第84話 レンの反論
「シェードさんに話せることがあります」と俺は言った。
シェードが俺を見た。
「話してみろ」
「俺が記録を始めたのは、黙る方が怖かったからです」
「怖い?」
「気づいていて黙ることが怖かった。気づいていて何もしないことが怖かった。記録することは怖いことの方向を変えることです。気づいたことを書く。それだけです」
「単純だな」
「単純です。でも、それだけで百五十年分が繋がりました」
「シェードさんは、院を守るために消した。でも——消すことで、何が守られましたか」
シェードが少し止まった。
「院の権威だ」
「院の権威は、今も守られていますか」
「……失われた。失星図が公示された。星種実験の失敗が明らかになった」
「失われましたね。でも、院はまだあります。星図師はまだいます。ロットが各地を回って失星図を届けた。各地の星図師がそれを受け取った。拒否した工房はゼロです」
「それはなぜか、分かりますか」
「なぜだ」
「失敗があった、という事実より、失敗を隠した、という事実の方が信頼を傷つけるからです。失敗を認めた院の方が、隠していた院より信頼される。それが失星図が受け入れられた理由だと思います」
シェードが少し黙った。
「……それを百年前に思えなかった」
「百年前には思えなかったかもしれません。でも、俺には百年後の視点があります。カイの記録があった。ヨランの三世代分があった。各地の証言があった。時間が証明してくれた」
「シェードさんが思っていたこと——記録が正しければ院が終わる——それは間違っていなかった」と俺は続けた。
「どういうことだ」
「星種実験が失敗した、という記録が出れば、確かに院の一部は終わる。失敗を隠し続けてきた部分が終わる。でも院全体は終わらない。正直に終わらせるべき部分が終わるだけです」
「俺はそれを恐れた」
「でも、ミラ老師は恐れなかった。老師は俺に記録を渡した。院が変わることより、記録が残ることを選んだ」
シェードがまた窓の外を見た。雨が強くなっていた。
「ミラは俺を知っているか」
「知っていると思います。カイの記録にシェードの名前があった。老師はカイの弟子でした」
「そうか。……ミラが渡したか」
「渡しました。死ぬ前に、俺に」
シェードが「そうか」とだけ言った。それきり黙った。長い沈黙だった。
クロウが「答えは今日でなくていい」と言った。
「院の調査に協力するかどうか、時間をとって考えてください。ただ、俺たちは調査を止めません。シェードさんが協力しなくても、記録は残ります。協力してくれれば、シェードさんの言葉も残ります」
シェードがクロウを見た。
「院の人間が、こう言うか」
「俺も失星図を読みました。俺も記録を続ける側の人間です」
帰り際、シェードが俺に言った。
「お前は怖くないのか」
「怖いです」
「何が」
「黙ることが、怖いです」
シェードが少し目を細めた。何も言わなかった。




