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「……どうか、我々の星をお救いくださいませ!!」
タイタンの王宮の玉座の間。
最高級の純白の絨毯の上に、ルメン王国の第一王女であるアリア姫が、深々と頭を下げて懇願していた。
彼女の口から涙ながらに語られたのは、銀河の中心、いて座領域に鎮座する超大質量ブラックホールの原因不明の異常。
このままではあと数百年で彼女たちの星が軌道を維持できなくなり、その暗黒の淵へと飲み込まれて完全に消滅してしまうという、あまりにもスケールが大きすぎる絶望の未来だった。
今や毎日ゲームをしてお菓子を食べているだけの俺のポンコツ脳みそには、それがどれほどヤバい事態なのか、正直なところ全くピンときていなかった。
(そもそも数万光年も離れた銀河の中心の星の話なんて、太陽系に引きこもってダラダラしてる俺には関係なさすぎるだろ……)
俺の極限まで堕落した怠惰な本音は、完全にその事態を他人事として処理しようとしていた。
だが、目の前でボロボロと大粒の涙をこぼし、細い肩を震わせて泣きじゃくっている可憐な十代の女の子を、めんどくさいからという理由だけで無下に突き放すのは、俺の僅かな良心が激しく咎める。
「う、うーん……まあ、いきなりどうにかしてって言われても、俺には難しいことはよくわかんないし……」
俺がクッションに寝転がったまま、自信なさげにボソボソと言葉を濁すと、アリア姫はビクッと肩を震わせた。
「助けてあげるにせよ……まずは実際に現地を見てみないと、何も言えないかな……」
俺がそう答えた瞬間、アリア姫はパァッと顔を輝かせ、すがるような、そして強烈な希望に満ちた瞳で俺を見上げた。
「本当ですか……!? 太陽系の神帝様が自ら、わたくしの星へ赴いてくださるというのですか!?」
「う、うん……。どうせ君を星に送るんだし、俺もちょっとだけ行ってみるよ」
俺は現地に行っても宇宙物理学の話など一切できないので、早々に丸投げすることにした。
「俺じゃ難しい話は全然わかんないから、うちの優秀な科学者も一人連れて行くよ……」
俺の言葉に、アリア姫は「ああっ……!ありがとうございます!」と再び涙を流して深く平伏した。
◇
それから数時間後。
王宮の次元跳躍モジュールの冷却と時空連続体の修復が完了したのを確認した俺は、アリア姫とエルナと共に、出発の準備を整えていた。
そこに、システムコア経由で呼び出していた一人の女性が、王宮の転送ゲートからズルズルとだらしなく足を引きずりながら姿を現した。
「ふしゅっ……あひ、ひひひひっ……! お呼びでありますかぁ、レオ様ぁ……」
彼女の、鼓膜にネットリと絡みつくような不気味な声が、静かな玉座の間に響き渡る。
「銀河中心の超大質量ブラックホールの異常観測ぅ……? ああっ、ダメですぅ、なんという冒涜的で甘美な響き……!」
「未知の重力崩壊を想像しただけでぇ、私の脳髄がトロトロに溶けちゃいそうですぅ……ずずっ、あ、ヨダレが……」
サイズが全く合っていないダボダボの白衣をだらしなく羽織り、メガネの下の目には真っ黒で深いクマを刻み込んだ、ボサボサの黒髪の女。
彼女の名前は、ルル。
彼女はタイタンの王立研究所の所長であり、太陽系最高位の頭脳を持つとされる超天才の天体物理学者なのだが、いかんせんその性格と挙動が、周囲の人間が本気でドン引きするほど異常で気持ち悪かった。
彼女は自分の親指の爪をガリガリと噛みながら、片手に持った観測用タブレットの画面に頬を擦りつけ、ヨダレを垂らさんばかりの狂気的な視線を宙に彷徨わせている。
「ル、ルル……あんまり向こうの星の人を怖がらせないでよ。今回はただの現地の見学なんだからね……」
俺が本気でオドオドしながらドン引き気味に釘を刺すと、ルルは爪を噛むのをやめて、首をカクンと不自然な角度に曲げて俺を見た。
「もちろんですぅ、レオ様ぁ。我々太陽系の圧倒的な叡智がぁ、いて座領域の未熟な……いえいえ、とってもプリティで愛らしい皆様のデータを、骨の髄までチューチュー吸い……、じゃなかった、全力で観測のお手伝いをさせていただきますですぅ……あひっ!」
