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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第三十五話 呼吸の残り香

電車が、暗いトンネルを滑っていく。

 

窓へ流れる白いLED。

 

その光をぼんやり見ながら、ふと思う。

 

人生は、多分。

 

劇的には変わらない。

 

ある日突然、別人になる訳でもない。

 

地下は、明日も白い。

 

仕事もある。

疲れもある。

 

歩き疲れた牛達は、また同じ地下を歩いていく。

 

でも。

 

それでも、人は少しずつ変わる。

 

呼吸の深さみたいに。

 

ほんの少しずつ。

 

昔の自分は、多分。

 

生きる事を、戦う事だと思っていた。

 

閉じる事。

 

耐える事。

 

正しくある事。

 

そうやって、自分を固くしていた。

 

でも今は、少し違う。

 

人は、多分。

 

完全に強くならなくても、生きていける。

 

少し呼吸出来ればいい。

 

少し風が通ればいい。

 

少し、誰かと空気を混ぜられればいい。

 

それだけで、人はまた歩き始める。

 

店の事を思い出す。

 

氷の音。

 

カラン。

 

水を飲む女の子達。

 

小さい笑い声。

 

沈黙。

 

「少し楽でした」

 

「呼吸戻りました」

 

そういう、小さい言葉達。

 

どれも、人生を変えるほど大きなものじゃない。

 

でも。

 

身体へ残る。

 

静かに。

 

呼吸の残り香みたいに。

 

地下鉄が駅へ入る。

 

白い風。

 

ドアが開く。

 

歩き疲れた牛達が、静かに降りていく。

 

自分も、その群れへ混ざる。

 

白い地下。

 

乾いた空気。

 

でも、今は思う。

 

この地下には、ちゃんと草が生えている。

 

沈黙の中。

 

氷の音の後。

 

「お疲れさま」の後。

 

そういう、小さい間の中に、静かに草が生えている。

 

人は、その草を少しずつ食べながら、生きている。

 

完全に救われなくてもいい。

 

完全に分かり合えなくてもいい。

 

でも。

 

少し呼吸が通う。

 

少し風が抜ける。

 

それだけで、人はまた歩いていける。

 

地下を歩く。

 

白いLEDが、どこまでも続いている。

 

その白い光の中を、歩き疲れた牛達が静かに流れていく。

 

その群れを見ながら、ふと思う。

 

多分。

 

人は、孤独だから壊れるんじゃない。

 

呼吸を止めるから、苦しくなるんだ。

 

だから。

 

少し穴を開ける。

 

少し風を通す。

 

少し、水を飲む。

 

そうやって、人はまた静かに歩き始める。

 

遠くで、また氷が鳴る音がした。

 

カラン。

 

その小さい音を聞きながら、歩き疲れた牛達は、今日も白い地下を静かに歩いていく。


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