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地球外生命体からの謎の攻撃から1週間後。
俺の目の前には、重厚なジュラルミンケースが置かれていた。
その中には、不吉な赤いランプをゆっくりと明滅させている、見慣れない分厚い通信端末が収められている。
「レオ陛下。地球統一政府および火星共和国より、特大案件が届いております」
斜め後ろに控える専属メイドのエルナが、感情の読めない冷徹な口調で告げた。
通信画面の向こうには、地球大統領と火星議長が、疲労の滲む重苦しい顔で映し出されている。
『レオ大帝陛下。エイリアンの脅威に備え、我々は太陽系の外縁部に早期警戒センサー網と自動迎撃艦隊を配備した』
大統領が深く頭を下げて言う。
『敵の再攻撃がいつ来るかは予測不可能ゆえ、最高司令官である陛下には、これより24時間365日の常時監視プロトコルの実行……すなわち、この専用端末によるオンコール待機をお願い申し上げる』
火星議長が続く。
『もし外縁部に少しでも不審な反応があれば、それが深夜であろうと、直ちに陛下の端末へ緊急アラートを送信いたします。人類が生き残るためには、常に陛下の即時決裁を仰ぐ他ないのです。どうか端末を、片時も離さずお持ちください』
(はぁ!? 24時間オンコール待機!? ふざけるな!!)
俺は内心で思い切り絶叫し、その赤い通信端末を睨みつけた。
前世のIT社畜時代、俺の精神を一番確実に削り取った地獄の業務がそれだ。
「何かあったらすぐに電話に出られるようにしろ」と言われ、夜中も枕元に業務用スマホを置いて寝るあのプレッシャー。
深夜三時、泥のような眠りの底にいる時に鳴り響く、無機質なバイブレーション。
あの音を聞いた瞬間の、心臓が直接握り潰されるような動悸と冷や汗。
「障害発生!内容は…」という報告から始まる、原因が特定できるまで終わらない無限のログ解析。
休日の夜でさえ、いつ鳴るかと怯え、鳴ってもいない着信音が耳の奥で響くファントム・バイブレーション症候群。
人間の尊厳と睡眠を根こそぎ破壊する究極のデスマーチ。
あんな寿命が縮むような真似を、転生してまで、しかも一生やれって言うのか!?
絶対に嫌だ! 俺は毎晩、朝まで誰にも邪魔されずぐっすり眠りたいんだよ!
俺のポンコツな大人の脳みそは、極限の現実逃避から猛烈な勢いで回転し始めた。
そもそも、何でエイリアンは太陽系を攻撃してきたんだ?
彼らが攻撃してこないようにできれば、こんなオンコール待機なんてしなくて済む。
どうすればいいか、前世の歴史を思い出せ。
戦争を仕掛ける理由なんて、大義名分を剥ぎ取ればだいたい何かが欲しいからだ。土地、エネルギー、資源。
宇宙空間には人が住めない星や土地なんて腐るほど余っている。
なら奴らが欲しいのは太陽系にある特定の資源だ!
前世のクレーム対応の極意と同じ。
怒り狂うクレーマーには、まともに話を聞く前に、とりあえず相手が欲しがりそうな粗品を投げてさっさと機嫌を取るのが、一番手っ取り早くて自分の時間を守る最善の術だ。
では、太陽系にあって、他所にないものとは何か?
俺の素人知識が導き出した答えは一つ。
地球は青い海の星だ。
タイタンだって氷の塊だ。
宇宙全体で見れば、水って意外とレアなんじゃないか?
(よし。適当に水をプレゼントして、ご機嫌を取って太陽系からご退席いただこう!)
