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「……あれ?」


だが、その噴水に近づいた俺は、ふと足を止めて怪訝な顔をした。


水晶の木から滴り落ちるはずの水が、完全に枯れ果てていたのだ。


巨大な噴水の下の盆はすっかり干上がり、底の白い石がむき出しになっており、広場の活気とは裏腹にそこだけが物悲しい雰囲気を漂わせている。


その乾いた盆の縁で、NPCの小さな女の子が、木で作ったおもちゃの小舟を抱きしめながらシクシクと泣いていた。


「ううっ……お水がなくて、お舟が浮かばないよぉ……」


彼女の母親らしきNPCの女性が、困ったような顔で女の子の頭を撫でている。


「ごめんね。数日前の地震のせいでお水が止まっちゃったみたいなの」


どうやらこれは、この街に到着したプレイヤーに向けられた世界観の演出、あるいはクエストの伏線となるようなイベントのようだった。


「なんて可哀想な……。せっかくの美しい世界樹も、お水がなくて悲しそうに見えますわ」


アリアが女の子を見つめ、寂しそうに目を伏せた。


その姿を見た瞬間、俺の胸の中に、この子のお舟を浮かべて遊ばせてあげたいという、純粋な想いが湧き上がってきた。


俺のアイテムインベントリにあるのは、街に来る前に拾い集めた『竹』と『木の枝』と『青いスライムの粘液』、そして『丸い石ころ』といった初期素材だけだ。


水筒もないし、どこかから本物の水を運んでくるような手段はない。


だが、俺の生産スキルのシステムを使えば、素材の性質を変化させて、水の代わりになるものを生み出せんじゃないか?


(水がないなら、スライムの粘液のパラメーターをクラフタースキルでいじって、水みたいにサラサラのゼリー液に変換してやればいいんじゃないか? それを干上がった噴水の盆の中に直接出現させれば、お舟を浮かべられるはずだ!)


「大丈夫だよ、俺がシステムを使って、お舟で遊べるようにしてあげるね」


俺は女の子に微笑みかけ、レベル10になって機能が拡張された生産スキルのメニューを空中に呼び出した。


俺はシステムUIの『素材加工』を選択し、インベントリ内の『青いスライムの粘液』をセットした。


そして、スキルのパラメーターを操作して粘り気を完全になくし、流動性と青く透き通る色だけを残した『さらさら液状スライムゼリー』へと設定を変更する。


最後に対象エリアを、干上がった大理石の盆に指定し、【展開】ボタンを指でタップした。


ピッ……!


澄んだシステム音が響いた瞬間。


俺のインベントリからスライム素材が消費され、干上がっていた巨大な大理石の盆の中が一瞬にして、透き通るような青い液体ゼリーで満たされた。


「ほら、お水じゃないけど、このゼリーの上ならお舟が浮かぶよ!」


俺が声をかけると、女の子はパァッと顔を輝かせ、恐る恐る木のお舟を青いゼリーの上に置いた。


お舟は沈むことなく、スライムの柔らかな弾力によってチャプンと浮かび上がった。


「わぁっ! お舟が浮いた! お水みたいで綺麗!」


女の子は嬉しそうに笑い声を上げ、母親もほっとしたように微笑んだ。


「やった! うまくいったぞ!」


俺は自分のシステム操作が成功したことに満足し、アリアと一緒に笑い合った。


――だが、俺がふと足元を見た時のことだ。


「……おや?」


俺の足元に落ちていた俺自身の影が、突然、地面を滑るようにズルッと横にズレたのだ。


「えっ?」


俺が動いていないのに、影だけが勝手に動いている?


驚いて周囲を見渡すと、広場を歩いていた他のプレイヤーたちやNPC、大理石の柱、屋台のテントなど、あらゆる物体の影が、本体からスパンと切り離されていた。


そして、その真っ黒な影たちは、まるで意志を持った黒い水たまりのように、石畳の上をデタラメな方向へとスゥーッ、スゥーッと滑り始めたのだ。


「うおっ!? なんだこれ!? 影が勝手に動いてるぞ!」


広場にいた他のプレイヤーたちも、突然の異常事態に気づいて騒ぎ始めていた。


「おい! なんだよこれ、俺の影があっちに歩いていくぞ!?」


「うわっ、新しいゲリライベントか!?」


「すげえ、影が壁を登ってる!」


プレイヤーたちが自分の動く影を追いかけたり、面白がったりしてワイワイと騒いでいる。


俺もまた、ただ目を輝かせた。


(へぇーっ! 最近のゲームってすごいな! 街に着いたタイミングで影が独立して動くオシャレなランダムイベントが始まるなんて、ちょっとホラーっぽいけど面白いじゃん!)


