3.
【エルナ視点】
私はエルナです。
この星のドーム都市において、新たに生成される王子の専属メイドとして、そして何より王となった際の盾となるべく、幼少期から徹底的な教育を受けてきました。
我が星の統治者であった前王は、急な病により唐突に亡くなりました。
権力の空白を恐れた重鎮たちは、直ちに前王の保管されていた遺伝子サンプルを用い、人工的に後継者を生成することを決定したのです。
それが、私の目の前にある巨大な円筒形の人工培養ポッドです。
ポッドの中には、高濃度の人工羊水に満たされ、無数のチューブに繋がれた小さな命が浮かんでいます。
遺伝子操作により先天的な疾患因子はすべて排除され、王として最適な肉体と知能を持つよう調整された、人工的な生命です。
「――バイタルサイン安定。肺呼吸への移行プロセス完了。ポッドを開放します」
システムのアナウンスと共に、ポッドのハッチが音を立てて開きました。
私は滅菌された特殊な手袋をはめ、ポッドの溶液の中から、その小さな赤ん坊を慎重に抱き上げました。
体温を奪わないよう、瞬時に水分を吸収し最適な温度を保つスマートファブリックのタオルで、丁寧に体を包み込みます。
この方こそが、私が生涯をかけて仕え、守り抜くべき新たな主、レオ殿下です。
「――歓迎します、レオ殿下。我らの光」
私は敬意を込めて最初の言葉を紡ぎました。
レオ殿下は、溶液から引き上げられた直後だというのに、普通の赤ん坊のように火のついたように泣き叫ぶことはありませんでした。
重いまぶたをうっすらと開け、焦点の定まらない瞳で、ぼんやりと私を見つめ返したのです。
その静かで、どこか達観したような不思議な眼差しに、私は少しだけ驚きました。
(やはり、遺伝子調整を受けた王族の赤ん坊は、生まれながらにしてどこか違うのでしょうか……?)
私はその感情を表情には出さず、殿下を保育ルームのベッドへと寝かせました。
◇
生後1ヶ月のことです。
私は保育ルームに泊まり込みで、レオ殿下の世話を完全に一人で担当していました。
王族の赤ん坊は、免疫系が完全に構築されるカプセル促進までの間、徹底的に隔離された無菌室で育てられるのがこの都市の決まりです。
外部の人間はおろか、重鎮たちでさえこの部屋に入ることは許されていません。
壁には目に見えない微細な空調孔が空いており、常に室内の温度と湿度、空気清浄度を完璧にコントロールしています。照明は生体リズムに合わせて自動で色温度と照度を調整するシステムです。
レオ殿下は、本当に手のかからない赤ん坊でした。
無駄泣きを一切せず、ミルクを飲むと静かに眠りにつきます。
そして起きている時は、ベッドの中からじっと、まるで何かを観察するかのように部屋中を見回しているのです。
(まだ生後1ヶ月だというのに、あの目の動き……。明らかに外界の情報を能動的に収集しようとしている。なんと聡明な赤ん坊なのでしょう)
私は無表情を装いながらも、内心で殿下の成長の早さに驚嘆していました。
生後3ヶ月になると、その傾向はさらに顕著になりました。
殿下は、自分の頭上に浮遊する完全自律式レーザー護衛ドローンに強い興味を示しました。
これは王族の命を24時間体制で守護する最新型のAI搭載防衛システムです。
殿下のバイタルサインと連動し、少しでも危険を察知すれば即座に不可視のレーザーで対象を焼き切ります。
普通の赤ん坊なら、常に頭上で自分を追従してくる銀色の球体を怖がり、泣き出すのが普通です。
しかしレオ殿下は、ドローンを怖がるどころか、目をキラキラと輝かせて嬉しそうに見つめているのです。時には、短い腕を伸ばしてドローンを掴もうとさえしました。
(自分が何によって守られているのか、すでに本能で理解しているのでしょうか……?)
監視カメラの映像でその様子を確認するたび、私は殿下の底知れぬ器の大きさを感じずにはいられませんでした。
生後半年が経過した頃です。
殿下がハイハイを始めた頃、私はさらに驚くべき光景を目にしました。
ある日、私は室内の湿度が規定値よりわずかに下がっていることに気がつきました。
赤ん坊のデリケートな肌にとって乾燥は禁物です。
私は急いで保育ルームに入り、ベッドから抜け出していた殿下を安全な中央へ戻しました。
殿下は「あうー!」と抗議の声を上げましたが、今は環境調整が最優先です。
私は空間ホログラムディスプレイを起動し、空調システムのコントロールパネルを空中に呼び出しました。
指先でパネルを操作し、湿度を数パーセント引き上げる指示をシステムに入力します。
ふと視線を感じて振り返ると、レオ殿下がベッドの上で目を丸くして、私が操作しているホログラムパネルを食い入るように見つめていました。
(……このシステムパネルの光の明滅パターンに、規則性を見出そうとしているのでしょうか?)
