいぶん、堂々としているな」

「へい?」

「隠れる気があるのか、と聞いている」

「あっしァ、鳥でさ。堂々としてて、悪い理由がござんすか?」

「喋る鳥が堂々と町中を歩くのは、目立つんだよ。悪い意味で」

「人間さんてのは、細けえことを気にしすぎで」

 そう言って、カンタロウは羽繕いを始めた。

 こいつには、どうにも調子が狂う。

 膝の上――では歩きにくいので、今は胸元で包んだ外套の内側に収まっている小さな精霊は、私の服の折り目に身を寄せてじっとしていた。

 光は、先ほどより落ち着いているが、完全に安定したとは言い難かった。ときどき、風もないのに輪郭が揺らぐ。

 私は、歩きながら、何度か彼女の様子を確かめた。

「寒いか?」

 問いかけると、精霊は顔を上げ、首を横に振る。

「苦しい?」

 今度は少し迷ってから、また首を振った。

 声を出すのは、まだ辛いようだ。

 しかし、存在そのものが消えかけているような不穏さはなかった。

 少なくとも、箱の中にいた時よりはましだ。おそらく、あの箱の術式は、彼女のルグを使って保たれていたのだ。

 外にいれば、周囲のルグを吸収できるから、回復はしていくだろう。

「へい、旦那」

 肩の上で、カンタロウが言った。

「さっきから、えらく気ィ遣ってやすね」

「弱っているものを、放っておけないだけさ」

「ふうん」

「何だ、その顔は」

「いやいや。別に。人間さんのそういうとこは、まあ、嫌いじゃござんせんよ」

 言い方が、いちいち気になる。

 私は、返事をせず、宿の裏口から中へ入った。

 巡礼市の時期だけ記録院が借りるこの宿は、表通りの華やかな旅籠ではなく、どちらかといえば、商人や下役向けの地味な建物である。部屋も狭いが、その代わりに、静かで、干渉も少ない。

