第10話 封印された証言
エイダの元には年取って病んだ依頼人がやってきました。
エイダは、その人の依頼をどうするでしょうか。
そして、その記録に関するもう一人の人もやってきます。
さて・・・
その依頼人は、ちょっと普通じゃなかった。
七十近い、背の曲がった老人で、名をヤンといった。
長年、この町の有力商人ドルフの屋敷で働いてきたという。
引退して今は町はずれの小さな家に一人で住んでいる。
座るのも難儀そうで、思わず手を貸そうとしたら、きっぱり断られた。
「自分でできます」
その一言で、どういう人間かだいたいわるよね。
助けを借りることに慣れていない、でも弱音は絶対見せない、そういうタイプだ。
「記録師さんに頼みたいことがあって」ヤンはゆっくり言った。「ある出来事を、正式に記録してほしいんです」
「どんな出来事ですか」
ヤンはしばらく黙った。
節くれだった手を、膝の上で重ねた。
う~ん、かなり頑固モノっぽい・・・
「ドルフ様の屋敷で、長年働いてきました。四十年以上。
ドルフ様は今も町の有力者で、多くの人に慕われています」
「はい」
「ただ——三十年ほど前のことです。
ドルフ様が、よくないことをされました」
背筋が自然と伸びた。
「よくないこと、というのは」
「ある家族の土地を、不正な手段で取り上げた。
証拠の文書を偽造して、正当な取引に見せかけて。
その家族は泣き寝入りして、町を出ていきました。
私はそれを知っていた。でも、言えなかった」
「なぜ今になって」
「もうすぐ死ぬからです」ヤンは静かに言った。
感情的じゃない。
ただ、事実として言った。
「医者にそう言われました。あと数ヶ月だと。
死ぬ前に——どこかに残しておきたかった。あったことを」
しばらく、黙って考えた。
記録すれば、ドルフに不利になる。
まだ存命で、町の有力者だ。
家族もいる。
記録が表に出れば、多くの人が傷つくかもしれない。
でも、あったことは、あったこと。
「記録します」言った。「ただ、一つ条件があります」
「なんですか」
「ドルフさんが亡くなるまで、この記録は封印します。
今すぐ使うのではなく、保管するための記録として。
開封されるのは、ドルフさんの死後——あるいはドルフさん自身が開封を望んだときだけ」
ヤンは少し考えた。
「……それで構いません。
私は、あったことを残したかっただけです。
誰かを傷つけたくて来たわけじゃない」
「わかりました」羊皮紙を広げた。「では、聞かせてください。三十年前に起きたことを、正確に」
ヤンは話した。
ゆっくりと、時間をかけて。
三十年前、ヤンはまだ四十代だった。
ドルフの屋敷で総管として主人の信頼を受けていた。
ある日ドルフに呼ばれ、土地の売買契約書の作成を手伝うよう言われた。
相手方の署名欄を代筆するよう指示された。
本人の同意を得ていると言われて——後で、それが嘘だとわかった。
「あなたも加担したということになりますが」静かに言った。
「そうです」ヤンは目を伏せた。「私も加担しました。知らずに、でも——結果として」
書きながら、ヤンの声に耳を傾け続けた。
被害を受けた家族の名前。
土地の場所。
偽造の具体的な方法。
その後家族がどうなったか——ヤンが知っている限りのことを、すべて。
「その家族は今、どこにいますか」
「わかりません」ヤンは言った。「それが一番、気になっています。どこかで、ちゃんと生きていてくれればと」
記録を聞き終えてヤンが署名した。
封筒に入れ、封蝋をして表に書いた。
「封印——ドルフ・メルケン氏の逝去後、または本人の開封要請があった場合のみ開封可」。
「これはヴェルタの図書館に保管します。
確実に保管されます」
「ありがとうございます」ヤンは言った。「これで——少し、楽になれます」
立ち上がって扉に向かい、振り返って呟いた。
「記録師というのは、辛い仕事ですね」
「そうですね」
そう応える
「でも、必要な仕事だと思っています」
「私もそう思います。だから来ました」
扉が閉まった。
※※
図書館に向かい、オーリンに事情を話した。
老司書は黙って最後まで聞いた。
それから立ち上がり、書棚の奥の、他とは少し離れた棚に記録を収めた。
