第8話 古い星図を借りる
翌日、俺はミラ老師の家に行った。
父に許可をもらってからだ。「ミラ老師に古い星図を見せてもらえないか聞いてきてもいいですか」と言ったら、父はしばらく考えてから「行ってこい」と言った。
「俺からは頼まない。お前が直接頼め」
「分かりました」
「老師は忙しくないが、気分次第で人を追い返す。うまくやれ」
アドバイスとも脅しともとれた。とりあえずうなずいた。
ミラ老師の家は工房から坂を上った先にある。港町のはずれで、海が見える場所だ。
訪ねると、老師は庭で植物の手入れをしていた。剪定ばさみを持って、低い木を切り揃えていた。
「来たか」
俺が来ることを知っていたようだった。
「ガルトから話があったか?」
「いいえ」
「では何の用だ」
「古い星図を、見せていただけないかと思いまして」
老師の手が止まった。
「何のために」
「昨夜、夕明け星が消えたことを確認しました。二週間前から記録をつけていたんですが、さらに古いデータと比べたくて」
ミラ老師は俺を見た。長い間、見た。
それから「中に入れ」と言った。
老師の家は、本と記録物だらけだった。
棚が壁を埋めていて、筒に入った星図が数え切れないほどある。工房の保管庫とは違う種類の多さだ。こちらは整理されているというより、蓄積されている感じだった。
「何年前のものまでほしい」
「できれば、五十年以上前のものがあれば」
老師が棚を見回した。迷いなく一つの引き出しを開けた。奥から丁寧に包まれた筒を出した。
「五十三年前。私が三等師になりたての頃に描いたものだ」
渡された筒を受け取った。重かった。
「広げていいですか」
「気をつけて。紙が傷んでいる」
テーブルの上で慎重に広げた。黄ばんで、縁が少し欠けているが、描いてある内容は読める。西の空のセクションを探した。
夕明け星が、描いてある。
今の俺の記録帳の最初のページと、並べた。
——確かに違う。
五十三年前の星図では、夕明け星の周りにもう一つ、小さな星が描いてある。今の空にはない星だ。位置からして、夕明け星と同じ方角のやや上。今の俺の記録帳にはない。
つまり、この星はもっと前に消えていた。
「老師」
「なんだ」
「この星——夕明け星の少し上にある星は、今の空にないんですが」
老師が近づいて、指差した場所を見た。
「ああ。あの星か」
「知っていましたか」
「知っていた」
俺は黙った。
老師は椅子に座った。しばらくしてから言った。
「私が若い頃、気になっていた。でも誰にも言わなかった。言える雰囲気じゃなかった。星は変わらないというのが、この仕事の前提だから」
「やめたんですか、記録するのを」
「ある時点から、見ないようにした」
俺は老師の顔を見た。後悔している顔だった。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなく、ただ——後悔している。
「カイという人を、知っていますか」
老師の目が動いた。
「マーゴが話したか」
「食堂のマーゴさんから、少し聞きました。星がおかしいと言っていた人がいたと」
「……私の弟子だ。ガルトの兄弟子になる」
「どんな人でしたか」
老師はしばらく答えなかった。
「お前に似ていた」
俺は何も言えなかった。
「目が良い人だった。感じ取る力があった。星が少しずつおかしいと言い続けた。誰も信じなかった。私も、表立っては庇えなかった」
「亡くなったんですよね」
「病気だ。三十代で。でも……元気を無くしていったのは、誰にも信じてもらえなかったからだと、私は思っている」
老師が窓の外を見た。
「だからお前に言う。記録するのを、やめるな」
俺はうなずいた。
「やめません」
「信じてもらえなくてもか」
「信じてもらえなくても」
老師がこちらを向いた。さっきまでとは少し違う目だった。
「五十三年前の星図は、借りていっていい。返さなくていい。お前が持っていろ」
「……いいんですか」
「私が持っていても、見ないままだ。お前が使う方がいい」
工房に戻ったら、父がいた。
星図を持って帰ってきた俺を見て、何も言わなかった。老師が貸したと言っても、何も言わなかった。
ただ一言。
「夕飯は?」
「食べてません」
「食え」
それだけだった。
夕飯を食べながら、父が珍しく話しかけてきた。
「老師はなんと言っていた」
「記録をやめるなと言われました」
「そうか」
「あと、五十三年前にも、別の星が消えていたことが分かりました。その頃から消え始めていたのかもしれません」
父はしばらく食事を続けた。
「ガルトさんは——何か思うことがありますか」
「ない」
即答だった。でも少し間があった。
「ある、という顔に見えましたが」
「ない。食え」
俺は食べた。
記録帳には今夜も数値を書いた。五十三年前の星図も、そばに置いておいた。
消えた星は二つになった。記録上は。




