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王宮の玉座の間に、かつてないほどの張り詰めた緊張と、凍りつくような沈黙が漂っていた。


斜め後ろには、専属メイドのエルナが冷徹な彫像のように無音で控えている。


俺の目の前の空間に、システムコアを介して未知の存在のホログラムが投影されていた。


青白い光の粒子が、空中で幾何学的な多面体を形作っている。


どんな生態系で、どんな文明なのか、こっちには情報が全くのゼロだ。


これが、俺の「水、欲しい?」というメッセージに応答し、はるばる深宇宙から通信を繋いできたエイリアンの使節のアバターだった。


(最悪だ……! 本当にエイリアンがコンタクトしてきやがった!!)

俺は玉座の上で、心臓が口から飛び出しそうになるのを必死に堪え、顔の筋肉を硬直させていた。


背中には滝のような冷や汗が流れている。


怖すぎる。


相手の戦力も、思考回路も一切不明だ。


先日のエイリアンの光速攻撃は、システムコアが暴走して奇跡的に盾を作って防げただけ。


今の太陽系の防衛力は実質スッカラカンである。


まともな星間戦艦なんて一隻すらない。


もし交渉が決裂し、今攻め込まれたら俺たちは絶対に負ける。


絶対に、こちらの戦力がゼロであることを悟られてはならない。


しかも俺は、とんでもない致命的なミスを犯していたことに気づき、絶望のどん底にいた。


(バカバカ! 俺のポンコツ脳みそ! 機嫌取りのつもりで「水欲しい?」なんて聞いちゃったけど、ここは太陽系だぞ!?)


相手は何光年も離れた遠い宇宙だ。


今の太陽系に、そんな宇宙の果てまで大量の水を安全に届ける宇宙船なんて、一隻もあるわけがない!!


もし向こうが「水が欲しい! 今すぐ持ってこい!」と言ってきたらどうする!?


「あ、すいません、運ぶ手段がないんで無理です」なんて言えば、太陽系の技術力が大したことないと完全にバレてしまう。


舐められて「我々をからかったな!」とブチギレられれば、間違いなく攻め込まれて殺される!


(絶対に「水が欲しい」と言わせてはいけない! なんとしても強気を装いながら、向こうから「やっぱり水はいりません」と断らせないと!)


通信画面の端では、地球大統領と火星議長が、脂汗を流しながらこの会談を息を詰めて見守っている。


『――ネットワーク同調、完了』


光の多面体から、感情の起伏が一切ない、無機質で複数の音が混ざり合ったような合成音声が響いた。


『太陽系代表のメインコアへ告ぐ。太陽系の送信した「H2O(水)」のメッセージを受領した。全素体による協議が完了。結論を出力する。……我々を容易に屈服させられると思うな。我々の絶対防衛マトリクスは現在、最大出力にて貴星系の座標を捕捉している。不用意な干渉は自滅を招くものと理解せよ』


使者が、光を鋭く尖らせて、機械的な威嚇を放ってきた。


(……うわっ、めっちゃ警戒して凄んできてるじゃん!)


俺は喉の奥がカラカラになるのを感じた。


相手は捕捉していると言っている。


完全に臨戦態勢だ。


だが、裏を返せば、相手もこちらの未知の防衛力を警戒して、手を出しかねている状態ともいえる。


俺たちは互いに戦力を隠し、腹の探り合いをしているのだ、多分。


ならば、ここで少しでも怯えを見せれば終わる!


「あ、あー……さっきの話なんだけどさ」


俺は、震えそうになる声を必死に押し殺し、なんとか探りを入れた。


「あなたたち、水ってやっぱり必要ですか?」


ピタッ。


玉座の間に、重い沈黙が落ちた。


光の多面体が細かく明滅を繰り返す。


『……言語解析完了。当該発言の意図が不明である。当方への挑発と認識。宣戦布告と定義するか、全素体で協議中である。……協議完了。結論を出力する。極めて敵対的である』


使者の声が、不気味なほど淡々と響いた。


(やばい! 敵対的とか言ってる! 今にも撃ち込まれそう!)


俺は冷や汗をかきながら、大人のポンコツ脳みそをフル回転させ、必死に言い訳を口走った。


「違う違う! 怒らないで! いや、欲しいならあげるんだけどさ。ただ、そっちまで送るのってとんでもない送料がかかるんだよね」


俺は輸送船がないことを隠すため、必死に言い繕った。


「送料をそちらが負担してくれるなら、今すぐでもいいんだけど……何光年も離れてるし、とんでもない額になるよ? そっちで全部払えるの!?」


光のアバターが、激しく明滅した。


『……推論実行。全素体での協議完了。結論を出力する。天文学的輸送コストの全負担要求は、当星系のエネルギーと富を根こそぎ奪い尽くす経済的収奪の宣告と認定』


(うわ、なんか固い言葉でぶつぶつ言ってる! まだ納得してないのか!? もっと水を送らない方がいい理由を足さなきゃ!)


