第五十七話 白い地下の上から来るもの
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その白い空間の上に、もう一つ別の層がある気がする。
見えない天井。
見えない空。
そこから、静かに何かが降ってきている。
昔の自分は、多分。
全部、自分で到達するものだと思っていた。
上へ登る。
掘る。
突破する。
そうやって、自分の力で辿り着くものだと思っていた。
でも今は違う。
人は、多分。
少し空くと、上から何かが来る。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その一瞬だけ、地下の上側が少し開く気がした。
その感じが、妙に好きだった。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は、暗くなかった。
静かに、何かが降りてきている。
見えない風みたいに。
「最近、追いかけてないですね」
女の子が、小さく言う。
「追いかけてない?」
「前は、ずっと何か探してた」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ずっと何か探してた。
多分。
昔の自分は、答えを追いかけていた。
意味を追いかけていた。
でも。
追いかけるほど、遠ざかっていた。
呼吸を止めていたから。
でも今は違う。
少し止まる。
少し空く。
少し、水を飲む。
すると。
上から、静かに何かが降ってくる。
光みたいに。
風みたいに。
呼吸みたいに。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、上から何かが降りてくる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと上があった。
ただ。
昔の自分は、下ばかり掘っていた。
白い風。
氷の音。
沈黙。
誰かの呼吸。
その全部の上から、静かに何かが降ってきている。
人は、その見えない落下へ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに深く息を吸う。
呼吸が、胸の奥まで静かに落ちていく。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