殿下は、ただ光を珍しがっているわけではありません。私の指の動きと、パネルの表示の変化が連動していることを、確かに理解しようとしている目でした。
私がパネルを閉じると、殿下は名残惜しそうに虚空に向かって短い腕を突き出し、何かを念じるような仕草をしたのです。
(空間インターフェースの概念を、半年で直感的に理解したというのでしょうか……?)
私は背筋にぞくりと粟立つような感覚を覚えました。
もしそうであるならば、殿下は私が想像していた以上の、途方もない天才なのかもしれません。
1歳になり、よちよち歩きができるようになっても、私の驚きは尽きませんでした。
殿下は、私が近づくと自動で開く部屋の扉の仕組みに強い関心を示しました。
あの扉は、登録された私の生体IDにのみ反応して開くセキュリティドアです。
殿下は何度も扉の前に立ち、開かないことを確認すると、私が扉を開ける様子をじっと観察し始めました。
ある日、私が殿下を抱いて扉の前に立つと開くことを確認すると、ポンと手を打つように一人で深く納得した表情を浮かべたのです。
(生体認証によるアクセス権限の仕組みを、自分で推論し、実証したというのでしょうか……!?)
さらに、離乳食として提供する完全栄養食、バイタルデータからAIが自動計算し、3Dフードプリンターで出力したペーストも、普通の幼児なら食感から最初は嫌がるものです。
しかし殿下は、出したものを一切の躊躇なく、むしろ「美味しい」と言うかのような満面の笑みで完食してしまいます。
知育玩具の自由形状マグネットブロックを渡せば、その磁力による吸着法則を瞬時に理解し、複雑な立体構造を作り上げようとします。
言葉に関してもそうです。
私は、殿下の言語野のカプセルを使った自然な発達を促すため、最低限のコミュニケーション以外は、あえて自分からは話しかけないようにしていました。
しかし殿下は、私が発するわずかな単語の発音をじっと聞き耳を立てて記憶しようとし、私の口の動きを真似て一生懸命に発声の練習をしているのです。
(レオ殿下は……ただの賢い子供ではありません。この世界の法則を、スポンジのように吸収し、自分の知識として体系化しようとしている。間違いなく、歴史に名を残す聡明な王になるお方です)
私は、監視カメラのモニター越しに殿下の寝顔を見つめながら、己の生涯をこの方に捧げるという決意を、より一層強固なものにしました。
◇
そして、殿下が2歳になった時のことです。
王族の育成プログラムにおいて、最も重要かつ危険なフェーズが訪れました。
第1次身体・知能ブーストプログラムです。
それは、ナノマシン注入式の超高度成長促進カプセルを使用し、細胞の活性化と大脳皮質のシナプス結合を強制的に加速させ、同時に睡眠学習によって言語や一般常識の基礎概念を直接脳にインプットするというものです。
このプロセスは確立されていますが、脳と肉体に少なからず負荷をかけます。
まずありえませんが拒絶反応を示せば、最悪の場合、脳に深刻な障害が残る可能性もあります。
普通の王族には安全をみて5歳くらいに行います。2歳での使用は異常なほど早いです。
しかし、激化する都市の権力闘争を終わらせるため、一刻も早く王としての知能と体力を身につけていただく必要があるとの判断がくだりました。私には逆らえません。
私は覚悟を決め、カプセルを保育ルームの中央に設置します。
「――レオ殿下。これより、第1次成長促進フェーズを開始します」
私は祈るような思いで、殿下を抱き上げました。
しかし、殿下は突然のことに酷く混乱している様子でした。
「あうー! あーっ!」と抗議の声を上げ、手足をバタバタとさせて暴れ始めたのです。
(殿下、申し訳ありません。これもあなたが王として生き残るための、必要な試練なのです)
私は胸を締め付けられる思いで、暴れる殿下を無理やりカプセルの中に寝かせ、重厚なハッチを閉めました。
ガラス越しに、殿下が必死にハッチを叩き、恐怖に顔を歪ませているのが見えました。
システムが起動し、カプセル内に高濃度の睡眠誘導ガスとナノマシンを含んだ薄緑色のミストが充満していきます。
殿下は必死に息を止めようとしていましたが、やがて抗えずにミストを吸い込み、ゆっくりと意識を手放していきました。
(どうか、無事に目覚めてください……)
私はカプセルの前で膝をつき、バイタルデータを監視し続けたのです。
◇
そして、3ヶ月後です。
プログラムは完全に終了し、私はカプセルのハッチを開けました。
「――経過時間、3ヶ月。第1次フェーズ、完了。バイタル、正常」
私が報告すると、カプセルの中で身を起こした殿下は、目を丸くして私を見つめました。
その瞳には、以前のような幼児特有の曖昧さは微塵もありませんでした。
理知の光が宿り、驚くべきスピードで周囲の状況を分析し、理解しようとする、極めて高度な知性の輝きがあったのです。
