第三十七話 風の抜ける場所
地下には、季節が薄くしか入ってこない。
春も。
夏も。
冬も。
白いLEDの下では、全部少し同じ色になる。
でも。
完全に同じではない。
地下へ降りる人の歩き方で、少し分かる。
春は、少し足音が軽い。
夏は、みんな少し疲れている。
冬は、肩が上がっている。
歩き疲れた牛達は、季節ごとに少し違う呼吸をしている。
地下を歩きながら、ふと思う。
人は、多分。
景色より先に、呼吸で季節を感じている。
風の温度。
沈黙の長さ。
水を飲む間。
そういう、小さい変化。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「今日は、ちょっと暖かいですね」
「そうですね」
それだけ話す。
でも、その会話だけで、少し空気が柔らかくなる。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その短い同期が、静かに場へ広がっていく。
無理に盛り上げなくていい。
無理に意味を作らなくていい。
ただ。
少し呼吸を混ぜる。
それだけで、人は案外救われる。
「ここって、不思議ですよね」
女の子が、小さく言う。
「何がです?」
「何も解決しないのに」
少し笑う。
「なんか、また歩ける」
その言葉が、静かに身体へ残る。
また歩ける。
多分。
人間に必要なのは、それだった。
人生の答えじゃない。
完全な救いでもない。
ただ。
少し呼吸を戻す。
少し風を通す。
その後で、また歩き始める。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、ゆっくり場へ混ざっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に元気になる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと風が流れていた。
ずっと、小さい草が生えていた。
ずっと、誰かが水を飲んでいた。
ただ。
自分が、それに気付いていなかっただけだったのかもしれない。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
そして今日もまた、歩き疲れた牛達は、白い地下を静かに歩いていく。




