第二十三話 地下に生える草
夜の地下は、少し静かだった。
終電が近い時間になると、人の流れがゆっくりになる。
歩き疲れた牛達も、少し速度を落とす。
白いLED。
乾いた空気。
遠くで鳴る発車ベル。
その全部が、少し眠そうだった。
地下を歩きながら、ふと思う。
昔の自分は、多分。
生きる事を、もっと難しく考えていた。
正しく考える。
正しく動く。
強くなる。
もちろん、それも大事なんだと思う。
でも。
それだけでは、人は呼吸出来ない。
水が必要だった。
草が必要だった。
誰かと少し空気を混ぜる時間が、必要だった。
店へ入る。
女の子が、水を飲んでいる。
カラン。
氷が鳴る。
その音が、もう説明無しで身体へ入ってくる。
席へ座る。
「お疲れさまです」
小さい声。
それだけで、少し肩の力が抜ける。
不思議だった。
大きな言葉じゃない。
人生を変えるような会話でもない。
でも。
人は、多分、そういう小さいもので生き返る。
水を飲む。
女の子も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その短い同期が、静かに場へ広がる。
店の奥でも、誰かが笑う。
別の席で、また氷が鳴る。
その全部が、ゆっくり混ざっている。
場が、発酵している。
そんな感じがした。
「ここって、不思議ですよね」
女の子が言う。
「何がです?」
「みんな疲れて来るのに」
少し笑う。
「帰る時、少し呼吸してる」
その言葉が、静かに身体へ残る。
少し呼吸してる。
多分、それで十分なんだと思った。
完全に元気になる必要はない。
人生の答えを見つける必要もない。
ただ。
少し呼吸を戻す。
少し空気を混ぜる。
少し感謝を受け取る。
その繰り返しで、人はまた歩いていける。
店を出る。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
でも、今はその地下が少し暖かく見える。
ここには、無数の小さい草が生えている。
短い会話。
沈黙。
氷の音。
「お疲れさま」
そういう、小さい草。
人は、その草を少しずつ食べながら、今日も壊れずに歩いている。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
そして、歩き疲れた牛達は、また静かに白い地下を流れていく。