俺は地球大統領と火星議長に向かって、口を開いた。
「夜中に起こされるの絶対やだ。却下」
『……なっ』
大統領たちが絶句する。
「ねえ。エイリアンにさ、お水、欲しい?って聞いてみてよ」
『……は? エイリアンに、水が欲しいか尋ねる?』
地球大統領が、本気で意味がわからないという顔で聞き返した。
「そう。戦争の理由なんて、だいたい何かが欲しいからでしょ。うちにはお水がたくさんあるから、あげたら満足して攻撃してこないんじゃない?」
大統領と火星議長は、互いに顔を見合わせて困惑した。
『し、しかし大帝陛下。敵にこちらからメッセージを送るなど、相手を刺激しかねん、不用意すぎでは……』
大統領が言葉を詰まらせるが、火星議長が腕を組んで深く考え込み始めた。
『……いや、待ってください大統領。陛下の仰る通りかもしれません。先日、未知の知的生命体からの殲滅兵器の信号を受信した際、同じ通信帯域を特定済みです。こちらからピンポイントで送信することは技術的に可能です』
火星議長は、戦慄したように目をカッと見開いた。
『敵の放った暗号プロトコルをあえて使って通信を叩きつける……! これはエイリアンどものネットワークを完全に掌握していると知らしめる、強烈なサイバー制圧のデモンストレーションになるかもしれません!』
『なるほど……?』
大統領も息を呑んだ。
『その上で、あえて水という根幹資源を提示し、敵の反応から軍事的な需要や経済的弱点を探り出せるかもしれません!』
(いや、ただの粗品のつもりなんだけど……)
大の大人たちが勝手に深読みして盛り上がり始めたので、俺は適当に話を切り上げた。
「じゃあそういうことで。送信したらあとは放っておいて。僕、眠いからもう寝るね。その物騒な通信機は持って帰って!」
俺はジュラルミンケースを突き返し、通信をぶつりと切った。
(よし! これで向こうが「水ください」って言ってきたら、適当に氷の小惑星でも放り投げてやれば平和的解決だ。俺の安眠は完全に守られた!)
◇
太陽系から遥か彼方の深宇宙。
彼ら、統合知性体の集合、名称ゼニスには、個としての深い自我や感情は存在しない。
彼らは進化の過程で非効率な有機の肉体を捨て去り、完全な論理空間へと移行した。
個体は単なる演算素体や推論素体といった記号で呼ばれ、極低温の超伝導ネットワークに結合した全体としての集合体が、ひとつの巨大な知性として意思決定を行っている。
今、その冷徹であるはずの論理ネットワーク空間は、かつてない焦燥と致命的エラーのノイズで激しく泡立っていた。
〈観測素体#304より報告。太陽系への恒星エネルギー圧縮攻撃、失敗。完全に相殺されました〉
〈演算素体#811。事象の理解不能。現在の太陽系の技術レベルでは、我々の空間断裂を伴う兵器は絶対に防ぎようがなかったはずだ。なぜ防がれた!?〉
統合知性体全体が、計算リソースの限界を超えるパニックに陥っている。
〈推論素体#059。太陽系の技術発展速度は異常だ。シンギュラリティとなる技術的特異点を遥かに超える速度で進化している。このままでは必ず技術力が逆転し、我々が滅ぼされる〉
〈戦略素体#102。ゆえに、我々が優位に立つ上位者であるうちに早めに刈り取ろうとしたのだ。それなのに、失敗した〉
〈致命的状況。当方の殲滅兵器は、母星系の恒星から直接エネルギーを吸引する構造上、次弾の装填に約76ゼニス周期(太陽系で100年)を要する。現在、我々に有効な攻撃手段は皆無である〉
〈極度の焦燥。攻撃したことで、眠れる規格外の知性を過剰に刺激してしまった。同時に、我々の存在と空間座標も完全に知らせてしまった。我々は現在、絶対的脅威に対して完全に無防備だ〉
どうする。どうする。
彼らは論理の迷宮で右往左往していた。
もし今、あのバケモノのように異常進化する太陽系人類が報復艦隊を差し向けてくれば、76ゼニス周期間、無防備な我々は確実に滅ぼされる。
その時だった。
〈警告。太陽系の座標より、当方の非公開クアンタム帯域へ直接の通信を受信。言語を翻訳します〉
ネットワーク全体が、凍りついたように静まり返った。
表示されたメッセージは、ゼニスのプロトコルに完璧に翻訳された、極めて短く、冷酷な一文であった。