「あ、う……あー……」
殿下は何かを言おうとして口を開きましたが、まだ舌の筋肉の最適化が追いついていないので、言葉にはなりませんでした。
しかし、その表情は恐怖や混乱ではなく、むしろ信じられないほどの驚愕と、何か大きな希望を見出したような、歓喜に震えているように見えたのです。
(……やはり。殿下は、この3ヶ月間の強制的な脳内インプットによる膨大な情報の奔流を、完全に処理し、自分の知識として統合されたのですね)
ただの幼児なら、情報過多でパニックを起こして泣き叫ぶところです。
しかし殿下は、その状況すらも冷静に受け止め、むしろ新しい知識を得た喜びを感じておられます。
(私の目は、間違っていませんでした。レオ殿下こそが、この腐敗した星の未来を切り拓く、真の賢王となるお方です)
私は、カプセルの中で嬉しそうに微笑む殿下を抱き上げながら、決して表には出さない、熱く深い忠誠心を心の中で誓ったのでした。
◇
カプセルでの第1次身体・知能ブーストプログラムが完了し、レオ殿下が目覚めてから数日後のことです。
プログラムによる身体機能の最適化を終えた殿下は、ご自分の足でしっかりと立ち上がれるようになりました。
カプセルによる筋力強化と神経接続の恩恵とはいえ、わずか2歳にしてこれほど安定した歩行を見せるとは。
やはり殿下には、王としての並外れたポテンシャルが秘められているのでしょう。
そして今日、私はシステムから殿下の行動制限の解除と居住区画の視察の許可を得ました。
今後の帝王教育を見据え、少しずつ外界の刺激に慣れていただく必要があるからです。
私がその旨を伝えると、殿下は言葉こそまだ発せられませんが、目をキラキラと輝かせ、力強く立ち上がりました。
(外の世界への強い探究心。自分が治めるべき国を早く見たいという、王としての生得的な自覚がすでにおありなのですね)
殿下は、私の生体認証でしか開かないセキュリティ扉へと迷いなく向かいました。
私が後ろからついていき扉を開けると、殿下は真っ白な回廊へと足を踏み出しました。
その小さな背中には、初めての外界に対する恐怖や不安など微塵も感じられません。むしろ、この空間すべてを把握し支配するかのような、威風堂々とした足取りです。
(なんと頼もしいお姿でしょう……。これこそが、王たる者の器)
私は静かに、殿下の数歩後ろを付き従いました。
やがて私たちは、回廊の突き当たりにある自動扉を抜け、展望フロアへと到着しました。
正面には、床から天井まで届く巨大なガラス張りの窓があります。
そこからは、この完全密閉型ドーム都市の全景と、オレンジ色の大気に覆われたタイタンの空が一望できるのです。
「おおっ!」
殿下は初めて感情を露わにして、ガラス窓へと駆け寄りました。
そして、眼下に広がる超高層ビル群や、空中に張り巡らされたチューブトレインの軌道、飛び交う無数の自律型ドローンを見下ろした瞬間――。
「あぅ・・・あうあああああっ!!」
突然、殿下は幼児とは思えないほどの、魂の底から絞り出すような絶叫を上げたのです。
私は驚いて一歩前に出ようとしましたが、殿下の様子を見て、すぐに思い直しました。
殿下は、ガラス窓にへばりつくようにして、食い入るように外の世界を……この高度に発展した都市の姿を見つめていました。
その体は小刻みに震え、顔には、信じられないものを見たかのような深い驚愕の色が浮かんでいます。
(……無理もありません)
私は胸が締め付けられるような思いで、その姿を見つめました。
普通の幼児であれば、ただピカピカと光る街の景色を喜ぶか、情報量の多さにパニックを起こして泣き出すだけでしょう。
しかし殿下は違いました。
この複雑に絡み合った超絶未来都市のシステム。絶え間なく飛び交う情報と物流の波。この巨大な生態系とも言える都市全体を、いずれ自分が統治し、コントロールしなければならないという事実。
殿下は、その圧倒的な情報量と王としての責任の重さを、一瞬にして直感的に理解されたのです。
たった2歳の脳で、この複雑怪奇な世界を一瞬で把握しようとしている。
その凄まじい情報処理の負荷が、殿下の体を震わせているのでしょう。
そして殿下は、ガクガクと震える足で空を見上げました。
分厚いオレンジ色の靄の向こうに浮かぶ、巨大なリングを持つ母星の姿。
私がこの星の歴史や天文学について教えたことはありません。カプセルの睡眠学習でも、基礎言語の形成を優先したため、宇宙に関する高度な知識はインプットしていないはずです。
しかし、殿下はあの巨大な天体の本質を、遺伝子に刻まれた過去の記憶から引き出したのか、あるいは断片的なデータから推論して、直感的に質量の塊と認識したのです。
普通の子どもであれば、驚きはすれど震えることはありません。
(なんという恐るべき知能……!)
