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新約:止まった懐中時計は、神様をひとり隠している  作者: ぽんさん
第三章 目覚めた妖狐はもう一度旅を選ぶ

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エピローグ ~紙芝居は道の続きをまだ知らない~

 白い狐の昔話を聞いた街では、その日も広場の端に木箱が置かれていた。

 市の店じまいを始める大人たちの傍らで、子供たちが老人を囲んでいる。買い物籠を抱えた子もいれば、遊んでいる途中で駆け寄ってきた子もいた。

「それから、白い狐は神様や旅人たちと、ずっと遠くまで旅をした」

 老人が絵板を替える。

 白い狐も、小さな神様もいなくなり、道だけが描かれた板が現れた。

 前に座った子供が、木箱を覗き込もうとする。

「それで?」

「ここで、おしまいじゃ」

「またそこ?」

 聞いたことのある子が、すぐに声を上げた。

 老人は困ったように笑う。

「わしの知っておる話は、ここまでじゃからな」

「狐は?」

「この辺りでは、今も旅の続きを待っておると言う者もいる」

 子供たちの視線が、もう一度、絵に戻った。

 道には誰もいなかった。


 ◇


「今日は、ここで泊まろうか」

 街を出た日の午後、結人は街道脇の林で荷物を下ろした。

 日暮れまでは、まだ時間がある。木々の向こうに見える空は明るく、もう少し先へ進むこともできそうだった。

 ただ、荷物を下ろした途端、肩と脇腹が揃って休憩に賛成した。

「さんせーいなの」

 リンも、近くの木の根元に腰を下ろした。

「明るいうちに寝る場所作れるの」

「水も近いですね」

 アイリスが、少し離れたところを流れる小川を見る。

 アカツキは林の奥へ鼻先を向け、しばらく風を嗅いでから頷いた。

「騒がしい気配もない。ここならよかろう」

「じゃあ、決まり」

 結人が背負い紐を解く横で、白音も荷物を下ろした。

 白い尾が、草の上へ広がる。その一本が木の枝に引っかかり、白音は振り返ってそっと外した。

「九本あると、そこも大変なんだな」

「見ておらんで、そちらの枝をどけてくれぬか」

「はいはい」

 結人が枝を持ち上げると、尾はするりと抜けた。

 リンが座ったまま、二人の足元を指す。

「そこ、寝る場所にしない方がいいの」

「どうして?」

「雨が降ると、水が通るの。こっちの方が少し高いの」

 白音が地面を見比べた。

「なるほど。では、この木の向こうまで使うかや」

「うん。そっちなら大丈夫なの」

 敷物を広げる場所が決まると、皆がそれぞれ動き始めた。

 結人は枯れ枝を集め、アイリスは鍋と食材を取り出す。白音は足元の小石や枝を退け、リンと一緒に寝床を整えた。

 アカツキは荷物のそばへ伏せた。大きな身体に場所を取られ、リンが敷物を少しずらす。

「アカツキ、そこまで使うの?」

「まだ空いておろう」

「尻尾の分、忘れてたの」

「私のか?」

「白音のもなの」

 白音が自分の尾を振り返った。

「少し寄せればよかろう」

 九本の尾がまとまって動くと、今度はリンの敷物の端が隠れた。

「そっちじゃないの」

「注文が多いのう」

 結人は枝を抱えたまま笑った。

 前に林で泊まった時よりも、寝床を決めるのに少し時間がかかった。

 火を焚く場所を整え、細い枝を組む。結人が火種を取り出そうとすると、白音が隣へしゃがんだ。

「それで、火をつけるのかや」

「うん」

「ならば、童がやろう」

 白音が指先を伸ばした。

 小さな青い火が灯り、乾いた枝の先へ移る。

 細い枝がぱちりと鳴った。白音が手を引くと青い火は消え、燃え始めた枝だけが残った。

「助かる」

「このくらい、すぐじゃ」

 結人は少しずつ薪を足した。

 火が落ち着いてから、近くの平たい石へ懐中時計を置く。蓋を開けると、文字盤の上にフィリアが姿を現した。

『太い枝は、もう少し後でよいぞ』

「これ?」

『うむ。先に細いものを燃やせ』

 結人は手にしていた枝を脇へ置き、別の一本を取った。

 白音が時計を覗く。

「ねえさまは、そこでも口を出すのじゃな」

『役に立つことを言うておる』