俺は逃げていく影のイベントは放っておいて、ゼリーのプールで遊ぶ女の子の方へと視線を戻した。


「……あ」


女の子は喜んでお舟を浮かべていたが、噴水と違ってゼリーのプールには水の流れがないため、お舟は盆の中央付近まで滑っていくと、ピタッと止まってしまった。


女の子の短い腕では、真ん中に止まってしまったお舟に手が届かない。


「うう……お舟、止まっちゃった。手が届かないよぉ」


女の子が残念そうにしているのを見て、俺はもうちょっと楽しく遊べるようにしてあげるかと考える。


(手で押さなくても、お舟が勝手にスイスイと走るように改造してあげよう。インベントリに『木の枝』と、さっきのスライムの余りがあったから、ゴム動力のスクリューを作ればいい!)


「待っててね、お舟が自分で走るようにかっこよくしてあげるから!」


俺は手を伸ばしてお舟を掴むと、すぐさまシステム画面上で工作に取り掛かった。


木の枝を加工して小さなプロペラを作り、それをスライムの粘液を固めて作ったゴムひもでお舟の船尾に結合させる。


昔ながらの、ゴムを巻いてパッと離すとプロペラが回って進むゴム動力モーターボートの完成だ。


「よし! プロペラをぐるぐる巻いて……いけっ!」


俺はゴムを限界まで巻き上げ、モーターボート化したお舟を青いゼリーの上へと置いた。


――その瞬間だった。


「…………ッ!?」


プロペラがゼリーの中でパタパタと回り始めた途端。


広場にいた何百人というNPCの姿が、一瞬にして消え去ったのだ。


いや、消えたのではない。


重装備の騎士も、ローブの魔法使いも、商人のおじさんも、目の前で笑っていた女の子も、その母親も。


システムが動かしているNPCだけが、突如として枝葉のないのっぺらぼうの茶色い円柱の丸太に置き換わってしまったのである。


「えええええええっ!?」


俺はあまりの光景に目をひん剥いた。


そして、その何百本もの丸太たちは、直立したまま地面から数十センチ浮き上がり、空中をゆっくりと時計回りに回転し始めたのだ。


広場にいた俺やアリア、そして周囲のログインしている他プレイヤーたちの姿は人間のままだったため、広場は完全な大パニックに陥った。


「はぁっ!? な、なんだこれ!? 道具屋のオヤジが木になったぞ!?」


「うわああああっ! クエストの衛兵が丸太になって浮いてる! なにこれ、バグ!?」


「キモいキモい! 完全にゲーム壊れてるぞ!」


プレイヤーたちの怒号と悲鳴が飛び交う中、丸太になったNPCたちの音声だけは普段通りに再生されていた。


「いらっしゃいませー」「今日はいい天気ですね」「わぁっ! お舟が走ってる!」


姿はただの丸太なのに、そこから聞こえてくる日常会話の音声が、狂気に満ちた不気味さをさらに加速させている。


「れ、レオ様っ! 街の方々が、皆様が木になって空を飛んでおりますわっ!?」


アリアが震え上がり、俺の腕にしがみついた。


「なんで!? なんでNPCだけ急に丸太になるんだよ!?」


意味がわからない。まったくもって意味がわからない。


どうしてお舟のプロペラが回り始めたタイミングで、街中のNPCのモデルが丸太に変わって宙に浮くのか。


(や、やばい! 絶対おかしい! さっきの影もイベントじゃなくて、これガチのヤバいバグだったんじゃないか?! しかも俺がお舟を動かした瞬間に起きたってことは……俺の工作のせい!?)


俺は本気の焦りと恐怖に襲われ、事態を収拾しようと慌てて盆の中を見た。


俺が作ったゴム動力のお舟は、盆の縁に沿ってゼリーの上をぐるぐると回り続けていた。


「お、お舟が暴走してる! とにかくあれを止めて壊さないと!」


俺は混乱しながらインベントリを開き、丸い石ころを取り出した。


(石をぶつけて、あのプロペラをぶっ壊してやる!)


「当たれっ!!」


俺は力いっぱい腕を振りかぶり、暴走するお舟めがけて、石ころを投げつけた。


ドガァァァァァンッ!!!!!


石がお舟に激突した、その瞬間。


ビガガガガガガッ!!! ギギュルルルルルッ!!!


