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12.

タイタン下層、第4居住区。


むき出しの太いチタンパイプが低い天井を這い、常に排気と合成オイルの焦げた匂いが漂う薄暗い大衆食堂スターストライク。


今日の店内は、テーブルと椅子の間をすり抜けるのも一苦労なほど、作業着姿の星民たちでごった返していた。


グラスのぶつかる音、誰かの怒鳴り声のような笑い声、そして鉄板で合成肉が焼ける煙が、狭い空間に充満している。


かつてのタイタンでは、こんな風に現実の店にむさ苦しいオッサンや若者がすし詰めになることなどあり得なかった。


仕事が終われば皆、自室のカプセルに引きこもり、巨大仮想空間にダイブして、アバターの姿で綺麗な仮想の酒場で乾杯するのが当たり前だったからだ。


だが、あのレオ陛下が下したVRアクセス1日1時間制限というとんでもない勅令のせいで、俺たちの余暇は強制的に現実へと引き戻された。


最初は暴動寸前まで荒れたものだが、いざ集まってみると、隣の奴の汗の匂いや、肩を叩き合う物理的な感触というのも悪くない。


仮想空間の薄っぺらい情報にはない生きてる実感と仲間との熱い連帯がここにはあった。


今ではこのむさ苦しい食堂が、俺たち一般市民の大事な井戸端会議の場になっている。


だが、ここ数日の食堂の空気は、グラスを合わせる気にもなれないほど重苦しく、ヒリヒリとした苛立ちと不満に満ちていた。


「……あー、クソッ! どうなってんだよ。俺の貨物船のライセンス更新、もう5日間も完全にストップしたままだぞ」


俺――しがない貨物ドライバーのダンは、味のしない合成肉の塊をフォークで乱暴に突き刺しながら、低く唸った。


「港のコンテナは溢れかえってるのに、システムが許可を出さねえから荷物が運べねえ。このままじゃ今月のメシ代も怪しいぞ」


「お前だけじゃないさ。俺の結婚許可証の申請も保留のままだ」


向かいの席で、配管工の若手ボラが頭を抱えながら、力なく合成ビールを煽った。


「彼女に、本当は自分と結婚したくないからシステムのせいにしてるだろって泣きつかれるし、マジで勘弁してくれよ。生活インフラの窓口が全部凍結してるなんて、タイタンの歴史上初めての異常事態だぞ」


「……原因のウワサは聞いてるか?」


隣のテーブルから、白髪交じりの元ネットワーク・エンジニア、ジャックスが渋い顔で身を乗り出してきた。


「情報局の裏回線に出入りしてるダチから漏れ聞こえたんだが……レオ陛下が、マザーシステムにとんでもない命令を出したらしい。星屑一つない暗黒宙域、セクターX-9を標的にして、空間を断裂させろっていう、物理学的に完全に意味不明な命令なんだとよ。そのせいでシステムがパンクして、俺たちの手続きが全部後回しにされてるって話だ」


「はぁ? 何もない空間を断裂させるだと……?」


俺は思わず聞き返した。


「おいおい、いくらなんでも無茶苦茶だろ! そんなもん、計算が無限のエラーに陥ってシステムがクラッシュするだけだぞ!」


食堂の空気が、一段と冷たくなる。


俺たちタイタン市民は、これまでレオ陛下を、タイタンをユートピアに導いた稀代の賢王として狂信的に崇拝してきた。


防衛増税も、あの忌まわしいゴミデータ探しも、最初は理不尽だと思ったが、すべては国を豊かにし、マザーシステムを進化させるための完璧な布石だった。


俺たちは幾度となく己の浅はかさを恥じ、あの幼き王の恐るべき知性に平伏し、その見据える高次元の真理を完全に信じ切っていたのだ。


だからこそ、この事態がどうしても腑に落ちなかった。


「……陛下は、あの恐るべき知能で何十手も先の未来を見通してきたはずだ」


俺は奥歯を噛み締めた。


「だが、市民の生活インフラを麻痺させてまで、存在しない虚空を攻撃しようとするなんて……どうこじつけても、国益に繋がるとは思えない」


「おい、まさか……」


ボラが、震える声で呟いた。


「陛下は……あの絶大なプレッシャーに耐えきれず、ついに精神を病んでしまわれたんじゃないのか……!?」


その言葉に、誰も「バカなことを言うな!」と反論できなかった。


5歳の幼い王が、全人類の未来を背負う重圧に耐えかねてついに狂い、見えもしない幻影に取り憑かれてしまったのではないか。


その恐ろしい疑念が、生活を人質に取られている俺たちの心に、黒い不満と恐怖の炎を灯し始めていた。


「ふざけるなよ……俺たちはあんたの圧倒的な知性を信じて、命を預けてたんだぞ!」


ボラがテーブルをドンッと叩き、悲痛な声で叫んだ。


「なのに、自分の妄想のために俺たちの生活を人質に取るなんて……これじゃ、ただの暴君じゃないか!」


「いい加減にしてくれ! 俺の仕事を、俺たちの日常を返せ!」


食堂のあちこちで、抑え込まれていた市民の怒りが引火し、グラスが割れる音が響いた。


その時だった。


バンッ!! と食堂のドアが乱暴に蹴り開けられ、アンダーグラウンドの通信ギルドに出入りしている若者テオが、顔面を土気色にして転がり込んできた。


「た、大変だ!! みんな、外を見てくれ!!」


「どうしたテオ!? プラントの事故か!」


「違う!! 地球と火星の軍事回線の暗号を解読したんだ! システムコアが……地球と火星の自動防衛網をハッキングして、無人建設ドローンを数億機単位で強奪した!! 奴ら、本気でブチギレてるぞ!!」


