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【地球大統領視点】


私、アーサー・マクスウェルは、第六十三代地球連邦大統領として、この青き星の統治を全権で担っている。


かつての愚かな国家間の戦争や、深刻な環境破壊の時代を乗り越え、現在の地球は、絶対的なマザーシステムの管理のもとで歴史上類を見ない繁栄と平和を謳歌している。


私は厳格な法治主義と冷徹な現実主義をもって、この複雑な地球という星をまとめ上げ、今日の安定を築き上げてきた自負がある。


だからこそ、私の胸の奥底には、常に消し去ることのできない忸怩たる思いがあった。


いまでは太陽系の絶対的な頂点に君臨するまでに至った太陽系絶対神帝、レオ陛下。


彼はわずか五歳にしてタイタンの王となり、就任当初から現在に至るまで、支持率八十パーセント以上を常にキープし続けている。


大衆は彼を救世主のごとく崇め奉っているのだ。


一方、日々の煩雑な政務に忙殺され、時に地球の未来のために冷酷な決断を下さねばならない私の支持率は、良くて四十パーセント台を推移している。


不敬を承知で言えば、あの若き陛下は、自ら表舞台に立って血の滲むような政治を行ったことなど一度もない。


王宮の玉座の奥深くに引きこもり、ただマザーシステムに守られているだけの若者にしか見えなかった。


なぜ、私がこれほど身を粉にして働いているのに、大衆はあの若造にばかり熱狂するのか。


私は密かに、為政者としての強烈な嫉妬と、己の支持率が彼に負けているという事実への悔しさを噛み締めていたのである。


だが、私のその傲慢で底浅い認識は、先日の事件で完全に粉砕されることとなった。


数日前、深宇宙より突如として放たれた未知の光速攻撃。


地球防衛軍の早期警戒システムがそれを検知した時、残された猶予は皆無だった。


いかなる迎撃ミサイルも、エネルギーシールドも間に合わない。


私を含め、地球の全首脳陣が人類の完全なる滅亡を悟り、ただ絶望に凍りつくことしかできなかった。


しかし、陛下だけは違った。


彼は玉座から一歩も動くことなく、表情一つ変えずに、太陽系全体を覆うほどの巨大な絶対防衛力場を展開し、あの天文学的なエネルギー波を完全な無傷で防いでみせたのだ。


私たちが誇っていた地球の防衛軍など、大宇宙の脅威の前では赤子も同然。


真の力とは、真の統治者とは何かを、私はその時、魂の底から思い知らされたのである。


そして現在。


私は地球大統領府の地下に設けられた最高度機密室にて、隣接するモニターの向こうにいる火星議長と共に、息を詰めて専用の通信回線を見つめていた。


画面には、玉座に座るレオ陛下と、空中に投影された未知の異星文明ゼニスの使節のホログラムが映し出されている。


『太陽系の送信した「H2O(水)」のメッセージを受領した。全素体による協議が完了。結論を出力する。……我々を容易に屈服させられると思うな。我々の絶対防衛マトリクスは現在、最大出力にて貴星系の座標を捕捉している。不用意な干渉は自滅を招くものと理解せよ』


ゼニスの使節が放つ、無機質でありながら強烈な殺気を伴った威嚇。


私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


相手は未知の超高度文明だ。


最大出力で照準を合わせられている今、一歩でも交渉を間違えれば、次こそ太陽系は灰燼に帰す。


私であれば、極度の緊張の中で防衛的な外交辞令を並べ立てていただろう。


だが、若き神帝は、玉座の上でただ退屈そうに首を傾げた。


「あ、あー……さっきの話なんだけどさ。あなたたち、水ってやっぱり必要ですか?」


「水、欲しい?」というメッセージは、事前に陛下からゼニスへ送られていたものだ。


だとしても、敵が最大出力でロックオンしている、殺意を剥き出しにしているこの極限状況下である。


一切の動揺を見せず、平然と同じ話題から交渉の続きを切り出すその底知れぬ胆力に、私は息を呑んだ。


『……言語解析完了。当該発言の意図が不明である。当方への挑発と認識。宣戦布告と定義するか、全素体で協議中である。……協議完了。結論を出力する。極めて敵対的である』


敵が怒りを露わにする。交渉が失敗した?


