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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第二十九話 白い地下を歩く

地下を歩く。

 

白いLED。

乾いた空気。

歩き疲れた牛達。

 

相変わらず、同じ景色だった。

 

でも。

 

同じではなかった。

 

昔は、この地下を抜ける事ばかり考えていた。

 

早く地上へ出たい。

 

早く何かを終わらせたい。

 

早く答えへ辿り着きたい。

 

そんな風に歩いていた気がする。

 

でも今は、少し違う。

 

地下を歩く事そのものが、前ほど苦しくない。

 

白い風。

 

発車ベル。

 

遠くで鳴る靴音。

 

その全部の中に、少し呼吸がある。

 

誰かが、水を飲んでいる。

 

誰かが、小さく笑っている。

 

誰かが、「お疲れさま」と送っている。

 

そういう小さいものが、地下全体へ薄く混ざっている。

 

店へ入る。

 

女の子が、小さく手を振る。

 

「こんばんは」

 

その声を聞くだけで、少し呼吸が深くなる。

 

席へ座る。

 

水が置かれる。

 

透明なグラス。

白い氷。

 

カラン。

 

その音を聞いていると、ふと思う。

 

人間は、多分。

 

大きなもので生きている訳じゃない。

 

もっと小さいものなんだ。

 

水。

 

沈黙。

 

氷の音。

 

「少し楽でした」

 

そういう、小さい呼吸。

 

それらを少しずつ身体へ混ぜながら、人はまた歩いている。

 

女の子が、水を飲む。

 

自分も、水を飲む。

 

また氷が鳴る。

 

カラン。

 

その短い同期だけで、場の空気が少し柔らかくなる。

 

「最近、地下好きそうですね」

 

女の子が笑う。

 

「好きなのかもしれません」

 

そう答えると、少し笑う。

 

昔なら、多分こんな事は言わなかった。

 

地下は、閉じた場所だった。

 

乾いた場所だった。

 

でも今は違う。

 

地下には、ちゃんと風が流れている。

 

人の呼吸が流れている。

 

疲れた牛達が、静かに草を食べている。

 

その感じが、少し好きだった。

 

店の奥で、また氷が鳴る。

 

カラン。

 

誰かが笑う。

 

別の席でも、少し笑う。

 

その空気が、静かに場へ広がっていく。

 

牧場。

 

また、その言葉が浮かぶ。

 

疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、また歩き始める場所。

 

完全に元気になる場所じゃない。

 

でも。

 

少し呼吸を戻せる場所。

 

少し、自分へ戻れる場所。

 

多分、人間にはそれで十分なんだと思う。

 

店を出る。

 

地下へ降りる。

 

白いLED。

乾いた空気。

歩き疲れた牛達。

 

でも、その群れへ混ざりながら、ふと思う。

 

昔より、少し足取りが軽い。

 

少し呼吸が深い。

 

そして、多分。

 

それだけで、人はまた歩いていける。

 

地下鉄がホームへ滑り込む。

 

白い風。

 

その風を受けながら、静かに目を閉じる。

 

白い地下のどこか遠くで、また氷が鳴る音がした。

 

カラン。

 

その小さい音を聞きながら、歩き疲れた牛達は、今日も静かに白い地下を歩いていく。


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