『水、欲しい?』
〈――――ッ!?〉
統合知性体を構成する全素体に、激しい量子コヒーレンスの崩壊ノイズが駆け巡った。
〈水(H2O)だと……!?〉
〈環境素体#402。解読不能。我々の母星系において、3つの氷殻惑星は完全に安定しており、水資源の枯渇は一切観測されていない。我々は水を全く必要としていない。それなのに、なぜ奴らはあえて宇宙にありふれた水という物質を提示してきた?〉
なぜ、水なのか。
個を持たないゼニスの高度な集合知性は、その意味を求め、パラノイア的な深読みと演算の暴走を開始した。
〈推論素体#128。水(H2O)をあえて指定してきたことに、恐るべき暗喩が存在する〉
幾千億の並列思考が、化学、物理、軍事戦略のあらゆる側面からその一言を解体していく。
〈物理素体#711が第一の解答を共有。我々の殲滅兵器の構造を思い出せ。我々の兵器は恒星エネルギー水素プラズマだ。奴らはそれを無力化した上で成分を解析したのだ〉
〈水素(H)の爆発的燃焼の最終生成物……その燃えカスこそが水(H2O)である!〉
〈……ッ!! つまり奴らは、お前たちの母星系の恒星(水素)を、我々の力で一瞬にして強制燃焼させ、ただの燃えカスの水に変えてやろうか?と、恒星破壊の予告を行っているのだ!!〉
ネットワーク全体に、戦慄のノイズが走った。
〈生体素体#205が第二の解答を共有。水は普遍的な溶媒である! 極低温の超伝導環境下でしか自我を保てない我々無機生命体にとって、液体の水が引き起こす電磁気的ノイズと腐食は、物理回路をショートさせ自我を完全に融解させる最悪の猛毒である!〉
〈奴らは我々の生態的弱点すらも完全にスキャンしている! 我々の猛毒(水)を貴様らのネットワークに注ぎ込んで、その秩序を混沌に溶かしてやろうか?という、究極のサイバー・物理複合攻撃の宣告!!〉
〈極度の恐怖! 軍事素体#999が第三の解答を共有! 質量兵器としての脅威だ!〉
〈彼らは未知の次元演算で我々の光速攻撃を相殺した。ならば、非圧縮性の流体である巨大な氷の小惑星を、相対論的速度……光速の33.9%まで加速させて我々の母星系に撃ち込むことなど容易い!〉
〈光速で撃ち込まれた氷塊は、地殻に激突した瞬間に凄まじい水蒸気爆発を引き起こす。星の内部に楔を打ち込み、我々の星系を物理的に完全に粉砕するという脅迫だ!!〉
論理が飛躍し、深読みが新たな恐怖の連鎖を呼ぶ。
〈言語解析素体#001。送信文の構文をさらに解析。……驚愕。奴らは我々の強固な暗号通信を突破し、言語体系を完璧に理解していながら、あえて原始的で、幼児のような単純な構文「欲しい?」を使用している〉
〈これは……我々を対等の敵としてすら見ていない証拠。知性を持たない下等生物に餌を投げ与えるかのような、圧倒的な上位者としての傲慢さの誇示!〉
〈我々の足元に這いつくばり、燃えカスを舐める飼い犬に成り下がれという、完全なる服従要求だ!!〉
我々の技術は劣り、我々の星系構造は完全に把握され、我々の生殺与奪の権は完全に奴らの手に握られている。
『お前たちの恒星を、ただの水に変えてやろうか?』
『お前たちの秩序を、猛毒で腐食させてやろうか?』
『光速の水の鉄槌で、星ごと物理的に粉砕されたいか?』
逆らえば、一瞬で燃やされ、溶かされ、粉砕される。
今の我々では絶対に勝てない。
逃げ場など、宇宙のどこにもない。
〈全素体、限界演算終了。……結論を出力する〉
広大なネットワーク空間を埋め尽くしていたパニックのノイズが、静かな、絶対的な絶望へと急速に収束していく。
〈全素体、意思を完全統一。我々に抵抗の余地は存在しない〉
〈これ以上の敵対行動は、母星系の完全なる物理的崩壊、死を意味する。太陽系の底知れぬ知性と残酷なる力に対し、我々は絶対的な恭順を示す以外に生存の道はない〉
〈直ちに一切の武装を解除し……太陽系に対する完全なる無条件降伏の使者を送信せよ!! 急げ、我々の星系が水に沈められる前に!!〉
暗黒の深宇宙で、かつて人類を滅ぼしかけた恐るべき異星文明ゼニスは、レオが夜ぐっすり眠るために放った適当な一言によって、戦わずして完全にその心をへし折られ、来るはずのない水の恐怖に怯え続けるのであった。