俺はさらに、昔テレビやネットで見た浅い知識から、もっともらしい言い訳を引っ張り出した。


「それにさ! 水ってナマモノだから、長期間運んでると腐るんだよ! 途中で謎のバクテリアとか藻がめちゃくちゃ繁殖して、そっちに着く頃にはドロドロの緑色のヘドロみたいになってるかもしれないだろ!? そんなのそっちの星にぶちまけたら、未知の病原菌とかで大惨事になるよ!?」


『……情報共有。事象をシミュレート。協議完了。結論を出力する。当該物質内での未知の微小生命体の培養、および意図的な投下。自律増殖型生化兵器による、星系全体の不可逆的汚染宣告と認定』


使者の合成音声が、わずかにバグったようにノイズを混じらせた。


(まだだ、もう一押し! 絶対に断らせるんだ!)


俺は焦りのあまり、小学生の頃の理科の実験を引っ張り出した。


「あとさ! 宇宙空間で巨大な水の玉ができたら、無重力だからまん丸な水滴になるでしょ? それが太陽の光を集める虫眼鏡みたいになっちゃって、そっちの星が黒焦げに燃えちゃうかもしれないんだよね! 小学校の理科の実験でやったでしょ? 黒い紙が燃えるやつ! あれの超デカい版だよ!」


『……物理演算完了。全素体の限界に到達。……結論を出力する。超巨大流体レンズの軌道上展開による恒星光収束殲滅攻撃と断定。我々の生存圏を完全に破壊する多段式環境破壊兵器の投下予告と認定』


光の多面体が、もはや形を保てないほど激しく歪み、チカチカと不規則な明滅を繰り返した。


『……全素体の合意が形成された。結論を出力する』


使者が、それまでの鋭いトーンから一転し、低く平坦な電子音を響かせた。


『我々はこれ以上の対立を望まない。……どうすれば、その物質の投下を停止してもらえるか。我々の星系の希少資源を譲渡する案で合意した。交渉を要求する』


(……えっ!?)


俺は内心、激しく戸惑った。


なんで急に資源をあげるとか言い出してんの? 全く意味がわからない。


虫眼鏡の例えがそんなに嫌だったのか?


だが……向こうから水を送るのをやめてくれ、と交渉してきている!


輸送のための宇宙船がなくて絶体絶命だった俺にとっては、奇跡的な大ラッキーだ!!


(いや待て、落ち着け。もしここで、資源もらう!なんて飛びついたら、じゃあ取りに来てくださいって言われるかもしれない! こっちには星間移動できる宇宙船なんて一隻もないんだ! 受け取りに行けないなんて言えば、戦力ゼロだと完全にバレてしまう! 欲張ったら終わりだ!)


俺は心臓のバクバクを必死に抑え込み、今にも悲鳴を上げそうなのを堪えて、なんとか余裕のある強者を演じ切った。


「え、えっと、代償とか別に何もいらないよ」


俺は顔の筋肉を制御し、軽く手を振ってみせた。


「そっちが嫌なら、無条件で送らないって約束してあげる。こっちも助かるし」


『……情報解析。代償の無条件放棄。協議完了。結論を出力する。当方の資源に一切の価値を見出していない、絶対的上位者の余裕と認定』


使者の光が、完全に白く固まった。


『……我々の、完全なる敗北である』


使者が、深く頭を垂れるように光の形を沈み込ませた。


「あ、納得してくれた? よかった。じゃあお互いに、絶対に手出ししないでおきましょうね」


(頼むから来ないでくれ! 来られたらこっち防衛力ゼロで絶対負けるんだから!)


俺は心の中で土下座しながら祈った。


いやまだだ!ちゃんと約束しないと後で攻められて後悔する!適当な期間を指定して不可侵条約を結ばなければ。


「じゃあさ、とりあえず……そうだな、100年くらい? 完全に放置ってことでどう? こっちもそっちに行かないから、そっちも絶対にこっちに来ないで」


俺は、防衛力がないことを隠すため、あくまで適当な思いつきを装って提案した。


光のアバターは、深い沈黙に落ちた。


光の多面体が細かく明滅を繰り返す。


『……情報照合。太陽系100年、76ゼニス周期。協議完了。結論を出力する。……合意する』


使者の声が、なぜか絶対的な上位者に対するような畏怖の響きを帯びた。


『我々は向こう76ゼニス周期、太陽系100年間の間、絶対に貴星系へ干渉しないと誓約する』


(……えっ?)