そう言いながらも、彼女の口元は歪にニヤけきっており、指先は早く未知のデータを解析したくてウズウズと芋虫のように蠢いていた。
アリア姫もあまりの気味の悪さに、完全に青ざめて顔を引き攣らせ、俺の後ろにそっと隠れようとしている。
「よし、じゃあ行くか。……えーっと」
俺は空中に浮かぶホログラムのコンソールに手を伸ばしかけて、ピタッと動きを止めた。
(……待てよ。さっき俺が適当にスワイプして銀河の反対側まで誤爆したんだよな……。また操作間違えて、どっかヤバい星に飛ばされたら最悪だ……)
俺の脳裏に、エラー画面を無視してボタンを連打したポンコツな記憶が蘇り、冷や汗が背中を伝う。
「……エルナ。俺がまた操作間違えると危ないからさ……ファストトラベルの実行、お願いしていい?」
俺が情けない声で隣を振り向くと、エルナは優雅に微笑んで一歩前に出た。
「かしこまりました。お運びいたします、レオ様」
エルナが流れるような美しい手つきで空中のコンソールを操作すると、王宮の空間がチカッと青白く歪み、俺たちの身体を幾何学的な光の粒子が優しく包み込んだ。
『――次元跳躍を実行します』
マザーシステムの無機質な音声が、俺たちの脳内に直接響き渡る。
『――冷却待機中に構築された、対象座標への直線専用ネットワークを使用。距離、約二万六千光年。跳躍を開始します』
マザーシステムがさらりと告げたアナウンス。
どうやら俺がクッションでダラダラと待っている数時間の間に、安全な直通ルートのネットワークを、システムコアが綺麗に敷設してくれていたらしい。これなら今回はオーバーヒートの心配もなさそうだ。
アナウンスが完了した直後、俺たちの視界は完全に圧倒的な光の奔流に呑み込まれた。
物理的な移動時間を完全に無視し、4次元の裏側を通って空間と空間を直接移動する、太陽系究極のインフラ技術。
そして、視界が再び晴れた時。
俺たちはすでに、数万光年離れた見知らぬ星の空の下に立っていた。
「おお……! アリア王女殿下! ご無事でしたか!!」
「殿下が、見知らぬ方々を連れて……!?」
俺たちが降り立ったのは、ルメン王国の王城の最も高い場所に位置する、巨大な天体観測所の広いバルコニーだった。
突如として空間から現れた俺たちを見て、無数の観測機器を操作していたルメン王国の科学者や騎士たちが騒然となり、次々と膝をついてアリア姫を出迎える。
だが、俺の目は、彼らの姿にも、足元に広がる発展した美しい街並みにも、あるいは彼らが着ているレトロフューチャーな服装にも、一切向いていなかった。
「……なんだよ、これ……。冗談だろ……」
俺の口から、魂が抜け出たような、ひどく間抜けで掠れた呟きが漏れた。
そこには、俺がタイタンで毎日見上げているような、空は存在しなかった。
視界の半分。いや、空の大部分を完全に覆い尽くすほどの、途方もなく巨大な漆黒の穴。
光すらも逃げ出せない絶対的な虚無の空間が、ただ無言で、そこにあるすべての存在を圧倒的な質量で圧迫し、世界そのものを押し潰すように、空にポッカリと鎮座していた。
その漆黒の周囲には、強烈な重力に捕らえられ、吸い込まれていく星間ガスや塵が光速に近い速度で摩擦し合って、眩い光の輪が不気味なオレンジ色の輝きを放って激しく渦を巻いている。
さらに、ブラックホールの強烈すぎる重力レンズ効果によって、背後にある無数の星々の光がぐにゃりと奇妙な曲線を描いて歪み、まるで宇宙そのものが歪んだガラス玉の中に閉じ込められているかのような、狂気に満ちた圧倒的で暴力的な絶景だった。
ただ見上げているだけで、平衡感覚が完全に狂い、自らの肉体も魂も、すべてがあの漆黒の底へと引きずり込まれていくような恐ろしい錯覚に陥る。
「ひぃっ……!」
俺は、あまりのスケールの違いと、生物としての根源的な恐怖に耐えきれず、思わず隣にいたエルナのメイド服の裾をギュッと握りしめて後ずさってしまった。
(いやいやいやいや!! 怖い怖い怖い! あんなの絶対吸い込まれるって!!)