俺の鼓膜が破れるかと思うほどの、すさまじいノイズの轟音が広場全体に爆発的に鳴り響いた。


「うわあああっ!? なんだこの音!?」


街に流れていた穏やかなファンタジーのBGMが突然バグり、甲高い電子ノイズへと変貌したのだ。


さらに、宙に浮いていた丸太たちの音声も完全に狂い始めた。


「いらっ、いらっ、いらっ、いらっしゃいませぇぇぇぇっ!!」


「いい天気、いい天気、いい天気ですねぇぇぇぇっ!!」


何百人ものNPCの声が狂いだし、それが幾重にも重なり合って、広場は狂気に満ちたカオスな空間と化した。


俺が思わず両手で耳を塞いだ、次の瞬間。


メキメキメキメキッ!!! バリバリバリッ!!!


視界の端から、世界の景色が凄まじい物理的な破壊音を立てながら、折り紙のようにパタパタと不自然に折り畳まれ始めたのだ。


「うわあああっ!? 空がっ! 空が折れ曲がってるぞ!?」


「たすけてぇ! 街がペラペラになっていくっ!」


パニックになったプレイヤーたちの悲鳴が轟く中、青い空のテクスチャが真四角に折れ曲がり、石畳の地面と重なり合う。


宙に浮いていた丸太たちや、逃げ惑う他プレイヤーたちが、まるで平面の紙のようにペラペラになり、空間のシワの中に次々と吸い込まれていく。


前後左右の奥行きという三次元の概念が完全に消失し、世界がまるで狂った万華鏡の内部のように、極彩色の平面パネルとなって無限に重なり合い、砕け散っていく。


「やばいやばいやばい!! なんで世界が折り畳まれてるんだよ!?」


俺はカオスな轟音の中で、腹の底から絶叫した。


なぜ石を投げただけで、三次元空間が悲鳴とノイズと共に平面に折り畳まれて崩壊するのか。


理由も理屈も、何一つわからない。


俺はただ、女の子にお舟を遊ばせてあげたくて、適当な工作をしただけなのだ。


それなのに、目の前の世界は、一切の説明もなく、ただ圧倒的な狂騒と共に解体されていく。


バッキィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!


耳をつんざくような巨大なガラスが砕ける轟音と共に、ついに、万華鏡のように折り畳まれていたゲームの宇宙全体が粉々に砕け散った。


すべてが消し飛び、視界のすべてが真っ黒な虚無の空間へと変貌した。


ガガガガッ、ピーーッ、というけたたましいシステム警告音が鳴り響く中。


俺たちの上空には、血のように真っ赤な文字で、巨大な警告文が明滅している。


『次元崩壊発生、サーバーを緊急シャットダウンします』


「……なんで? ほんとに、なんで?」


俺がワイヤーフレームだけになっていく真っ黒な虚無の中で、耳鳴りに耐えながら呆然としていると、ついに全ユーザー強制ログアウトの暗転が訪れた。


ブツンッ。


視界が完全にブラックアウトし、次の瞬間。


俺たちはタイタンにある特大クッションの上で仰向けに転がっていた。


「……っは!?」


数秒の沈黙の後、俺は慌ててホログラムヘッドギアを外し、手元の空間にゲームの公式フォーラムを開いた。


そこには、信じられないほど巨大な赤い文字で、最悪の告知が表示されていた。


『緊急事態発生:原因不明の致命的なクラッシュが発生しました。現在、全データが破損し、サーバーは完全にダウンしております。原因は現在調査中です』


「…………うそ、だろ?」


俺の背筋を、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。


「俺のせい……なのか?俺がお舟にゴムのプロペラつけて、石をぶつけたせいで……サーバーの根幹データが全部吹き飛んだのか……?!! なんであんなことになったのか、全然意味わかんないけど!」


理由も原理も全く不明だが、自分が工作をしたタイミングでゲームが完全に破壊されたという事実だけが、重くのしかかってくる。


たった一人のプレイヤーが完全に崩壊させてしまったのだ。


「や、やばいやばいやばい! わけわかんないバグだけど、これ絶対運営にバレる! とんでもない額の損害賠償請求されるかも!」


俺は顔面を蒼白にさせ、ガタガタと全身を震わせながら、自室のベッドの隅にうずくまって頭を抱えた。


「どうしよう、ログとか全部消せないかな!?」


女の子を楽しませたいという純粋な工作が、なぜか全く意味のわからないホラーなバグを引き起こし、結果的に莫大な被害額を叩き出す大惨事になってしまったことに、俺は本気の絶望と恐怖の中にいた。


一方、俺の隣では、ホログラムヘッドギアを外したアリアが、顔を真っ赤にして小声で震えながら、謎の解釈に浸っていた。


「はぁっ、はぁっ……最高でしたね、レオ様……!」


「何も最高じゃないよ!!」


理由もわからないままゲームを破壊してしまった俺の悲痛な叫び声が、無機質なタイタンの玉座の間に虚しく響き渡るのだった。

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