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アリア姫が、両手で祈るように組みながら、俺の顔をじっと、すがるように見つめてくる。


(いや、俺をそんなキラキラした期待の目で見られても困るんだけど……!)


あの巨大な黒い穴と、白熱する専門家たちの議論。


俺は完全に蚊帳の外だった。彼らが口にする専門用語なんて、俺のポンコツ脳みそでは一文字たりとも理解できないし、口を挟む勇気もない。


ただ一つわかるのは、あの恐ろしいブラックホールを見ているだけで寿命がゴリゴリと削られていくということと、一秒でも早くタイタンの安全な自室に帰って、クッションに埋もれたいということだけだ。


(怖い。マジで帰りたい。あんな化け物みたいな穴、ずっと見てたら頭がおかしくなりそうだ……)


俺は冷や汗を拭いながら、完全に萎縮しきっていた。


(アリア姫には悪いけど、ここは銀河の中心だ。俺はもう二度とこの星に来ることはないだろうし……)


俺の極限までの自己中心的な思考が、ついに一つの結論を導き出した。


(……適当なこと言って、さっさと逃げて帰ろう)


俺は一つ深呼吸をすると、エルナの背中に半分隠れながら、おずおずと口を開いた。


「あ、あのさ……」


俺の弱々しい声に、観測所にいた全員の議論がピタリと止まり、太陽系の絶対神帝である俺へと一斉に鋭い視線が集まった。


「ひっ」


大勢の科学者たちに一斉に注目され、俺はビクッと肩を震わせた。


だが、早く帰りたいという切実な思いが、俺を突き動かす。


俺は気が狂いそうなほど巨大なブラックホールの周囲の、全くなんの変哲もない適当な空間を指差した。


「ほらあそこだよ、あそこ。飲み込んだ星をゲップできずに詰まってるでしょ!わかった?じゃあそう言うことで、エルナ帰るよ」


俺は科学的な根拠など一切ない、子供の絵本レベルの適当極まりない感想をぶちまけ、彼らの反応すら待たずにクルッと背を向けた。


「……は?」


俺のあまりにも唐突で幼稚な言葉に、観測所の全員が呆然と口を開けた。


星をゲップする? 詰まっている?


彼らの高度な物理学の議論を完全に根底から無視した、まるで幼児の思いつきのようなセリフだった。


俺は彼らが硬直している隙を逃さず、ファストトラベルの起動シークエンスに入ろうとした。


「あ、あひぃっ!? レ、レオ様ぁ!?」


俺が急いでエルナの腕を引こうとした時、ルルがボサボサの頭を振って慌てて声を上げてきた。


「私、もう少しここで、この愛らしい特異点をペロペロ……じゃなくて、詳細に観測していたいですよぉ! こんな異常なデータ、舐め回さないと損ですぅ! 残ってもいいでありますかぁ!?」


ルルがヨダレを垂らしながら猛抗議してきたが、俺にとっては好都合だった。


「わかったわかった、適当に切り上げて帰ってくるんだよ。じゃあね」


俺はルルの狂気的な探求心に付き合う気などさらさらなかったので、彼女の要求をあっさりと呑み、置いていくことにした。


「じゃあね、アリア姫。元気でね!」


俺が適当に手を振ると、エルナがシステムを起動し、俺とエルナの身体は再び幾何学的な光に包まれた。


「あ……お待ちください、レオ様!!」


アリア姫の悲痛な叫び声が響く中、俺たちはファストトラベルの光と共に、ルメン王国から完全に姿を消したのだった。


タイタンの王宮へと逃げ帰ることに成功した俺は、心の中で深く安堵のため息をついていた。


(あー怖かった。適当に誤魔化して帰ってきて正解だったなー。俺にはあんな化け物、絶対無理無理)


俺は自分が放った無責任な言葉のことなど、すでに脳内から消し去り、ふかふかのクッションへダイブする準備を始めていた。


---


残されたルメン王国の観測所では、レオの放った適当すぎる一言の真意がわからず、かつてない困惑が巻き起こっていた。


「……お、お帰りになってしまわれた……?」


アリア姫が、光が消え去った虚空を見つめながら、呆然と膝から崩れ落ちた。


観測所は水を打ったような静寂に包まれ、ルメン王国の科学者たちは互いに顔を見合わせて完全に途方に暮れていた。


「……アリア殿下。先ほどの、あの少年……いや、神帝陛下とやらは、一体何を仰っていたのですか?」


ルメンの老学者が、戸惑いと疑念の入り混じった顔で口を開いた。


「飲み込んだ星をゲップできずに詰まっている……? まるで戯言にしか聞こえませんでしたが……」


「そ、そうですよ! いくら遠距離の空間転移ができたとはいえ、あれはただの無知な子供の思いつきなのでは……」


周囲の研究員たちからも、ヒソヒソと落胆と疑念の声が漏れ始める。


太陽系の絶対神帝と聞いて期待していたのに、やって来たのはブラックホールを見て怯えるだけのオドオドした子供で、挙げ句の果てにゲップが詰まっているなどと訳の分からないことを言って逃げ帰ってしまったのだから無理もない。