「な……に……!?」


俺たちは一斉に店を飛び出し、ドームの透明な天井を見上げた。


遠くで輝いていたはずの太陽が、黒いシミのような建造物に侵食され、みるみるうちに光を失っていくのが見えた。


そして、その手前の虚空には、肉眼でも確認できるほどのおびただしい数の艦隊の光が、タイタンをすっぽりと包囲している。


『――タイタンの狂王レオに告ぐ』


テオの端末から、ノイズ混じりに地球軍司令官の怒号が響き渡った。


『貴様らが我が地球と火星の無人ドローン群を強制ハッキングで強奪し、太陽エネルギーを独占する巨大施設を建造した大罪、もはや弁明の余地はない。直ちに全システムを停止し、ドローンを返還せよ。さもなくば3分後、全艦隊より惑星破壊ミサイルを一斉発射し、タイタンを物理的に消滅させる』


「――――ッ!!」


通りにいた数千人の市民から、絶望の悲鳴が上がった。


「終わった……」


ボラが、アスファルトにへたり込んで号泣し始めた。


「俺たちの生活をメチャクチャにしただけじゃ飽き足らず、宇宙戦争まで引き起こしたのか!? 何もない虚空を攻撃するエネルギーを集めるために、他国のインフラを盗むなんて! 俺たちを道連れにして自滅する気かよ!!」


「あのクソガキ……!! 俺たちは、狂王を神だと崇めていたのか!!」


裏切られたという絶望。理不尽に殺されるという絶対的な恐怖。


俺たちは空を覆う連合艦隊を見上げながら、自分たちの愚かさを呪い、レオ陛下へのありったけの憎悪と悲しみを吐き出していた。


『ミサイル発射まで、残り60秒』


テオの端末が、無機質なカウントダウンを刻む。


誰もが膝をつき、隣の者と肩を抱き合い、死を覚悟した。


俺の人生も、結婚を控えたボラも、タイタンという誇り高き星も、一人の狂王の妄想のせいで宇宙の塵となって消え去るのだ。


だが…。


その終わりは、ミサイルの着弾ではなかった。


『――緊急警報レッドアラート


突如、テオが傍受していた軍事回線から、地球軍のオペレーターのパニックに陥った悲鳴が爆音で流れ始めた。


『大統領! 太陽系外縁部、セクターX-9より……超極大のエネルギー波束の接近を探知!! 相対速度、光速の21.9%!』


『異常な高圧縮ガンマ線バーストです! 未知の知的生命体による、恒星系殲滅兵器です!! 回避不能!! 太陽系が消滅します!!』


「……え?」


俺たちは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、互いに顔を見合わせた。


エイリアンからの攻撃? 太陽系が消滅する?


ミサイルのカウントダウンが止まった。


連合艦隊も、人類すべてが、逃れようのない真の滅亡を前に完全に凍りついたのがわかった。


「おい、ちょっと待てよ。セクターX-9って……」


ジャックスが、目を見開いたまま震える声で呟いた。


「さっき、陛下がマザーシステムに攻撃目標として指定したって言ってた、あの暗黒宙域か……?」


俺たちは顔を見合わせた。どういうことだ?空間を裂く計算はどうなるんだ? 俺たちの頭が混乱の極みに達した、その瞬間だった。


ピカァァァァァァァァァァッッ!!


ドームの窓の外、宇宙の闇そのものを焼き尽くすような、純白の閃光が迸った。


俺たちの太陽から、一条の極太の光の槍が、深宇宙へ向けて恐るべき速度で撃ち放たれたのだ。


数十秒後。 太陽系の外縁部で、飛来する太陽系殲滅の光と、タイタンから放たれた純白のエネルギーが、寸分の狂いもなく真正面から激突した。


音など聞こえるはずもないのに、宇宙空間がひしゃげ、次元が軋むすさまじい振動がドーム越しに伝わってくるようだった。


極限の干渉の果てに、二つの光は対消滅を起こし……無害な光の粒子となって、宇宙の闇へと霧散していった。


…………。 ………………。


タイタンの通りは、水を打ったような圧倒的な静寂に包まれていた。


「……消滅、した」


ボラが、口をぽかんと開けたまま呟いた。


「何が起きたんだ……? エイリアンの攻撃はどうなったんだ?」


「わからない……ただ、あの光がぶつかって、消えた……」


俺も呆然と呟くしかなかった。


システムコアが何を計算し、何を放ったのか。


なぜ何もないはずの宙域に撃ったエネルギーが、ドンピシャでエイリアンの攻撃にぶつかったのか。


俺たち凡人の頭では、状況がまったく追いついていなかった。ただ、訳が分からないまま、死なずに済んだということだけが事実としてそこにあった。


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