心臓が早鐘のように打ち、足の震えが全く止まらない。
ただの平和ボケしたぐうたらゲーマーである俺のポンコツな脳みそは、一瞬で完全なる降伏と逃亡を宣言していた。
太陽系の技術がいくら凄いと言っても、限度というものがある。
あんな星を何億個もまとめて丸飲みするような宇宙の怪物を相手に、俺がどうこうできるわけがないのだ。
俺が冷や汗をダラダラと流し、今すぐにでもタイタンに逃げ帰りたい衝動と必死に戦っていると、アリア姫がルメン王国の首席科学者たちに事情を説明し終えたようだった。
「異星の科学者殿……! アリア殿下からお話は伺いました。どうか、我々のこの観測データを見ていただきたい!」
ルメン王国の筆頭学者と思われる白髭の老人が、藁にもすがるような顔で、複雑な数式が浮かび上がるホログラムの束をルルの前に差し出した。
「ああっ、見ます見ますぅ! クンクン……はぁ、舐め回すように見させていただきますよぉ……あひひっ!」
ルルはデータから漂う匂いを嗅ぐような異様な仕草をした後、眼鏡を不気味な手つきでスッと押し上げ、老学者のホログラムに本当に舌を這わせそうなほど顔を近づけ、太陽系のスキャナーに読み込ませた。
「我々の星は、この超大質量ブラックホールの自転によって生じる空間の引きずり効果から生まれる……エルゴ球の領域から、莫大な回転エネルギーを抽出して文明の動力源としてきました」
老学者は、ドン引きしている周囲の視線を気にすることなく、血を吐くような悲痛な声で説明を続ける。
「ですが、我々の観測によれば、そのエルゴ球の回転ベクトル……ブラックホール自体の角運動量が、ここ数年で異常なほどの減衰を見せているのです!」
老学者は、空中に浮かぶ複雑な数式やグラフのホログラムを次々と切り替えながら、切羽詰まった様子で語り続けた。
「周囲の降着円盤の質量や、星間ガスの流入量には、全くと言っていいほど変化がありません! 吸い込む質量も重力も一定に保たれているはずなのに、なぜか自転の回転数値だけが、目に見えない強烈なブレーキをかけられたように落ち続けているのです!」
老学者の言葉に、周囲のルメンの科学者たちも絶望に顔を覆った。
「あらゆる観測機器を用いて調査しましたが、エルゴ球の回転を阻害するような巨大な質量は、この宙域のどこにも存在していないのです!」
「このままでは、遠心力と引力の均衡が崩れ、我々の星の軌道は維持できなくなります……! 物理法則に完全に反しており、原因が全く掴めないのです!」
「……あひひっ、なるほどぉ。確かに、この超大質量ブラックホールの質量に対してぇ、角運動量の減衰率が異常すぎますねぇ」
ルルは、ルメン王国のデータを見つめたまま、太陽系の最新鋭の携帯型空間スキャナーをブラックホールに向け、不気味な笑い声を漏らした。
彼女の目の前に、常人では理解できない超高次元の数式とグラフが次々と展開されていく。ルルはそのデータを愛おしそうに指でなぞりながら、ブツブツと呟いた。
「質量の降着率とぉ、スピンパラメータの推移がぁ、完全に理論値から乖離していますぅ。私のスキャナーで重力波や時空の歪みを計測してもぉ、エルゴ球の回転を阻害するような物理的な質量はぁ、この宙域の空間のどこにも存在していませんですゥ」
太陽系が誇る超天才のルルですら、計算結果を見て顔をしかめ、その異様な風貌のまま爪を噛みながらブツブツと呟き始めた。
「完全に物理法則を無視したブレーキがかかっていますゥ……。やはりぃ、降着円盤の内部で未知の磁気リコネクションが発生しているのでわぁ……?」
「馬鹿な、それならばガンマ線のバーストが観測されるはずだ! やはり微小なホーキング放射の偏りによる質量欠損……」
「ひふっ! いいえぇ、このサイズのブラックホールでぇ、ホーキング放射がマクロな影響を与えるなどあり得ませんですよぉ! 角運動量テンソルに直接干渉している何かがぁ……」
観測所は重苦しい沈黙と、高度な物理学の専門用語が飛び交う、終わりの見えない難解な議論の場と化してしまった。
アリア姫が、両手で祈るように組みながら、俺の顔をじっと、すがるように見つめてくる。
(いや、俺をそんなキラキラした期待の目で見られても困るんだけど……!)
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