「しかし、神の如き技術を持つ文明の長だぞ? 何か深い物理学的な比喩かもしれない」


別の学者が、必死に思考を巡らせて口を挟んだ。


「例えば、飲み込んだ星というのは、事象の地平面に張り付いたままの恒星の残骸のことで……ゲップというのは、ホーキング放射やガンマ線バーストによるエネルギー放出を意味しているのでは?」


「だとしても、詰まっているというのはどういうことだ!? エルゴ球の回転を物理的に止めるような特異点など、我々の観測や理論上存在しない!」


「そもそも、彼が指差したのは降着円盤の外縁部、何もないただの空間だぞ! あんなところで何が詰まるというのだ!」


ルメンの学者たちの間で、レオの言葉を強引に解釈しようとする者と、ただの妄言だと切り捨てる者との間で、訳の分からない堂々巡りの議論が始まった。


「ええい、議論してても埒があかない! アリア殿下が連れてこられた方だ、とりあえず試してみるぞ!」


老学者が叫び、観測機器のコンソールを指差した。


「今すぐ、あの少年が指差されたあの宙域をスキャンしろ! 光学、電磁波、重力波、全帯域で解析をかけろ! 何が詰まっているのか、徹底的に調べ上げよ!!」


科学者たちが慌ててコンソールに飛びつき、観測所のすべての機器が、レオの適当に指差したブラックホール周辺の一点へと集中した。


けたたましい電子音が鳴り響き、モニターに次々と解析データが弾き出されていく。


ルメンの科学者たちは固唾を呑んで、その結果を凝視した。


「……どうだ? 何か見つかったか?」


「……いえ」


解析を担当していた研究員が、ひどく落胆したような、呆れたような声で報告した。


「駄目です。彼が指差した座標には……完全に何もありません」


「何も、ない」


「はい。星の残骸はおろか、ガスも塵一つない、ただの真空空間です。引力の乱れも、重力波の異常も、一切観測されません」


モニターに映し出されたのは、無慈悲なまでの無だった。


老学者が自らモニターを覗き込むが、データはどこまでも平坦で、何かの障害物が詰まっているような物理的な証拠は微塵も存在しなかった。


「本当にただの真空じゃないか! 何か、何か見落としていないのか!?」


「しかし……観測長、センサーの感度を最大にしても同じです。物理的な質量もエネルギーの偏りも、あの空間には存在しません。やはり、ただの何もない空間です」


観測所は、完全な混乱と絶望のどん底に突き落とされた。


「やはり……あの言葉には何の意味もなかったのだ……」


「ただパニックになって、適当な場所を指差して逃げただけだったんだ……。ゲップなんて、ただの子供の言い訳にすぎない……」


「我々は、からかわれただけなのか……」


科学者たちが次々と頭を抱え、途方に暮れて右往左往し始める。


「そ、そんな……」


アリア姫もまた、信じたい気持ちと目の前の残酷な結果の板挟みになり、唇を噛み締めて立ち尽くしていた。


いくらスキャンしても何も出ない。完全に意味がわからない。


ルメン王国の叡智を結集した彼らの頭脳は、レオの適当な言葉の迷宮に完全に閉じ込められ、機能不全に陥っていた。


「ああ……我々の星は、終わりなのか……」


誰もが深い落胆と諦めに包まれ、肩を落とした、その時だった。


「……ふしゅっ。ひゅふ、ひゅふふふふふっ……!!」


それまで隅で、自身の携帯型スキャナーを食い入るように見つめていたルル博士が、突然、背筋が凍るような不気味な笑い声を上げ始めた。


「あ、あああっ……! レオ様……なんという、なんという恐ろしいお方……!!」


ルルはボサボサの髪を両手で激しく掻きむしり、全身をガタガタと痙攣させながら、歓喜と狂気に満ちた瞳で宙を睨みつけた。


「ル、ルル博士殿……!? 何か、何か分かったのですか!?」


老学者がすがるように尋ねると、ルルはズレた眼鏡のまま、涎を拭いもせずに興奮の絶叫を上げた。


「ええ、ええ!! わかりましたともぉ! 陛下が指差した、何もない真空の空間……そして、飲み込んだ星をゲップできずに詰まっているという御言葉の真意が……!! あああっ! 尊い! 尊すぎますぅ!!」