だが、ここから展開された陛下の言葉の応酬で、私は完全に思考の迷宮へと叩き落とされることとなった。


「違う違う! 怒らないで! いや、欲しいならあげるんだけどさ。ただ、そっちまで送るのってとんでもない送料がかかるんだよね。送料をそちらが負担してくれるなら、今すぐでもいいんだけど……何光年も離れてるし、とんでもない額になるよ? そっちで全部払えるの!?」


送料……?


何のことだ?


私はモニター越しに、思わず眉をひそめた。


純粋に水というペイロードを太陽系外へ運ぶことなど、現代の我々の超空間輸送技術をもってすれば極めて容易い。


とんでもない額の送料など、物理的にも経済的にも発生するはずがないのだ。


陛下がそんな初歩的な事実を知らないはずがない。


これはおそらく、単なる輸送以外の意味が含まれているに違いない……!


いったい何の暗喩だ?


『……推論実行。全素体での協議完了。結論を出力する。天文学的輸送コストの全負担要求は、当星系のエネルギーと富を根こそぎ奪い尽くす経済的収奪の宣告と認定』


ゼニス側は、その送料という言葉の裏にある意味を解読し、戦慄の声を上げた。


私にはさっぱりわからない。


だが、陛下はさらに謎の言葉を重ねる。


「それにさ! 水ってナマモノだから、長期間運んでると腐るんだよ! 途中で謎のバクテリアとか藻がめちゃくちゃ繁殖して、そっちに着く頃にはドロドロの緑色のヘドロみたいになってるかもしれないだろ!? そんなのそっちの星にぶちまけたら、未知の病原菌とかで大惨事になるよ!?」


私は、自身の震える手を強く握り締めた。


水が腐る?


バクテリアが繁殖する?


送る際、宇宙空間は絶対零度に近い真空だ。


いかなる生物も、そのような極限環境で生息・繁殖できるはずがない。


陛下も当然ながらそんなことは分かっているはず。


完全に物理法則と生物学を無視したこの発言は、一体何を比喩しているのだ?


『……情報共有。事象をシミュレート。協議完了。結論を出力する。当該物質内での未知の微小生命体の培養、および意図的な投下。自律増殖型生化兵器による、星系全体の不可逆的汚染宣告と認定』


なんと……!


ゼニス側は、陛下のあり得ない物理的矛盾の発言から、常識を超越した自律増殖型の生化兵器という回答を導き出し、恐怖に震え上がっているのか?


さらに陛下は、理解不能な追い討ちをかけた。


「あとさ! 宇宙空間で巨大な水の玉ができたら、無重力だからまん丸な水滴になるでしょ? それが太陽の光を集める虫眼鏡みたいになっちゃって、そっちの星が黒焦げに燃えちゃうかもしれないんだよね! 小学校の理科の実験でやったでしょ? 黒い紙が燃えるやつ! あれの超デカい版だよ!」


虫眼鏡……!?


軌道上に巨大な水のレンズを展開して星を燃やす!?


これも然りだ。


水のような物質で、しかも星間距離を隔てて恒星光を一点に収束させるなど、光学的な観点から言って完全に不可能だ。


自重で崩壊するか蒸発する。


なぜ陛下は、こんな荒唐無稽な話を、究極の兵器であるかのように語っているのだ!?


この交渉の意図が全く分からず、私は激しく困惑していた。


破綻の連続。


だが、その言葉がもたらした結果は、私の常識を根底から破壊するものであった。


『……物理演算完了。全素体の限界に到達。……結論を出力する。超巨大流体レンズの軌道上展開による恒星光収束殲滅攻撃と断定。我々の生存圏を完全に破壊する多段式環境破壊兵器の投下予告と認定』


