第20話 三つ目の星
ロットが工房を発った。
一週間いた。短いようで、だいぶ慣れた一週間だった。
「またいつか来ます! ガルト師匠、ソーラ先輩、レン七歳、ベル!」
「俺の名前だけ年齢込みになっています」
「だって七歳ってことが特技じゃないですか。俺は「七歳の見習いがいる工房」として覚えておくから!」
ダンが「なんで見送りに来てるんだろう俺」と言いながら荷物を持っていた。ロットに頼まれて荷物持ちをさせられていた。
ベルが「また来てください」と言った。素直な言い方だった。ベルは感情を隠さないから、こういうとき正直に分かる。
「来る! 必ず!」
ロットが手を振りながら坂を下りた。声が遠くなっても元気だった。
静かになった工房は、少し広く感じた。
ソーラが仕事に戻った。父が観測器具を整理し始めた。ベルが素材の棚を確認していた。俺はいつも通りの午前の仕事をした。
ロットがいた一週間は、賑やかだった。工房がこんなに賑やかになったことは、俺の記憶にはなかった。ガルト工房はどちらかというと静かな場所で、俺もソーラも父も、無駄な声を出さない。ロットがいることで、空白が埋まった。
いなくなったら、その空白がまた分かる。
「ベル、寂しそうですね」
「……少し」
「また来ます。本人がそう言ってたから」
「来ると思う。あの人は言ったことをやる人だと思う」
俺もそう思った。ロットは明るい分、言葉が軽そうに見えるが、言ったことに対する感触が確かだった。「また来る」という言葉は冗談じゃなかった。
午後の観測の準備をしていたとき、記録帳を整理していて気づいた。
北方向。ベルが最初に「薄い」と言った方角だ。
俺は数値の変化を追った。一週間分のデータを並べた。
……下がっている。
北北東の、これも名称のない星。俺の記録では「相対指数85」だったはずのものが、この一週間で「78」まで落ちていた。一週間で7ポイント。南西の星より速い。
「……」
椅子に座ったまま、数字を何度も確認した。
見間違いではない。毎晩書いている数字は、確実に変化している。
夕明け星が消えたのは急速だった。南西の星は緩やかに消えかけている。そして北北東の星は、その中間くらいの速度で暗くなっている。
三件目だった。
「ベル」
「はい」
「北北東の方向、この一週間でどう感じていましたか」
ベルが少し考えた。
「……あの辺、確かに変な感じが増えてきてた」
「いつから」
「三日くらい前から。なんか、寒い感じがする。温度じゃなくて、なんか、欠けが増えてる感じ」
「教えてくれればよかったのに」
「言おうと思ってたんだけど、ロットさんがいて……なんか言いにくくて」
なるほど、と思った。ロットがいて賑やかだったから、こういう暗い話を出しにくかったのかもしれない。ベルは空気を読む。
「次から、気づいたらすぐ言ってください。どんな状況でも」
「はい」
父に報告した。
「北北東に三件目です。一週間で7ポイント落ちています」
ガルトが黙った。今回は長く黙った。
「三件」
「夕明け星の消失、南西の星の低下、北北東の星の低下。三件が確認できています」
「方向は」
「西、南西、北北東。バラバラです。共通点はまだ分かりません」
「速度は」
「夕明け星が最速、北北東が中速、南西が最遅。速度もバラバラです」
父がまた黙った。
「ミラ老師に伝えろ」
「はい」
「俺も行く」
それだけだった。
父が自分から「俺も行く」と言うのは珍しかった。ミラ老師のところに行くのは大体俺一人か、父が用事で行くときは別々だ。今回は一緒に行くと言った。
それが何を意味するか、俺には分かった。父が、本格的に認識し始めたということだ。
夕方、ミラ老師の家に行った。
老師に三件目を報告した。データを見せた。ベルの感覚記録も合わせて見せた。
老師は長い時間、記録帳を見ていた。
最後に言った。
「百年前の記録にも、方向がバラバラなものがある」
「消えた星の方向が?」
「そうだ。一定の方向ではなく、あちこちが、少しずつ消えている。当時の星図師はそれを「空の老いだ」と書いていた」
「老い」
「星が老いて暗くなるのは自然だ、ということだ。当時はそう結論づけていた」
「今も同じ結論でいいですか」
老師が俺を見た。
「お前はどう思う」
俺は少し考えた。
「分かりません。でも、百年前に記録があって、今も同じことが起きているなら、百年単位で繰り返しているか、百年前から続いているかどちらかです。どちらにしても、星の老いという自然の理由だけでは説明がつかない速度だと思います」
「なぜ」
「南西の星と北北東の星の低下速度が違いすぎます。自然に老いるなら、同じ種類の星はほぼ同じ速度で変化するはずです。速度のばらつきが大きい」
老師が黙った。父が横で黙っていた。
「……よく気づいた」
老師が言った。
「百年前の星図師も、その矛盾に気づいていたかもしれない。でも、書き残していない。「老い」と書いて終わらせた」
「なぜ書き残さなかったんでしょう」
「怖かったのかもしれない。原因が分からないと言うことは、怖いことだ。答えが出ないまま記録を続けることも、怖いことだ」
俺は少し黙った。
「俺は書き残します」
その夜、工房に戻って記録帳を開いた。
三件目の確認。北北東・名称なし・相対指数85→78(一週間)。速度:中程度。
それから一番下に書いた。
「これはもう偶然じゃない」
断言だった。証明はまだできない。でも、三件が揃ったとき、俺の中で何かが決まった。
俺が観測を始めたのは、父の仕事を近くで見ていたからだ。最初は純粋な興味だった。前の世界でも天文をやっていたから、星を見ることが好きだった。
でも今は違う理由もある。
消えていく星を、誰かが記録していなければならない。偶然じゃないなら、原因がある。原因があるなら、誰かが突き止めなければならない。それが今のところ、俺だという話だ。
大げさではなく、そう思った。
窓の外、夜の空に星が並んでいる。三件分の欠けを除いて、他の星はある。まだある。まだ記録できる。
俺は記録帳を閉じた。
明日も観測をする。ベルと一緒に塔に上がる。ソーラは仕事の準備があると言うかもしれない。父は来るかもしれない。コルダ老人はもう港にいないかもしれない。リナは寝ている時間かもしれない。ロットは今頃どこかの道を歩いているかもしれない。
でも俺は、ここで記録する。
それだけだ。