ルル博士は、巨大なホログラムを展開し、そこに常人には理解不能な超高次元の数式を狂ったような速度で書き殴り始めた。


「よぉく聞いてくださいねぇ、ルメンの皆様ぁ! ブラックホールはぁ、ただ物質を飲み込んで質量を増やしているだけではありませんのよぉ!」


彼女は、血走った目で指を動かしながら、ルメンの絶望しきった学者たちを見回した。


「3次元宇宙がぁ、飲み込んだ物質の情報エントロピーでパンクするのを防ぐためぇ、ブラックホールは事象の地平面の奥……我々のこの3次元からは絶対に見えない4次元のバルク空間へと、余剰な情報を常に排出げっぷしているんですよぉ!!」


「な、なんと……!? 4次元空間へのエントロピーの排出……!?」


「そうですぅ! 陛下が指差した真空の空間に何もなかったのは当たり前ですぅ! なぜならぁ、陛下が指差していたのはこの3次元の座標ではなくぅ、その座標の奥にある、高次元への排出口だったんですからぁ!!」


ルル博士の説明に、ルメンの筆頭学者が雷に打たれたように硬直した。


「ま、まさか……!!」


「あひひっ、そのまさかですぅ! 4次元バルク空間へのエントロピーの排出口が、許容量を超えて詰まってしまった! その結果ぁ、排出できなかった情報の重さが時空の摩擦となりぃ、3次元側のエルゴ球の回転に急ブレーキをかけていた……!!」


ルルは自分の身体を抱きしめ、恍惚とした表情で身悶えした。


「質量変化もないのに回転だけが落ちていた理由……! これですべての説明が完璧に成り立ちますぅ! だから神帝陛下は、あそこの4次元が詰まっていると仰ったんですぅ!!」


「おおおおっ……!!」


ルメンの科学者たちは、狂乱のような歓喜の悲鳴を上げた。


「なんという……なんという恐るべき視点!! 我々が3次元の真空空間を観測して右往左往している間に、神帝陛下は高次元の情報の真理を我々に示してくださったのか!!」


「ええ、ええ! そういうことですぅ! だからぁ、解決策はたった一つしかありませんわぁ!」


ルル博士は、狂気に満ちた笑みを浮かべながら、手元のコンソールを激しく叩き始めた。


「我々太陽系のパーソナル・バルク技術を使ってぇ、その4次元の排出口に直接穴を開けてぇ……詰まったゲップを解放してあげればいいんですよぉ!!」


「おおっ……!! しかし、そのような莫大な未知のエネルギーを、どこへ排出すれば……!?」


ルメンの学者が再び絶望しかけた時、ルル博士は「あひゅっ」と奇妙な息を吐き、タブレットの画面を彼らに見せつけた。


「愚問ですねぇ。神帝陛下が去り際に「適当に切り上げて帰ってくるんだよ」と仰ったのを忘れたんですかぁ?」


「な、なんだと……!?」


「あれは私に、抜いた莫大なエネルギーを切り上げて、タイタンのシステムコアへ持ち帰れという、直接的なご命令ですよぉ!!」


ルル博士の異常な飛躍に、観測所の全員が息を呑む。


「つまりぃ、あのブラックホールの排出口から、タイタンのシステムコアに向けて、パーソナル・バルクの直通パイプを構築して繋ぎっぱなしにしておくぅ! そうすればぁ、太陽系のストレージがエネルギーを吸収し続けてぇ、ゲップが詰まることはない! これぞ完璧なエコシステムですぅ!!」


「…………っ!!」


ルメンの筆頭学者の顔が明るくなる。


「おお……なんという」


アリア姫もまた、感動のあまり顔をくしゃくしゃにして泣き崩れながら、レオが去っていった空間に向かって狂信的な祈りを捧げている。


「さあ、すぐに計算を始めますわよぉ!! 陛下の仰る通りぃ、4次元のバックグラウンドから飽和したエントロピーを排出しぃ、マザーシステムへのエネルギー供給バイパスを構築するのですぅ!!」


観測所の中は、かつてないほどの熱狂と歓喜の渦に包まれた。


ルメンの学者たちとルルは完全に意気投合し、文明の差も越えて、すさまじい勢いでブラックホール修復のための共同プロジェクトを爆発させていく。


そして…。


レオが逃げるようにタイタンに帰り、ふかふかのクッションでパフェを食べている間に。


レオの無責任なポンコツ発言から始まったこの狂気の行動によって、太陽系のシステムコアに、銀河中心の超大質量ブラックホールの無限の回転エネルギーという、物理法則をぶっ壊すような反則級の動力源が流れ込んだ。


太陽系の科学レベルとエネルギー総量が、さらにもう一段階上の神の領域へと超絶進化を遂げることになる。

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