「そうじゃのう」

『何じゃ、その返事は』

「褒めておる」

『そうは聞こえぬぞ』

 鍋を運んできたアイリスが、笑いながら二人の間へ腰を下ろした。

「では、お湯が沸くまで見ていてくださいね」

『任せておけ』

「ねえさま、仕事をもろうたぞ」

『おぬしも、そこの薪を寄せい』

 白音は言い返しかけてから、結局、薪を手の届くところへ寄せた。

 やがて、鍋から湯気が上がり始めた。

 切った野菜と干し肉を入れると、辺りに夕食の匂いが広がる。リンの耳が動き、白音の耳も同じ方を向いた。

「二人とも、もう少し待ってて」

 結人が言うと、リンは鍋から目を離さず答えた。

「分かってるの」

「童は、何も言うておらぬぞ」

「耳が」

 白音は自分の耳に触れた。

 その横で、アカツキが小さく鼻を鳴らした。

「おぬしもじゃ」

 白音に言われ、狼は静かに目を閉じた。

 夕食ができあがる頃には、木々の間から差す光が低くなっていた。

 アイリスが器にスープをよそい、結人がパンを配る。白音は受け取ったスープを少し取り分け、時計の前にも置いた。

「ねえさま」

『うむ』

 小さな神様が椀を覗き込み、満足そうに頷く。

『よい味じゃ。アイリス』

「ありがとうございます」

 アイリスは嬉しそうに笑ってから、自分の器を持った。

「もう少し塩を足そうか、迷ったんですけれど」

「お肉にも味があるから、ちょうどいいの」

 リンが答える。

 白音も一口飲み、静かに頷いた。

 結人はパンをちぎり、湯気の向こうを見る。

 白い髪に、夕日が薄く色をつけていた。白音の隣ではリンが熱い肉を冷まし、その向こうでアイリスが鍋に蓋をしている。

 誰かが器を置くたびに、草が小さく鳴った。

「そういえば」

 リンが白音を見た。

「白音は、自分の紙芝居、見たことないの?」

「童の?」

「この前、話した昔話」

 結人が付け足す。

「神様と狐が、一緒に旅に出るやつ」

「ああ。あれか」

 白音が器を膝へ下ろした。

「ないのう。童は、どのように描かれておった?」

「白くて、尾が九本あって。結構、大きかったよ」

「ふむ。そこは合うておるな」

「神様は小さかったの」

『狐と比べれば、そうなるであろう』

 フィリアがすぐに口を挟んだ。

 白音は文字盤の上を見た。

「そこも合うておるのう」

『今と比べるでない』

「何も言うておらぬぞ」

『顔に出ておる』

 白音が笑った。

 器を持つ手が少し揺れ、慌てて両手で支え直す。

「それで。どこまで話になっておった?」

「山の外へ、旅に出たところまで」

「その先は?」

「道の絵だけだった」

 結人が答えると、リンも頷いた。

「おじいさんが子供の頃から、そこで終わるんだって」

「そうか」

 白音は焚き火へ目を向けた。

 細い枝が燃え尽き、赤い炭の上へ崩れる。

「最後に、狐は今も旅の続きを待ってるって。そう言う人もいるらしい」

 結人は、老人から聞いたことをそのまま伝えた。

 白音はしばらく黙っていた。

 それから、自分の横に置かれた旅の荷物を見た。

「そこは、直してもらわねばならぬのう」

「今度、あの街を通ったら話してみようか」

「ふむ」

 白音は少し考え、パンを一口かじった。

「しかし、今日は歩いて、飯を食っておるだけじゃぞ」

「途中で休んだの」

「休んだのう」

「これ食べたら、寝るの」

「……絵にするには、あまり盛り上がらぬ続きではないかや」

 結人も今日一日を思い返してみた。

 街を出て、歩いて、休んで、また歩いた。

 大きな魔物にも会わなかった。道を間違えもしなかった。

 今のところ、夕食に何か問題が起こる気配もない。

「まあ、そうかも」

「でも」

 アイリスが器を持ったまま、少し首を傾げた。

「狐が元気にしているって、分かります」

 白音が顔を上げた。

「途中で終わってしまったら、わたくしも、その後が気になりますから」

「……そういうものかや」

「はい」

 アイリスは頷き、スープを一口飲んだ。

 白音も、手元の器へ目を落とす。

「ならば、寝たままで終わらせるでないぞ」

「うん?」

「朝には、また出かけるのじゃからな」

 結人は笑って頷いた。

「そこまで伝えるよ」