 主人には「少し休む」とだけ告げ、二階の小部屋へ上がった。

 机、寝台、水差し、衣装箱――他には何もない、質素な部屋だ。

 私は、戸を閉め、外套の内側から精霊をそっと取り出した。

 彼女は、白い灯のように揺れながら、机の上に置いた布の上へ降りた。

 するとカンタロウが、待ってましたとばかりに窓枠へ飛び移った。

「へえ。なかなか悪くねえ部屋で」

「勝手にくつろぐな」

「旦那、まずは、飯じゃござんせんか?」

「お前のか」

「もちろん、あっしのもで」

 私は、額に手を当てた。

「いつからお前を養う話になった」

「だって、同行するんでしょ?」

「決めていない」

「ほほう」

 カンタロウは片目を細める。

「じゃあ、旦那ァ、この小っこい嬢ちゃんを抱えて、ひとりでディフィネ山まで行くおつもりで?」

 私は、黙った。

 言われてみれば、その通りである。

 そもそも、私は、戦いに向いた能力は持っていない。

 記録院の者として、索敵の術と簡単な結界、それに古語の解読や封じの見分けなら多少はできるが、剣を振るえるわけでも、火球を飛ばせるわけでもない。

 ……まして、ディフィネ山だ。

 神代のルグが濃く残り、近年でも行方不明者の噂が絶えない場所でもある。

 一人で行くには、不安が残る。

 そこへきて、このカラスは、いちいち腹立たしいが、妙な勘の良さだけは、本物らしい。

「……腹が減っているのか?」

「へい」

「何を食う」

「肉がいいですな」

「贅沢だな」

「鳥は、意外と燃費が悪いんで」

 私は、溜め息をつき、階下へ降りて、干し肉とパン、それに水を借りてきた。ついでに湯も頼み、小皿に入れて部屋へ持ち帰る。

 カンタロウは早速、干し肉を嘴で引っ張り始めた。

「おい、全部食うな」

「分かってやすって。あっしァ気の利くカラスで」

「ぜんぜん信用できない」

「そいつァ心外でさ」

 口ではそう言いながら、ちゃんと少し残したので、思ったよりは話が通じるのかもしれない。

 精霊の方には、湯気の立つ水皿を机に置いてみた。普通の食事もする存在かどうかも分からないが、彼女は湯気に手をかざし、その温もりを吸うようにして目を細めた。

 どうやら、少なくとも無駄ではなかったらしい。しかし、おそらく、彼女には、ルグの多い何かを与えていく必要があるだろう。

 私は、椅子に腰を下ろし、しばらく無言で二人――いや、一羽と一人か――を眺めていた。

 妙な取り合わせだ。

 喋るカラスに、弱った精霊……。

 その両方を前にして、私はまだ、自分が本当に、面倒事の中心へ踏み込んだのだという実感を持ち切れずにいた。

「……さて」

 私は、机に肘をついた。

「お前に聞きたいことがある」

 カンタロウは、干し肉を咥えたままこちらを見る。

「何でござんしょ」

「まず名前だ」

「カンタロウ」

「それは……聞いたことのない響きの声だな?」

「そうでやすか?」

「誰が付けた?」

(あるじ)様でさ」

 軽い調子だったが、その一言だけは、どこか少し柔らかかった。

「あるじ?」

「へい。変わった旦那でしてね。人間なんだか神さまなんだか、あっしにゃ、未だによく分かりやせんが」

 私は顔を上げた。

「神?」

「おっと、そこ食いつきやすか」

 カンタロウは、わざとらしく喉を鳴らした。

「いやね、あっしも細けえことァ分かりやせんよ。ただ、その旦那ァ、妙な力がありやしてね。そんで、あっしも、まあ、そういう流れで出来たもんで」

「……作られたのか」

「そうとも言いやすし、そうでもねえとも言いやすね」

「曖昧だな」

「こっちだって曖昧なんでさ」

 彼は、翼を少しだけ広げた。

「気づいたら飛べて、気づいたら名がついてて、気づいたら(あるじ)様の側にいた。それだけで」

「ずいぶん雑な生まれ方だ」

「世の中ァだいたいそんなもんで」

 カンタロウは、そう言うとまた肉を噛み始めた。

 私は、思案しながら、精霊の方を見る。彼女は、こちらの会話を理解しているのかいないのか、じっとカンタロウを見ていた。

「では、その主人とやらは、今どこにいる?」

「さあて」

「知らないのか」

「それを話すにゃ、ちと長くなるんで」

 彼は、わざとらしく胸を張った。

「あっしァ乗り物が嫌いでして」

「……は?」

「だから逃げたんでさ」

「何から」

「乗り物からで」

「意味が分からない」

 すると、カンタロウはひどく真面目な顔になった。真面目な顔をしても、所詮は黒くて小さいカラスなのだが、それでも本人なりに大事な話をしているらしかった。

「旦那。羽ってぇもんは、何のためにあると思いやす」

「飛ぶためだろう」

「その通り」

 カンタロウは勢いよく頷く。

「飛べるやつが、なんでわざわざ箱だの車輪だの舟だのに詰め込まれにゃならねえんです」

「風雨をしのぐためとか、早く着くためとか、疲れないためとか、いろいろある」

「どれも鳥の理屈じゃござんせん」

「お前は本当にそこが譲れないのか」

「譲れやせんとも」

 堂々と言い切られると、こちらが悪いことを言ったような気分になるから不思議だ。

「で?」

「で、ある時、乗れ乗れって言われたんで」

「何に」

「妙なもんでさ。でかくて、ごとごとして、羽もねえくせに空を渡る気まんまんの」

 私は、眉を寄せた。

 神代の遺物か、あるいはかなり特殊な術具かもしれない。

「それで逃げた?」

「へい。全力で」

「……子供か」

「鳥でさ」

 開き直りやがった。

「そんで、逃げて逃げて、どこへ行ったと思いやす」

「知らん」

「森で」

「どこの」

 そう問いかけた瞬間、私は嫌な予感を覚えた。

 カンタロウは、私の顔を見て嘴の端を上げた。そんな表情がカラスに出来るとは、今でも信じ難い。

「還らずの森でさ」

 私は、しばらく声が出なかった。

 帰らずの森……だろうか?

