第22話 ノートの目
翌朝、ノートが工房に来た。
時間は早かった。ソーラより遅いが、俺より早い。ノートは早く起きる人間らしかった。
「昨夜は眠れなかった」
ノートが言った。挨拶より先に言った。
「なぜですか」
「記録帳を読んでいたからだ」
俺は黙った。
「もう一度、君に話を聞きたい」
台所のテーブルを挟んで座った。
ノートが記録帳を置いた。俺の前に戻した。
「返します。取るつもりはなかった」
「ありがとうございます」
「ただ、聞きたいことがある。君は、なぜこの方法を思いついたのか」
「どの方法ですか」
「事実と推測を分けて書く方法。補足欄に根拠を明示する方法。基準星による相対指数の方法。全部だ」
俺は少し考えた。前の世界で覚えたことだとは言えない。
「正確に記録したかったから、だと思います。感覚で書くと後で分からなくなる。数値で書いても比較基準がないと意味がない。だから基準を作った」
「七歳で」
「いつやるべきかは、必要だと思ったときだと思います」
ノートがしばらく黙って記録帳を見た。
「正直に言う」
「はい」
「この記録帳は、正しい。方法として正しく、内容として正確だ」
「ありがとうございます」
「ただ、俺は組織の人間だ。組織の基準があって、その基準を適用しなければならない。個人として正しいと思っても、院の規則として認定することはできない」
「それは分かります」
「分かるのか」
「正しいかどうかと、認められるかどうかは別だということは理解しています。父にも昨夜同じことを言われました」
ノートが少し驚いた顔をした。
「七歳でそれが分かるか」
「分かるかどうかと、納得できるかどうかは、また別です」
「……」
「俺は記録を続けます。院が認めなくても続けます。ただ、父の工房の評価に影響するのは困ります。それだけは避けたい」
「それについては問題ない」
ノートが言った。
「どういう意味ですか」
「昨夜、ガルト師匠の工房を検査した結果は全項目適正だった。見習いが私的に記録帳をつけることは規則の対象外だ。個人の記録帳が院の評価に影響することはない」
「昨日は影響する可能性があると言いましたが」
「……可能性は低い。昨日は正確ではない言い方をした。すまなかった」
俺はノートを見た。
この人は、最初から工房の評価を下げるつもりはなかった。俺の記録帳の内容に驚いて、揺さぶるような言い方をしてしまった。そういうことだと思った。
「分かりました」
「一つだけ聞かせてくれ」
ノートが言った。
「星が消えているという記録が正しいとして、君はどうするつもりだ」
「記録を続けます」
「それだけか」
「今はそれだけです。記録が積み重なれば、何かが見えるかもしれない。今の俺にできることは記録することだけです」
「院に報告するつもりはないのか」
「院が信じなければ意味がありません。信じてもらえるだけの記録が積み上がってから考えます」
「……何年かかると思っている」
「分かりません。でも急ぐことよりも、正確であることの方が大事だと思っています」
ノートが立ち上がった。
「分かった」
それだけ言って、また別の工房へ向かった。
ノートが去った後、ソーラが来た。
「なんだったの、あの人」
「検査官です」
「分かってる。記録帳の問題は解決したの」
「工房の評価には影響しないと言っていました」
「本当に?」
「はい」
ソーラが少し息を吐いた。
「レン、あなたって心臓に毛が生えてるわね」
「そうですか」
「普通、検査官に向かって言い返せない。師匠でも緊張する相手なのに」
「間違ったことを言っていないので、緊張する理由がありませんでした」
「それが普通じゃないって言ってるの」
ソーラが少し笑った。珍しかった。
その夜、記録帳にノートのことを書いた。
ノートという人間の印象。組織の論理と個人の認識が相容れない場合、組織の論理を優先せざるを得ない立場。内心では記録を正しいと認識しているが、それを表に出すことができない。
補足欄に書いた。
「正しいと認めることと、認定することは違う。俺は認定を求めているわけではない。だから今夜の結果は悪くない」
それで十分だった。