『その前に、道を覚えておくのじゃぞ』

 フィリアが言った。

『また同じ街へ戻るつもりならな』

「そこは、地図があるから」

「リンも覚えてるの」

「わたくしも、宿まででしたら」

 白音が皆を見回す。

「ずいぶん、頼もしいことじゃ」

「白音も一緒に行くんでしょ?」

 リンが尋ねた。

「当然じゃ。童の絵を見に行くのに、童だけ置いていくでない」

『きっと、文句を言うぞ』

「ねえさまの方が先に言うのではないかや」

『言わぬ』

「神様、小さかったの」

『リン。その話はもうよい』

 皆が笑った。

 白音も笑いながら、冷め始めたスープを飲んだ。


 ◇


 日が沈むと、林の中は急に暗くなった。

 食器を洗い、荷物をまとめ、明日の朝に使うものを取り出しやすい場所へ置く。

 リンは寝床を整えながら、白音の尾をちらりと見た。

「どうしたのじゃ」

「本当に、重ねて寝るの?」

「前にも言うたであろう」

「見たいの」

「寝るだけじゃぞ」

 白音が座り直し、尾を身体の横へ寄せる。白い毛が重なり合い、敷物の上に柔らかい山ができた。

 リンが感心したように耳を立てた。

「あったかそうなの」

「おぬしにも、あるであろう」

「一本なの」

「九本あれば、手入れも九本分じゃ」

「それは大変なの」

 納得したらしく、リンは自分の紅い尾を抱えて横になった。

 その隣でアイリスが毛布を引き上げる。

「おやすみなさい」

「おやすみなの」

「うむ。おやすみ」

 白音は二人が落ち着くのを待ち、結人を見た。

「最初は童が起きておる。おぬしも寝てよいぞ」

「じゃあ、お願いしようかな」

 アカツキとも見張りの順番を決めてから、結人も毛布へ入った。

 身体を横たえると、思っていたより疲れていたことが分かった。目を閉じるだけで、すぐに眠れそうだった。

 焚き火のそばには、開いた懐中時計が置かれている。

 白音が薪を一本足し、その横へ座った。

「ねえさまは、まだ起きておるのかや」

『もう少しの』

「そうか」

 白音はそれだけ言って、火へ目を向けた。

 しばらくは、薪の燃える音だけが続いた。

 結人がうとうとし始めた頃、白音の声が聞こえた。

「……絵の童は、九本とも、きちんと尾を描いてもろうておったのかや」

『描かれておったわ』

「重なって、八本に見えたりはせなんだか」

『自分で確かめるのではなかったか』

「気になっただけじゃ」

 結人は目を閉じたまま、少し笑った。

「ちゃんと九本あったよ。リンが数えてた」

「ならばよい」

『寝かせてやれ』

「ねえさまも答えておったであろう」

『おぬしが聞いたからじゃ』

「うん。二人とも、声は小さめでね」

 返事の代わりに、二つの声が揃って止まった。

 少しして、白音が小さく笑うのが聞こえた。

 結人は毛布を引き上げた。

 明日の朝も、荷物をまとめて歩き出す。

 今度は寝床を作る時、尾の分も忘れずに場所を空けておこうと思った。


 ◇


「狐、まだ一人で待ってるのかな」

 広場で、子供の一人が尋ねた。

 老人は、道だけの絵を見た。

「さてなあ」

「神様、迎えに来ないの?」

「来たかもしれんし、狐の方から出かけたかもしれん」

「おじいさんも知らない?」

「ああ。知らん」

 老人は正直に答えた。

 子供は不満そうに唇を尖らせたが、絵板からは目を離さなかった。

 向こうの店先から、帰るように呼ぶ声がした。

 買い物籠を抱えた子が立ち上がる。それをきっかけに、他の子供たちも少しずつ広場を離れ始めた。

「またやってね」

「ああ」

「続きが分かったら、教えて」

「分かったらな」

 老人が頷くと、子供はようやく笑って駆けていった。

 広場に残った老人は、古い絵板を一枚ずつ木箱へ戻した。

 月の下の白い狐。

 神様と喧嘩をする白い狐。

 同じ火を囲み、共に道を行く白い狐。

 最後の一枚をしまう前に、老人は板の端についた埃を、指でそっと払った。

 白い狐が、また旅に出たことも。

 火を囲んで笑い、明日の道を話していることも。

 その古い紙芝居は、まだ知らない。

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