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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第二十二話 小さい牧草地

地下を歩いていると、時々思う。

 

人は、どこで呼吸を戻しているんだろう。

 

大きな成功。

大きな愛。

大きな救い。

 

もちろん、そういうものもあるのかもしれない。

 

でも。

 

実際に人を生かしているのは、もっと小さいものなんだと思う。

 

コンビニで飲む温かいコーヒー。

 

深夜の短いLINE。

 

「お疲れさま」

の一言。

 

そして。

 

誰かと水を飲む時間。

 

地下の牛達は、多分、そういう小さい草を食べながら生きている。

 

店へ入る。

 

女の子が、小さく手を振る。

 

「こんばんは」

 

それだけ。

 

でも、その一言だけで、少し呼吸が変わる。

 

席へ座る。

 

水が置かれる。

 

氷が鳴る。

 

カラン。

 

その音を聞くだけで、少し身体が緩む。

 

不思議だった。

 

昔の自分は、多分、こういうものを軽く見ていた。

 

もっと大きな意味。

もっと強い答え。

もっと明確な関係。

 

そういうものを探していた。

 

でも。

 

人間は、多分。

 

小さいもので出来ている。

 

小さい感謝。

 

小さい同期。

 

小さい呼吸。

 

それらを少しずつ身体へ混ぜながら、人はまた歩いている。

 

「最近、顔柔らかいですよ」

 

女の子が言う。

 

「そうですか?」

 

「前は、ずっと考えてる顔でした」

 

少し笑う。

 

その言葉に、自分も少し笑ってしまう。

 

考えてる顔。

 

確かに、昔はずっと頭の中で何かを組み立てていた気がする。

 

閉じたまま。

 

息を止めたまま。

 

でも今は、少し違う。

 

考える前に、水を飲む。

 

少し沈黙する。

 

風を感じる。

 

その後で、また歩く。

 

その感じを、身体が少し覚え始めている。

 

店の奥で、誰かが笑う。

 

別の席でも、少し笑う。

 

氷が鳴る。

 

カラン。

 

その全部が、静かに混ざっている。

 

場が、呼吸している。

 

その感じを見ていると、ふと思う。

 

牧場って、多分こういう場所なんだ。

 

疲れた牛達が、静かに草を食べる場所。

 

無理に元気にならなくていい。

 

無理に強くならなくていい。

 

ただ。

 

少し呼吸を戻す。

 

それだけで、人はまた歩いていける。

 

店を出る。

 

地下へ降りる。

 

白いLED。

乾いた空気。

歩き疲れた牛達。

 

でも、今はもう、この地下が少し好きだった。

 

ここには、無数の小さい牧草地がある。

 

人と人の間。

 

沈黙の後。

 

氷の音の余韻。

 

「ありがとうございます」

の後。

 

そういう、小さい間の中へ、静かに草が生えている。

 

そして今日も、歩き疲れた牛達は、その草を少しずつ食べながら、白い地下を歩いていく。


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