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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第九話 小さい光

春が近づいていた。

 

地下の風が、少し柔らかくなる。

 

白いLED。

乾いた空気。

歩き疲れた牛達。

 

でも、冬の頃より、みんな少しだけ軽く見える。

 

コートが薄くなるだけで、人は少し呼吸しやすくなるらしい。

 

地下を歩きながら、水を飲む女の子達の事を思い出す。

 

小さいグラス。

氷の音。

細い指。

 

あれも、多分、呼吸だった。

 

人は、ずっと呼吸を探している。

 

店へ入る。

 

「こんばんは」

 

女の子が笑う。

 

その瞬間、少し空気が変わる。

 

それが不思議だった。

 

大きな事は、何も起きていない。

 

でも。

 

小さい呼吸が、少し重なる。

 

それだけで、人は案外救われる。

 

その日、店は少し混んでいた。

 

テーブルのあちこちで、氷が鳴る。

 

カラン。

 

誰かが笑う。

 

別の誰かも、少し笑う。

 

空気がゆっくり揺れている。

 

その揺れを見ていると、ふと思う。

 

人間は、多分。

 

一人で強くなっている訳じゃない。

 

どこかで、誰かの呼吸を借りている。

 

少し空気をもらう。

 

少し感謝を受け取る。

 

そして、自分もまた少し返す。

 

その繰り返しで、今日を歩いている。

 

「最近、少し元気そうですね」

 

女の子が言う。

 

「そうですか?」

 

「前より、呼吸してます」

 

その言葉に、少し笑ってしまう。

 

呼吸してます。

 

昔の自分なら、多分意味が分からなかった。

 

でも今は、少し分かる気がする。

 

地下の牛は、ずっと息を止めていた。

 

閉じたまま、歩いていた。

 

でも。

 

少し穴を開ける。

 

少し空気を通す。

 

すると、人はまた発酵し始める。

 

草を食べる。

水を飲む。

感謝を混ぜる。

 

その繰り返しで、少しずつ呼吸が戻る。

 

店を出る。

 

銀座の夜風が、少し暖かい。

 

地下へ降りる。

 

白いLED。

歩き疲れた牛達。

 

でも、その群れの中に立っていると、以前ほど孤独じゃなかった。

 

誰も、完全には閉じていない。

 

みんな、どこかで少し通じている。

 

その小さい通気の積み重ねが、街の空気を作っている。

 

地下鉄が滑り込む。

 

白い風。

 

その風を受けながら、ふと思う。

 

人間は、多分。

 

誰かと完全に分かり合うためじゃなく。

 

少し呼吸を通わせるために、生きているのかもしれない。


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