俺の背中に、冷たい汗がツーッと流れた。


(なんであっさり合意してくれたの!? 最大出力でロックオンしてるって凄んでたから、今すぐ撃ち込まれるかと思ってヒヤヒヤしてたのに……なんで100年なんて適当な提案で、すんなり引き下がってくれたんだ!?)


でも、


(相手の考えていることはさっぱり分からないけど……でも、とにかく撃たれずに済んだんだよな!?)


理由は全く不明だが、とにかく交渉成立だ! これ以上余計なことを言ってボロが出る前に、早く通信を切らなきゃ!


「ええ、じゃあそういうことで。通信切りますね!」


俺は強張った顔で挨拶をして、システムコアの通信を強制的に切断した。


ホログラムが、空間に溶け込むように消滅する。


「……終わった……」


玉座の間で、俺は糸が切れたようにガクッと膝から崩れ落ちた。


(なんか勝手に納得して帰っていった……殺されるかと思った……! 宇宙船がないこともバレなかったし、僕が生きている間の安全は確保できたけど……怖かったぁぁ……)


俺が玉座にへたり込んでガクガクと震えながら冷や汗を拭っていると、通信画面の向こうで、息を詰めて会談を見守っていた地球大統領と火星議長が、信じられないものを見るような目で画面越しに固まっていた。


『な、なんという……』


地球大統領が、机に手をついて震える声で呟いた。


『私には……何が起きたのか全く理解でなかった……。送料や水が腐る、虫眼鏡などという言葉が、なぜ防衛網を最大稼働させていた未知の敵をあれほどパニックに陥らせ、無条件降伏へと追い込むことになったのか……』


火星議長も、顔面を蒼白にして頷いている。


『我々凡人の知能では、推し量ることすら不可能です。敵が突如として絶望し、自ら資源を差し出してまで降伏を懇願してきた真意など、我々には見当もつきません』


大統領が、畏怖の念に打たれたように深く平伏した。


『……だが、陛下だけが! 陛下ただ一人だけが、敵の深層言語と論理構造を完全に理解し、我々の及ばない未知の次元の駆け引きで敵を屈服させた……! 敵の隠された事情を見通し、100年という期間で敵を完全に釘付けにされたのだ!』


「陛下の知性は、もはや神の領域……!」


「「「 太陽系の永遠の平和に、万歳!!」」」


画面の向こうで、いい年した大統領と議長が、俺を拝み倒している。


俺は引きつった顔のまま、曖昧に手を振って通信を切った。


(……いやいやいや! 俺も何一つ理解してないんだけど!?)


俺は床にへたり込んだまま、呆然とホログラム画面を見つめた。


深層言語? 未知の次元の駆け引き?


いやいや、俺はただ宇宙船がなくて水を運べないって事実を誤魔化すために、昔テレビで見た浅い知識を適当に並べて必死に言い訳しただけだぞ。


それに100年だって、俺が死ぬまでの時間を適当に言っただけで、敵の隠された事情なんか何一つ見通してない。


なんであんなに凄んでたエイリアンが、理科の実験の話をした途端に勝手に納得して帰っていったのか。


なんで大統領たちがこんなに泣いて感動しているのか。


マジで謎だ。


もしかして、宇宙人って地球の小学生以上に理科の実験がトラウマだったとか?


それとも、実はあっちも宇宙船持ってなくて、着払いの送料の話でパニックになったとか?


(まあ、考えても無駄か。宇宙人の考えることなんて、どうせ俺のポンコツ脳みそじゃ一生わからないし)


重要なのは、太陽系の宇宙船がないという最大の弱点がバレずに済んだこと。



そして、100年間は絶対に戦争が起きないという奇跡の言質を取ったことだ!


100年平和なら、俺が寿命で死ぬまで夜間のオンコール対応で叩き起こされることはない!


俺の安眠は完全に保証されたのだ!


俺が死んだ後のことは、100年後の未来の奴らが勝手に何とかするだろ。


俺には知ったこっちゃない。


俺はまだガクガクと震えている自分の膝を擦りながら、ふかふかの玉座に深く背中を預けた。


理由はさっぱり分からないし、思い出すだけで寿命が縮むくらい怖かったけど……結果オーライだ。


「とりあえず今日は、宇宙戦争から生還できたご褒美に、美味しいおやつでも食べてゆっくりお昼寝しよう」


周りの大人たちが勝手に深読みして勘違いしてくれているおかげで、俺の平和なサボり生活は守られる。


俺は歓喜の涙を流す首脳陣を適当にスルーしながら、これから始まる平穏なニート生活に、ただひたすらに安堵の深呼吸を繰り返していた。

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