第五十八章 白い地下へ差し込むもの
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その白さの中へ「差し込んでくるもの」がある気がする。
風。
光。
沈黙。
呼吸。
それらは、どこか遠くから地下へ静かに入り込んでくる。
昔の自分は、多分。
全部、自分で作るものだと思っていた。
意味も。
価値も。
答えも。
自分の頭で組み立て、自分の力で掴むものだと思っていた。
でも今は違う。
人は、多分。
少し空くと、何かが差し込んでくる。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その一瞬だけ、地下へ見えない光が差し込む気がした。
その感じが、妙に好きだった。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は、空っぽじゃない。
静かに、何かが差し込んでいる。
見えない光みたいに。
「最近、探してないですね」
女の子が、小さく言う。
「探してない?」
「前は、ずっと何か見つけようとしてた」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ずっと何か見つけようとしてた。
多分。
昔の自分は、未来へ向かっていた。
もっと先。
もっと奥。
もっと本質。
そうやって、ずっと前へ進もうとしていた。
でも。
本当に必要だったのは、多分。
前へ進むことじゃなかった。
少し止まること。
少し空くこと。
少し、水を飲むこと。
すると。
そこへ、静かに何かが差し込んでくる。
風みたいに。
光みたいに。
呼吸みたいに。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、見えない何かが差し込んでくる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと何かが差し込んでいた。
白い風のあと。
氷の音のあと。
沈黙のあと。
その小さい余白へ、静かに何かが流れ込んでいる。
人は、その見えない流入へ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに深く息を吸う。
呼吸が、胸の奥まで静かに落ちていく。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




