第23話 ガルトの怒り
ノートの巡回が終わる前日に、ヴェラが来た。
午後の遅い時間だった。工房の前に立っていて、俺が気づいたとき、ちょうどドアをノックしようとしていた。
「こんにちは、レン。先生はいらっしゃる?」
「いますが、今日は何の用ですか」
「少し話したいことがあって」
物腰は穏やかだった。いつもそうだ。でも、なぜか落ち着かない感じがする。ヴェラがいると、空気が少し変わる気がする。俺の感覚が悪い方向に反応する。
「中に入ってください」
父を呼んだ。
ガルトがヴェラを見た瞬間、表情が変わった。
普段の父は感情を顔に出さない。だから、その変化は分かりやすかった。目が細くなった。顎が少し引いた。
「何の用だ」
「こんにちは、ガルト師匠。お久しぶりです。ご無沙汰していて——」
「何の用かと聞いた」
声が低かった。俺は父がこの声を出すのを初めて聞いた。
ヴェラが少し止まった。それから穏やかな表情のまま言った。
「レンの記録帳について、少し話したいと思って」
「帰れ」
「師匠——」
「帰れと言った」
ヴェラが父を見た。それから俺を見た。俺はヴェラを見た。
「レン、記録は大切にね。でも——」
「レン、中に入れ」
父が俺に言った。
「でも——」
「入れと言った」
俺は工房の中に入った。ベルが隅で固まっていた。ソーラが仕事の手を止めていた。
外でしばらく声がした。ガルトの低い声だけで、ヴェラの声はほとんど聞こえなかった。しばらくして静かになった。
父が戻ってきた。
「あの人は何者ですか」
「関係ない」
「関係あります。俺の記録帳について話に来ていました」
「関係ない」
父は仕事に戻った。
俺はしばらく待った。父が仕事をしている間、隣で記録帳を整理するふりをして待った。三十分くらいして、父が少し落ち着いた気配になったとき、もう一度聞いた。
「あの人を知っているんですか」
父が止まった。
「……知っている」
「昔ですか」
「ずっと昔だ」
「星図師の関係者ですか」
「違う」
それ以上は言わなかった。
夜、ベルが来た。
「さっきの人、知ってます?」
「知らないです。でも、何かある人だと思います」
「俺も感じた。あの人がいると、空気が欠けてる感じがする」
「空気が欠ける?」
「星と同じ感じ。なんか、足りない感じ。でもうまく言えない」
俺は少し考えた。ベルの感覚は正確だ。ヴェラがいると「欠けた感じ」がするというのは、何かを意味しているかもしれない。
「記録帳に書いていいですか」
「何を?」
「ベルがヴェラに感じたこと」
「……書いていいですよ」
記録帳に書いた。
ヴェラ。来訪。ガルトが激しく拒絶した。ガルトが声を荒げたのは初めて見た。父とヴェラの間に何かある。
ベルの感覚欄:ヴェラがいる間、「空気が欠けている感じ」があった。星の欠けと同種の感覚だと言う。
推測欄:ヴェラは忘却師と何らかの関係がある可能性。根拠はベルの感覚のみ。
俺は「根拠はベルの感覚のみ」と書いてから、少し考えた。ベルの感覚は、これまで数値記録と一致し続けている。精度は低くない。
だから、「根拠はベルの感覚のみ」と書いたが、俺の中での確度はそれなりにあった。
翌朝、父がいつもより早く起きていた。
台所で座っていた。
「父さん」
「うん」
「ヴェラという人は、危ない人ですか」
父が少し沈黙した。
「……危なくはない。でも近づかない方がいい」
「理由は」
「あいつは何かを隠している。隠しながら、他人の情報を集める。それだけは分かっている」
「情報を集める理由は」
「分からない。でも、お前の記録帳に興味を持っている以上、注意した方がいい」
父がそれだけ言って立ち上がった。
俺は父が怒ったことよりも、父が珍しく言葉を使ったことの方が印象に残った。