「あぅ……っ!?」
しかし次の瞬間、殿下はガラス窓に手をつき、ズルズルとその場に崩れ落ちてしまいました。
そして、頭を抱え、深く絶望したような様子でうずくまってしまったのです。
「あああああ……っ!!」
(殿下……!)
私は思わず駆け寄りそうになりましたが、殿下から発せられる異様な覇気に押され、足が止まりました。
殿下は、ただ情報量に圧倒されて泣き崩れたのではありません。
その小さな背中からは、もっと深く、重い……まるで、この世界の現実というものを一瞬にして突きつけられ、自分の無力さを痛感しているような悲壮感が漂っていたのです。
(……もしかして。殿下は、この窓から見える景色だけで、この都市の抱える矛盾や限界を悟られたのでしょうか?)
この都市は、表向きは高度に発展し、光り輝いています。
しかしその裏では、一部の重鎮たちが富と権力を独占し、市民たちはそのシステムの中で歯車として組み込まれ、閉塞感の中で生きています。
殿下は、自分が治めるべき国が、これほどまでに強大で、そしてシステムとして完全に固定化され、腐敗してしまっていることに気づかれた。
そして、まだ2歳である自分の無力さと、これから背負うべき途方もない重責に、絶望されたのではないか……。
(なんという……なんという聡明で、そして残酷なほどの洞察力……)
私は、殿下のあまりにも早すぎる王としての覚醒に、ただただ畏敬の念を抱くしかありませんでした。
これは、王となる者が必ず乗り越えねばならない試練です。私がここで甘やかしてはいけないのです。
やがて、うずくまっていた殿下が、ゆっくりと立ち上がりました。
そして、ガラス窓に反射するご自分の顔を、じっと見つめました。
その時、私は見ました。
殿下のその幼い顔に……かつての絶望を完全に打ち払い、強烈な決意と、何かを嘲笑うかのような、底知れぬ凄みを持った笑みが浮かんでいるのを。
(……っ!!)
私は息を呑み、背筋を正しました。
(殿下は、絶望を乗り越えられたのだ。この腐敗した巨大な世界を前にして、決して屈しないという、王としての覚悟を決めたのだ……!)
その笑みは、「どれほど困難な道であろうとも、私は決して既存の腐ったシステムには従わない。この強大な世界を私の力で完全に支配し、新しい秩序を創り上げてみせる」という、王としての絶対的な自信と覚悟に満ち溢れていました。
殿下の瞳の奥で、並々ならぬ闘志の黒い炎が燃え上がるのが見えました。
(つまり重鎮たちの敷いたレールに黙って従うような生き方はしない。自らが悪役となってでも、このシステムを根底から壊す……。そういう意味ですね、殿下!)
オレンジ色の空と、巨大な惑星を背にして立つ、小さなレオ殿下。 その姿は、私の目には、この星の未来を切り拓く、無敵の覇王のように映りました。
(私の目は間違っていませんでした。この方こそ、我々が待ち望んでいた真の賢王。この世界を導く救世主です)
私は深く頭を下げました。
これから始まるであろう殿下の大いなる改革の道程に、己のすべてを捧げることを、改めて強く、強く誓ったのでした。




