表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星図師は空の欠けを知っている  作者: ごま
第一部:工房の空

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/75

第4話 ミラ老師

 工房に客が来た。

 午後の、一番光が斜めになる時間帯だった。俺は写図室で星紙の練習をしていた。ソーラは隣の部屋で父の補佐をしていた。

 玄関の扉が開く音がして、父が「老師」と言った。

 俺が顔を出すと、入口に小柄な老人が立っていた。白髪で、背が低くて、一見すると普通のおばあさんに見える。でも目が違った。しわの奥にある目が、やたらと鋭かった。品定めするとか、試すとかじゃなく——何かを正確に見ている目だった。

 その目が俺に向いた。

「これがレンか」

「はい」

「挨拶は?」

 俺は頭を下げた。

「はじめまして。レンです」

「ミラという。お父さんの師匠をやっていた」

 ガルトの師匠。それがミラ老師だということは聞いていた。ファーレンに住んでいて、引退後も時々工房に来ると。実際に会うのは初めてだった。


 お茶を出して、大人たちが話している間、俺は隅に座って練習を続けていた。途中から、ミラ老師の視線が何度か俺の手元に向いているのに気づいた。話しながら、確認するように見てくる。

 しばらくして、ミラが口を開いた。

「レン、一つ聞いていいか」

「はい」

「今、何を書いている」

「星紙の練習です。線を引いて、方角の滲みを確認しています」

「どんな線を引いた」

 俺は練習用の紙を見せた。何本か線が引いてある。

 ミラは眼鏡を出して、丁寧に見た。

「この線——」

 白髪の指先が一本を指した。

「方角を確かめようとして引いたのか、形を確かめようとして引いたのか、どちらだ」

 珍しい聞き方だと思った。

「方角です。この滲みの傾きを読もうとして」

「なぜこの角度から引いた」

「……このくらいの角度で引くと、北への滲みが一番読みやすいと思ったので」

 ミラが父を見た。

「ガルト、この子はどのくらいやっている」

「星紙を触り始めて三日だ」

 ミラがまた俺を見た。今度は眼鏡を外して、直接目で。

「三日で滲みの角度の個人差を把握した?」

「個人差というか……自分が引きやすい角度があると思って」

「それを知るのに普通は一ヶ月かかる」

 俺は何も言わなかった。一ヶ月かかるなら、俺がおかしいのだろうとは思う。でも感覚的にわかってしまうものは仕方がない。


 帰り際、ミラが玄関で俺に言った。

「星図師の本当の仕事は何だと思う?」

 試されている。でも意地悪な試し方じゃない。本当に聞いている感じがした。

「……空を、正確に記録することだと思います」

「記録して、どうする」

「漁師さんや旅人さんが使う。命に繋がる」

「そこで終わりか?」

 終わりじゃない気がした。でも言葉にならなかった。

「……まだ分からないです」

 ミラはうなずいた。

「正直でいい。分からないなら分からないでいい。でも考えておけ。星図師の仕事の本当の意味を」

 それだけ言って、帰っていった。


 夕方、父が珍しく俺に話しかけてきた。

「老師のことをどう思った」

「目が鋭い人だと思いました」

「そうだな」

「師匠さんなんですか、ガルトさんの」

「ああ。二十年以上前に世話になった」

 父は少し遠い目をした。それ以上話す気はなさそうだったが、俺は続けた。

「老師は今でも現役なんですか」

「正式には引退している。でも見る目は現役だ」

「今日、俺の練習紙をずっと見てましたよ」

「知ってる」

「何か言ってましたか」

 父はしばらく黙った。

「いい目をしていると言っていた」

 褒められたのかどうかよく分からなかったが、父の言い方からして、ミラ老師にそう言われるのはそれなりのことらしかった。


 その夜、食堂のマーゴさんが弁当の余りを持ってきた。

「ガルトー、夕飯余ったから持ってきたよ。受け取れ」

 マーゴさんはこういう人だった。港のそばで食堂をやっていて、「余った」と言いながら定期的に工房に食べ物を届けてくれる。余っているかどうかは怪しかった。

「今日はミラ老師が来たんだって?」

 マーゴさんが弁当箱を置きながら言った。

「誰から聞いたんですか」

「テオが見てた。あの人、暇なんだから」

 テオというのは港の船具屋だ。店の前に椅子を出して座っていることが多い。確かに、工房の前を通るミラ老師を見ていた可能性は十分ある。

「老師は元気そうだったか?」

「元気そうでした」

「あの人ね、昔はすごかったんだよ。ガルトだけじゃなくて、もう一人弟子がいてね。カイって男で」

 俺は手が止まった。

「カイ?」

「もう亡くなったんだけどね。星図師だったんだけど、変わった人でさ。なんか、星の話ばっかりしてた。星がおかしい、とか言って、誰も信じなかったって話」

 何かが引っかかった。

「星がおかしい、というのは……どういう意味ですか」

「さあ。あたしは詳しく知らないけど、老師が悲しそうにしてたのは覚えてる。カイが死んだとき」

 マーゴさんはそこで話題を変えた。

「レンは飯ちゃんと食べてるか? ガルトは自分のことしか気にしないから、あんたが痩せてないか心配でね」

「食べてます」

「そう、ならいい。じゃあ弁当は明日の朝に食べな」

 そう言って帰っていった。


 夜、記録帳に数値を書き終えてから、俺は「カイ」という名前を別のページに書いた。

 星がおかしいと言った人がいた。誰も信じなかった。亡くなった。

 それだけだ。詳細は何も知らない。でも記録しておいた。知らないことと、あったことは、別だから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