『……全素体の合意が形成された。結論を出力する』


『我々はこれ以上の対立を望まない。……どうすれば、その物質の投下を停止してもらえるか。我々の星系の希少資源を譲渡する案で合意した。交渉を要求する』


ゼニスの使節が、それまでの威圧的な態度を完全に崩し、降伏を懇願してきたのだ。


恐るべき異星文明が、私には全く意味のわからない暗号のような応酬だけで、完全に心を折られたのである。


「え、えっと、代償とか別に何もいらないよ。そっちが嫌なら、無条件で送らないって約束してあげる。こっちも助かるし」


陛下は、敵が差し出した命綱とも言える希少資源を、まるで見向きもせずに切り捨てた。


『……情報解析。代償の無条件放棄。協議完了。結論を出力する。当方の資源に一切の価値を見出していない、絶対的上位者の余裕と認定』


『……我々の、完全なる敗北である』


「あ、納得してくれた? よかった。じゃあお互いに、絶対に手出ししないでおきましょうね」


そして最後に、陛下はトドメの一撃を放つ。


「じゃあさ、とりあえず……そうだな、100年くらい? 完全に放置ってことでどう? こっちもそっちに行かないから、そっちも絶対にこっちに来ないで」


画面の向こうで、ゼニスのアバターが激しく明滅し、沈黙した。


私には、敵のその反応の意味すら分からなかった。


なぜ「100年」なのだ?


恒星間航行を行うほどの超高度文明にとって、100年という時間はあまりにも中途半端で、全く根拠のない適当な数字に思える。


最大出力で防衛網を稼働させている相手に対し、そんな適当な期間を提示して交渉がまとまるはずがない。


だが、敵はその言葉を聞いた瞬間、決定的な何かを宣告されたかのように絶望の色を滲ませ、静かに、そして絶対的な服従の意志を示したのだ。


『……情報照合。太陽系100年、76ゼニス周期。協議完了。結論を出力する。……合意する』


『我々は向こう76ゼニス周期、太陽系100年間の間、絶対に貴星系へ干渉しないと誓約する』


「ええ、じゃあそういうことで。通信切りますね!」


通信が切断され、玉座の間に再び静寂が戻った。


私は、地球大統領府の執務室で、己の浅はかさを深く恥じ、そして同時に、かつてないほどの圧倒的な畏敬の念に打ち震えていた。


隣のモニターでは、火星議長もまた顔面を蒼白にしながら、無言で深く頭を垂れている。


『な、なんという……』


私は、机に手をついて震える声で呟いた。


『私には……何が起きたのか全く理解できなかった……。送料や水が腐る、虫眼鏡などという、物理的にも科学的にも意味不明な言葉の数々が、なぜ防衛網を最大稼働させていた未知の敵をあれほど絶望させ、無条件降伏へと追い込むことになったのか……』


火星議長も、引き攣った顔で頷いている。


『我々凡人の知能では、推し量ることすら不可能です。敵が突如として絶望し、自ら資源を差し出してまで降伏を懇願してきた真意など、我々には見当もつきません』


私は地球を背負う為政者としての厳格な矜持がある。


決して感情を露わにして泣き喚くような真似はしない。


だが、極度の緊張からの解放と、人智を超えた知性への圧倒的な畏怖によって、私の顔は引き攣り、額からは冷や汗が流れ落ちていた。


今ならはっきりとわかる。


私が支持率で彼に及ばないのは、理不尽でも何でもない。


至極当然の事実だったのだ。


私には、彼の言葉の真意が何一つ理解できなかった。


最後に提示された100年という期間の意図も、敵がなぜそれに完全な服従を示したのかも、一切わからない。


だが、結果として敵は完全に心を折られた。


彼だけが敵の深層言語と論理構造を完全に理解し、我々のような常識に囚われた凡人には到底及ばない、遥か高次元の駆け引きで敵を屈服させたのだ。


私は静かに立ち上がり、モニター越しに映る、玉座でだらしなく背伸びをしている若き神帝の姿に向かって、姿勢を正し、最も深い敬礼を捧げた。


太陽系は、永遠に安泰だ。


彼という規格外の存在が、あの中央玉座に君臨し続けている限り。


「太陽系の永遠の平和に、万歳!!」


私は己の役割を全うしよう。


この偉大なる王が、煩わしい日常の政務などに手を煩わせることなく、永遠の安寧を貪れるように、この地球の裏方を死ぬ気で支え続けること。


それこそが、私に与えられた最大の使命なのだ。

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