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疲れた牛 ― 地下の牧場 ―  作者: stracchino


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第十四話 少しだけ通じる

地下のホームで、時々人の顔を見る。

 

疲れた顔。

眠そうな顔。

何かを考えている顔。

 

みんな、少し閉じている。

 

でも。

 

完全には閉じていない。

 

ふとした瞬間に、穴が見える。

 

電車を待ちながら、缶コーヒーを飲む男。

 

スマートフォンを見ながら、小さく笑う女。

 

誰かへ「お疲れさま」と送っている人。

 

その全部が、少し呼吸している。

 

昔は、そういうものが見えていなかった。

 

地下は、もっと冷たい場所に見えていた。

 

でも今は違う。

 

みんな、どこかで少し空気を通している。

 

その感じが、少し好きだった。

 

店へ入る。

 

「こんばんは」

 

女の子が笑う。

 

その声を聞くだけで、少し身体の力が抜ける。

 

不思議だった。

 

何か特別な事がある訳じゃない。

 

人生相談をする訳でもない。

 

ただ、水を飲んでいる。

 

時々笑う。

 

時々沈黙する。

 

それだけ。

 

でも。

 

その「それだけ」が、人間には必要なんだと思う。

 

グラスへ氷が落ちる。

 

カラン。

 

女の子が、水を飲む。

 

少し遅れて、自分も水を飲む。

 

また氷が鳴る。

 

カラン。

 

その小さい同期が、妙に心地よい。

 

「最近、前より静かですね」

 

女の子が言う。

 

「そうですか?」

 

「なんか、呼吸してます」

 

そう言って笑う。

 

その言葉が、静かに身体へ入る。

 

呼吸してます。

 

昔の自分は、多分、ずっと息を止めていた。

 

閉じたまま、強くなろうとしていた。

 

でも。

 

人間は、多分、閉じたままでは壊れる。

 

少し空気が必要なんだ。

 

少し草が必要なんだ。

 

少し感謝が必要なんだ。

 

それだけで、人はまた歩ける。

 

店を出る。

 

銀座の夜風が、少し湿っている。

 

地下へ降りる。

 

白いLED。

乾いた空気。

歩き疲れた牛達。

 

その群れを見ながら、ふと思う。

 

完全に分かり合えなくてもいい。

 

完全に救えなくてもいい。

 

でも。

 

少し通じる。

 

少し呼吸が重なる。

 

その小さい同期だけで、人は案外、生きていけるのかもしれない。

 

地下鉄がホームへ滑り込む。

 

白い風。

 

その風を受けながら、静かに目を閉じる。

 

どこか遠くで、氷が鳴る音がした気がした。


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