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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第十五話 夜の水

雨の日だった。

 

地下の空気が、少し湿っている。

 

白いLEDが、床へぼんやり反射していた。

 

歩き疲れた牛達は、今日も静かに流れている。

 

傘。

濡れた靴。

少し疲れた顔。

 

みんな、どこかへ帰っていく。

 

地下を歩きながら、ふと思う。

 

人間は、多分。

 

ずっと何かを探している。

 

でも、本当に欲しいものは、案外小さいのかもしれない。

 

少し呼吸出来る場所。

 

少し空気を混ぜられる相手。

 

それだけで、人はまた歩き始める。

 

店へ入る。

 

女の子が、水を飲んでいた。

 

透明なグラス。

白い氷。

 

カラン。

 

その音が、妙に静かだった。

 

「雨ですね」

 

「ですね」

 

それだけ話す。

 

でも、その沈黙が苦しくない。

 

それが不思議だった。

 

昔の自分なら、多分、何か話そうとしていた。

 

空気を埋めようとしていた。

 

でも今は違う。

 

沈黙にも、呼吸がある事を少し知っている。

 

女の子が、また水を飲む。

 

少し遅れて、自分も水を飲む。

 

カラン。

 

また、少し遅れて。

 

カラン。

 

その小さい同期が、雨音へ混ざっていく。

 

窓の外で、銀座の街が濡れている。

 

ネオン。

タクシー。

傘を持った人達。

 

その全部が、静かに呼吸しているように見えた。

 

「最近、少し楽です」

 

女の子が、小さく言う。

 

「そうですか」

 

「前より」

 

そう言って笑う。

 

その笑い方が、少し柔らかかった。

 

完全に元気な訳じゃない。

 

疲れも、まだ残っている。

 

でも。

 

少し呼吸している笑いだった。

 

その感じが、妙に嬉しかった。

 

店を出る。

 

地下へ降りる。

 

白いLED。

湿った風。

歩き疲れた牛達。

 

でも、その群れの中へ混ざりながら、ふと思う。

 

人間は、多分。

 

誰かを完全に救う事は出来ない。

 

でも。

 

少し呼吸を軽くする事は出来る。

 

少し水を渡す事は出来る。

 

少し草を分け合う事は出来る。

 

その小さい積み重ねで、人は今日も壊れずに歩いている。

 

地下鉄がホームへ入ってくる。

 

白い風。

 

その風を受けながら、静かに息を吸う。

 

呼吸が、少し深くなっていた。


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