 ディフィネ山へ向かう古い街道筋のどこかに口を開けているとされる、この世界の外側につながっていると言われる森だ。入って戻れなかったという話も、別の場所から何年も後に出てきたという話もある。

「……よく生きていたな」

「ほんとで」

 カンタロウは羽をすくめた。

「いや、あっしも、そこで終わりだと思ったんで。けど、森の奥で風が変になりましてね」

 彼の声が少しだけ低くなる。

「空がこう、ねじれるみてえに鳴るんで。木が見えてんのに、木の向こうに別の空が見えて。そしたら、どかんと来たんで」

「何が」

「時空嵐でさ」

「……」

 私の背筋に冷たいものが走った。

 古い記録には、稀にその言葉が出てくる。世界と世界の狭間が擦れ合った時に起きる、時間や場所の乱れだ。

 神代には、対処法もあったらしいが、人の時代では、もはや伝承の域をでない。

「お前は、それで……」

「すっ飛ばされたんで。もう、そりゃひでえもんで」

 カンタロウはぶるっと羽を震わせた。

「上も下も分かりゃしねえし、風は変な匂いだし、光は裂けてるし、なんか知らねえでっけえもんが遠くに立ってるし」

「それが、どこだった」

「さあ」

「分からない?」

「分かりやせんよ。あっしァ学者じゃござんせん」

 もっともである。

「そしたら、ここに来ていたって次第で」

「ずいぶん大雑把だな」

「細けえことを言われても、あっしァ風向きで生きてるんで」

 私は、溜め息をついた。

 しかし、話の筋だけなら、つながってはいる。

 喋るカラスが、神代らしき時代に作られ、帰らずの森から時空嵐に巻き込まれ、ここに来た――。

 真っ当な人間に話して信じてもらえる類いの話ではない。

 しかし、今日一日で、私は、箱に閉じ込められた精霊と喋るカラスを見たのだ。今さら、常識を語る顔をしても遅い。

「さて」

「さっきの続きだが、お前の昔の主人というのは、どういう人なんだ?」

 カラスは、干し肉の細切れをついばんでから、いかにも偉そうに嘴を拭った。

「へい。だから、妙な旦那でしてね。あっしなんぞにも名前を付けてくれやした」

「名前を付けた、か」

「そうで。カンタロウってぇのは、あの旦那が付けたんで」

「その主人の名前は?」

「ユウ」

 エルセドは、その名を聞いてわずかに眉を上げた。

「ユウ?」

「へい」

「それは……」

 彼は少し考えてから、慎重に続けた。

「もしかすると、ユウ神のことか?」

 カンタロウは、片目をぱちくりさせた。

「ユウ神?」

「ああ。神々の時代の名残を扱った伝承の中に、ときどき出てくる」

「ほう」

「異界より現れた神、あるいは神に列した異邦の来訪者として語られることもある。地方によって解釈はかなり違うが」

「へえ」

 カンタロウは、あまりぴんと来ていない顔をした。

「旦那、あいつ、そんな大層なもんになってやすか」

「お前の反応を見るに、少なくともお前にとっては、もっと身近な存在だったらしいな」

「そりゃまあ、主様でさ」

「主様?」

 エルセドが聞き返すと、カンタロウは、しまったとでも言いたげに嘴を鳴らした。

「いや、その、なんでぇ。昔っから、そう呼んでたもんで」

「主様、か」

「へい。まあ、あっしにとっちゃ、神様ってより、そういう感じで」

 そこでカンタロウは、妙に居心地悪そうに羽をもぞつかせた。

「で、そのユウ神がどうかしやしたか?」

 エルセドは少し首を傾げた。

「いや。ユウ神の名は、古い歌や地方の祭詞に残っていることがあるんだ。だが、たいていは、単独では出てこない」

