第94話 ベルの成長
ある朝、ベルが記録帳を持ってきた。
「見てもらえますか」
自分の記録帳だった。俺が旅に出ている間、ベルが工房でつけていたものだ。
「読んでいいですか」
「読んでください」
最初の方は、日付と観測値だけだった。簡潔で正確だった。
途中から、補足欄が増えていた。「今夜の観測中に気づいたこと」「前回との比較で変化があった点」「父さん(ガルトのこと)に確認した事項」。
終盤には「レンの記録帳を読んで、補足の書き方を変えた」という一行があった。
「これは」と俺は言った。
「師匠がいない間に、どう記録すればいいか考えながら書いていました。最初は師匠みたいに書こうとして、うまくいきませんでした」
「うまくいかなかった部分は」
「師匠は観測値の次に「なぜそう思うか」を書く。俺はなぜそう思うかを言語化するのが遅かった。だから最初はぼんやりした補足しか書けませんでした」
「今は?」
「少し速くなりました。慣れた」
「ベルの記録は、俺の記録と違います」と俺は言った。
「違いますか」
「書き方が俺より整然としている。俺は感覚から入って後で整理する。ベルは最初から整理されている」
「それはまずいですか」
「まずくない。違う、というだけです。記録の仕方は一つじゃない」
「師匠の書き方が正しい形だと思っていました」
「俺の書き方が一つの形で、ベルの書き方も一つの形です。どちらの形でも、毎日書き続ければ積み上がる」
ガルトが後ろから「俺にも見せろ」と言った。
ベルが少し緊張した顔をして、記録帳を渡した。ガルトがしばらく読んだ。
「……このページのこれ、何だ」
ある日の観測結果の補足を指した。
「その日、北側の星の輝度が前回より低かったんですが、気象条件かもしれないと思って保留にしました」
「確認したか」
「翌日また観測して、気象条件が変わっても同じ輝度だったので、変化として記録しました。その次のページに書いてあります」
ガルトが次のページを読んだ。
「……いい判断だ」
ベルの顔が少し変わった。驚きと、喜びの入った顔だった。
「ベルはこれからも記録しますか」と俺は聞いた。
「続けます。師匠が旅に出ても、ここで続けます」
「俺がいなくてもですか」
「師匠がいなくても。ガルト師匠がいなくても。俺が続けます。これは俺の記録でもあるので」
その夜、記録帳に書いた。
ベルの記録帳を読んだ。俺が旅に出ている間、一日も欠かさず書いていた。書き方は俺と違う。でも、続けていた。
補足に書いた。
「記録は続けることで積み上がる。ベルが続けたから、工房の記録は止まらなかった。俺が旅をしている間も、ファーレンの空は記録されていた」




