第17話 届いた手
1話の続編になります。
手紙は、いつの時代も、どこの世界でも
人をつなぐものです。
木の葉が舞い始める頃のことだった。
朝の石畳が乾いた音を立て、風に色が変わり始める、秋が深くなる手前の季節。
ルーカスが来たのは、そんな午後のことだった。
書けない文字の件以来、ルーカスはときどき仕事部屋に顔を見せるようになっていた。
依頼があるわけでもなく、話しに来るわけでもなく——近くに来た時に扉を開けてのぞいていく、それだけだ。
この男の付き合い方らしかったが、今日は違った。
扉を開けた顔が、いつもと違った。
重いものを一人で持ってきた人間の顔だった。
「手紙が来ました」ルーカスは部屋に入りながら言った。「北から」
手が止まった。
「《テルン》からですか」
「そう…ではなく」ルーカスは椅子に座った。「《テルン》の隣人から、です」
それだけで、わかった。
「お母さんが?」
「亡くなりました」ルーカスは短く言った。「先月のことだそうです」
部屋が静かになった。窓の外で風が吹いて、枯れ葉が一枚、石畳を転がっていくのが見えた。
何か言おうとして、言葉が出なかった。
謝っても意味がない。
慰めても届かない。
間に合わなかったことは、本当のことだ。
そのどれかを言っても、嘘にはならないけど——何かが足りない気がした。
だから何も言えなかった。
ルーカスの顔を見た。
泣いていなかった。
でも——何かを抱えた顔をしていた。
「手紙は読みましたか、お母さんからの」
「母からの手紙はありませんでした。
でも隣人の手紙に書いてあって」ルーカスはコートのポケットから封書を取り出した。
「母は私の手紙を何度も読んでいたそうです。
枕元に置いていたと。
息子は生きていると——嬉しそうにしていたと」
その言葉を、ゆっくりと聞いた。
「間に合わなかった」ルーカスは静かに言った。
「返事を待っていたのに。
もう一通書けばよかった。
もっと早く書けばよかった。
もっとずっと前に…二十年前に」
言葉が、そこで止まった。
ランプの炎が揺れていた。
北風が窓を鳴らした。
しばらく、その音を聞いていた。
言葉を探した。
何か言うべきことがある気がして、探した。
でも見つからなかった。
言えることが何もなかった。
だから——ただ、隣に座った。
しばらく、二人は黙っていた。
「枕元に置いていたということは——」ゆっくり言った。
「最後まで、そこにあったということですね」
「そうなりますね」ルーカスは手紙を見た。
「私の字で書いた手紙が、母の枕元に」
「届いていたんです」言った。「ちゃんと、届いていた」
ルーカスは少し黙った。
「……届いていましたね」ゆっくり言った。
「間に合わなかったけれど——届いていた」
その二つが、同時にある。
間に合わなかった、でも届いた。
どちらも本当のことだ。
何も言わなかった。それで十分だと思った。
「少し、ここにいてもいいですか」ルーカスは言った。
「どうぞ」
ルーカスはしばらく、仕事部屋の椅子に座っていた。
私は自分の仕事を続けた。
ペンの音だけが、部屋に響いた。
一時間ほどして、ルーカスは立ち上がった。
「ありがとうございました」
「また来てください」言った。
ルーカスは頷いて、出ていった。
扉が閉まってから、しばらくペンを置いた。
届いた。その言葉が、頭の中に残っていた。
間に合わなかった、でも届いた——その二つが同時に本当であることを、ルーカスはちゃんと受け取っていた。
私には何もできなかった気がしていたけれど、あの言葉だけは言えた。
それは良かったと思う。
記録師の仕事は、文字を扱うことだ。
書かれた文字を正確に伝えること。
でも今日やったのは、文字じゃなくて、ただ隣に座っていただけだ。
それでも——必要なことだったかもしれない、と今は思う。
窓の外の石畳が、夕暮れの色に染まっていた。
師匠の本は、まだ棚の上に置いてある。
まだ開けていない。
でも——届いている。
手元に、ある。今はそれだけで、十分かもしれない。
ヴェルタの北風が、窓を静かに鳴らした。
第17話終了。18話に続く。
如何でしょうか。
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