「へえ?」

「ウィエン神と並んで語られることが多い」

「ウィエン神?」

 今度こそ、カンタロウは本気で目を丸くした。

 エルセドは、机の上に指を置きながら、記憶を辿るように言った。

「地方によっては夫婦神のように扱われている。寄り添う二柱の神、あるいは、神々の去った後もどこかで世界を見守っている二つの光、という具合にな」

「夫婦神?」

「そういう伝承がある」

「へえ……」

 カンタロウは、しばらく黙り込んだ。

 それから、なんとも言えぬ妙な顔で、ぽつりと呟いた。

「ウィエン神ってぇのは、聞いたことがねえですが」

「そうか」

「主様に、彼女ができたんですかね?」

 エルセドは、思わず瞬きをした。

「その感想になるのか」

「だって、夫婦神って言やあ、そういうことでしょ?」

「まあ、後世の伝承だから、実際どういう関係だったかは分からない」

「へええ」

 カンタロウは、まだ納得しきれぬように首を傾げる。

「いや、でも、主様がねえ……」

「意外か」

「そりゃあ、まあ」

 カンタロウは、ひどく不思議そうな口調で続けた。

「なんだか、そういう色っぽい話と縁があるようにも見えやせんで」

「ひどい言い草だな」

「いやいや、主様ァ、妙に世話焼きで、変なとこ優しいくせに、肝心なとこ鈍そうだったんで」

「お前の主人に対する評価は、ずいぶん遠慮がないな」

「カラスですから」

 そこで、机の上の精霊が、かすかに光を揺らした。

 エルセドとカンタロウがそちらを見ると、小さな白い少女は、二人のやり取りを聞いていたらしく、ほんのわずかに口元を緩めたように見えた。

 カンタロウはそれに気づき、少し得意そうに胸を張る。

「ほら。嬢ちゃんも笑ってやす」

「お前の軽口で場が和んだのなら、それはそれで助かるが」

「へい。あっしァ気の利く鳥なんで」

「自分で言うな」

「言わねえと誰も言ってくれやせんで」

 エルセドは、小さく息を吐き、改めてカンタロウを見た。

「だが、そうか。お前の主人が、そのユウ神と同じ名だというなら」

「へい」

「ただの偶然とも言い切れない」

「そうなんで?」

「ああ。神々の時代からの名残が、思いのほかこの世界には残っている。しかも、お前は普通の鳥ではない」

「そこ、また言いやすか」

「何度でも言う」

「しつこい旦那で」

 カンタロウは文句を言いながらも、どこか落ち着かない様子で窓の外を見た。

「しかし、夫婦神ねえ……」

 彼は、夕暮れの空へ向かってぼそりと呟く。

「主様が、そんなふうになってるたァ、なんだか妙な気分で」

「嫌なのか」

「いや、嫌ってわけでもねえんで」

 カンタロウは、少しだけ間を置いた。

「仲良くやってるんなら、それはそれで結構なんですがね」

「ですが?」

「なんつうか、こう」

 彼は、嘴の先で胸を掻いた。

「主様が、ちゃんとそういうふうに生きてたって聞くと、不思議で」

「……」

「へえ、未来ってのは、案外わかんねえもんでさ」

 その言葉を聞いて、エルセドは少しだけ表情を改めた。

「ここは、お前にとって、未来、なのか?」

「そうとしか思えないでやす。あっしの住んでいたところは、もっとルグが濃くて、神様もいたんでさ。永い間に、薄まったとしか考えられないでさ」

「……神代の方が、ルグは濃かったとは聞いている」

「なるほど。やっぱり、そうでやすな。今は神様――は感じられないんで、ルグは、スカスカに抜けたんでやすな」