「他の記録と一緒にしなくていいんですか」
「この棚には、時間が来るまで待つ記録を置いている」オーリンは静かに言った。「いくつかある。ここで待てばいい」
棚を見た。他にも封印された封筒が、何通か並んでいる。
いつか開かれる日が来るのかどうか——それはわからなかった。
※※
ヤンが亡くなったのは、それから四ヶ月後のことだった。
町はずれの家で、眠るように逝ったと聞いた。
その翌日、仕事部屋に来客があった。
ドルフだった。
七十がらみの、恰幅の良い男だ。
町で何度か見かけたことはあるが、直接話すのは初めてだった。
椅子を勧めると、座らずに立ったまま言った。
「ヤンが、あなたのところに来たと聞きました。
何かを記録してもらったと」
「封印された記録があります。
開封条件は——ドルフさんが亡くなった後、あるいはあなた自身が開封を望んだ時だけです」
「自分で開けることができるんですか」
「あなたが望むなら」
ドルフはしばらく黙った。
窓の外を見た。
それから、静かに言った。
「読みます」
図書館へ走り、オーリンから封印された記録を受け取って戻った。
ドルフは封を切り、ゆっくりと読んだ。
読み終えるまで、何も言わなかった。
テーブルに記録を置いて、しばらく黙った。
「正確だ」ゆっくり言った。「ヤンは、正確に覚えていた」
「あったことを、記録しました」
「そうだろうな」ドルフは窓の外を見た。「否定はしません。三十年前に起きたことは、事実です」
黙って待った。
「ただ——ヤンは知らなかったことがある。
なぜあの土地が必要だったか」
「聞かせてもらえますか。
記録に加えるかどうかは、あなたが決めることですが」
ドルフはしばらく考えてから、話し始めた。
三十年前、商会は危機に瀕していた。
大口の取引先が突然倒れ、資金が詰まった。
このまま手を打たなければ商会は潰れる。従業員が職を失う。家族が路頭に迷う——その中に、ヤンもいた。
「あの土地を担保に、急ぎの融資を受ける必要があった」
ドルフは言った。
「正当な交渉をする時間がなかった。断られた。それで——」
「不正に取得した」
「そうだ」短く言った。「正当化するつもりはない。あの家族は何も悪くなかった」
「でも、やった」
「やった。
従業員を守るために——そう言い訳をしながら」
ドルフは目を伏せた。
「ヤンもその従業員の一人だった。
あいつが知らずに加担していたのは、私のせいだ。
それも、ずっと気になっていた」
「あの家族がどうなったか——私も調べたことがある。
十年ほど前に」
ドルフは続けた。
「でも、わからなかった。
補償をしたかった。
遅すぎるとわかっていても。
でも、見つけられなかった」
沈黙が二人を包んだ。
「あの家族の名前と、町を出た時期はわかっている。
記録師として——その後の消息を調べることは、できますか」
少し驚いた。
「調べることはできます。
ただ——三十年前に町を出た家族の消息は、簡単にはわからないかもしれません」
「構いません。できる範囲で」
ドルフは言った。
「見つかれば——補償したい。
遅すぎても、しないよりはましだから」
「わかりました。できることをやってみます」
ドルフが帰ったあと、ヤンの記録にドルフの証言を追記した。
ヤン側の事実と、ドルフ側の事情。
どちらも記録に残す。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく——どちらも、その人間にとっての本当のことだった。
追記した記録を持って、図書館へ戻った。
オーリンに渡すと、しばらく見てから棚に戻した。
「両方残したんだね」
「両方あったことだから」
「そうだね」老司書は静かに言った。
「記録というのは——一方の声だけでは、完成しない」
その言葉を、しばらく考えた。
師匠の記録も、そうだ。
今あるのは断片だけで、まだ完成していない。
いつか——もう一方の声が加わる日が来るかもしれない。
窓の外に夕暮れの光が差し込んでいた。
ヴェルタの石畳が、今日もオレンジ色に染まっていた。
第10話終了。11話に続く。
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