 目の前の黒いカラスは、相変わらず軽口ばかり叩いている。だが、その軽さの底には、たしかに長い時間を飛び越えてきたものだけが持つ、奇妙な実感があった。

 エルセドは、机の上の精霊と、窓辺のカンタロウを見比べる。

 神々の時代の名残――未来から零れたような伝承。

 そして、ディフィネ山へ繋がる白い灯。

 どうやら、自分が拾ってしまったものは、思っていたよりずっと大きいらしかった。

「……ますます、放っておけなくなったな」

 エルセドが小さく言うと、

「へい?」

 とカンタロウが振り向く。

「いや、独り言だ」

「そうで」

 そのとき、精霊が、そっと立ち上がった。

 彼女は小さな手を伸ばし、カンタロウの黒い翼に触れた。カンタロウは少し驚いたように首を引いたが、振り払わなかった。

「どうした」

 私が訊くと、精霊は口を開き、か細い声で言った。

「……も、り……」

「森?」

 私は身を乗り出した。

「か、え……ら……ず……」

 そこで力尽きたように、精霊の身体がぐらりと揺れた。

 私は、慌てて手を差し出し、彼女を受け止める。

 光は、消えない。しかし、またひどく不安定になっていた。

「無理に喋るな」

 そう言うと、精霊は私の掌の上でうっすらと頷いた。

 カンタロウが低く言う。

「やっぱりでさ」

「何が」

「そいつァ、あの森の向こうにつながってる」

「ディフィネ山へか」

「たぶん、もっとややこしい方へ」

 窓の外では、夕日が屋根の縁を赤く染めていた。巡礼市の喧騒も、もう遠くなっている。

 私は、立ち上がり、荷物を見回した。

 持ってきた書板、簡易の術具、記録用の紙束、路銀、替えの服。山へ入るには不十分だが、明日の朝を待てば、準備する時間はある。

 本来なら、上役へ報告して指示を仰ぐべきだろう。

 しかし、そうしている間に、この精霊が誰かの耳に入り、奪われる可能性もある。

 それに、奇妙な確信があった。

 この件は、書類の上で転がして良い種類のものではない。

「……明朝、ここを発つ」

 私は、呟いた。

 カンタロウが片目を光らせる。

「ほう」

「行き先は、まず帰らずの森。その先にディフィネ山の手がかりがあるなら、追う」

「へへ」

「ただし、お前を正式な同行者として認めたわけではないぞ」

「言うと思いやした」

 カンタロウは、翼を鳴らした。

「ま、でも、ついて行きやすよ。旦那ひとりじゃ、たぶん迷うんで」

「迷わない」

「森で?」

「……」

「ほらね」

 腹が立つが、言い返せない。

 私は、掌の上の精霊を見た。

 彼女は疲れたらしく、目を閉じている。微かな光が呼吸のように明滅していた。

 帰らずの森――ディフィネ山――神代の残り火のような精霊――そして、未来を見たと言う、乗り物嫌いの喋るカラス。

 どう考えても、まともな旅にはならない。

「旦那」

 カンタロウが、やけに得意げに言った。

「乗り物は、なしでお願いしやすよ」

「最初に言うのがそれか」

「大事なことなんで」

「山道を全部歩く気か」

「飛べるやつァ飛びやすし、歩くやつァ歩けばよろしい」

「お前は、本当に気楽だな」

「へい。重てえ話ばっかししてると、羽が湿るんで」

 私は、とうとう苦笑してしまった。

 気楽なものかどうかは知らない。

 だが、この妙なカラスがいるおかげで、部屋に満ちていた奇妙な緊張が少しだけほどけたのは確かだった。

 私は、灯を入れ、旅支度のために荷物をまとめ始めた。

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