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星図師は空の欠けを知っている  作者: ごま
第一部:工房の空

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第19話 ソーラの疑問

 ロットがガルト工房に滞在して三日目になった。

 朝は誰より早く起きて、誰より大きな声で「おはよう」と言う。ソーラより早く来ることはなかったが、二番目には確実に起きた。

「ガルト師匠、今日も観測の手伝いできますか」

「構わん。ただし黙って見ていろ」

「了解です!」

 了解してすぐ話しかけていた。でも父は特に怒らなかった。ロットの明るさを、なんとなく受け入れていた。

 ベルはロットに懐いていた。ベルは工房に来てまだ日が浅くて、俺やソーラとはまだ少し遠慮がある。でもロットとは初日から話していた。年が近いせいかもしれない。

「ロットさんって、旅してていいことありますか」

「いっぱいある。飯が各地で違う。見る空が毎回違う。友達が増える」

「でも一ヶ所に留まれないのは寂しくないですか」

「寂しいときもある。でも寂しくなったら次の場所に行けばいい、と思ってた。最近はちょっと考えが変わってきたけど」

「どこが変わりましたか」

「ここに来てから。ガルト師匠が「責任がある」って言ってたのが、ずっと頭に引っかかってて」

 ベルが少し考えた顔をした。

「責任か……」


 午前中の仕事が終わった後、俺は記録帳の整理をしていた。

 工房の奥の部屋は俺の記録スペースになっていた。過去の観測データ、ベルの感覚記録、ロットから聞いた情報、各地の星図との比較メモ。量が増えてきたので、索引ページを作ることにした。

 後ろから気配がした。

「……こんなに書いてるの」

 ソーラだった。

 記録帳を覗き込んでいた。俺の後ろに立って、肩越しに見ていた。

「見ていいですか」

「どうぞ」

 ソーラが記録帳を受け取った。ページをめくった。黙ってめくった。かなり長い時間、めくり続けた。

「……なんでこんな細かいことまで書くの」

「あとで並べると分かることがあるので」

「どのくらい先のことを想定して書いてるの」

「分かりません。でも後で使えそうなことは全部書いておく、という方針です」

 ソーラがまた黙った。俺の記録帳の補足欄のところを読んでいた。事実と推測を分けて書いてある欄だ。

「この「推測」って欄、何」

「事実と推測を混ぜると後で分からなくなるので分けています」

「……普通そんな書き方しない」

「どうして」

「推測は推測でしかないから。記録帳に書くには信頼性が低い」

「でも書かないと、後で「気になったこと」を思い出せなくなります」


 ソーラが椅子に座った。記録帳を持ったまま、じっくり読み始めた。

「これ……ベルの感覚を記録してる」

「はい」

「感覚って、記録になりますか」

「証拠にはなりません。でも傍証にはなります。ベルが「欠けている感じがする」と言った日付と場所が、俺の数値記録と重なれば、片方だけより信頼性が上がります」

「それは……そうかもしれないけど」

「他にも、コルダ老人の五十年の感覚、ロットが各地で聞いた話、フィンが港で教えてくれた東の村の記憶の話——全部別の欄に書いてあります。今の段階では証拠じゃないけど、積み重ねれば何かが見えるかもしれない」

 ソーラが少し止まった。

「東の村の記憶の話って何」

 俺は説明した。フィンという行商人が教えてくれた、ランドという村で老人たちが同じ時期の記憶を失っているという話。

「それ、星と何の関係があるの」

「分かりません。でも、気になるのでメモしてあります」

「……」

「ソーラさんなら、どうしますか」

「……証拠がない話はメモしない。混乱する」

「俺は記録帳を事実欄と推測欄に分けているので、混乱しません。証拠になる前の段階のことを書いておく場所を別に作ってあります」

 ソーラが記録帳を閉じた。


「あなたって、なんでこういうことを」

「こういうこと、というのは」

「七歳なのに。なんでこんなに細かく、長く考えるの」

 俺は少し考えた。正直なことを言うと前世の話になるから言えない。でも、「分かりません」というのも違う気がした。

「星が消えていることが、気になるからだと思います」

「気になる、だけ?」

「気になって、放っておけない。放っておいたら何かを見逃す気がする。だから記録します」

 ソーラが俺を見た。少し長く見た。

「……ソーラさんはどうして星図師になったんですか」

「なりたかったから」

「なりたかった、というのは」

「正確な仕事がしたかった。曖昧なことより、正確なことの方が好き。星図は正確じゃないと意味がない。だから向いてると思った」

「今も向いてると思いますか」

「向いてる。でも——」

 ソーラが少し止まった。珍しいことだった。ソーラが途中で止まることは、あまりない。

「あなたの記録帳を見てると、正確さだけじゃないことが気になってくる。どうしてそうなのか、とか。なぜ消えるのか、とか」

「それが気になりますか」

「……少し」


 ロットが「昼飯ですよー!」と呼んだ。廊下の向こうから声がした。マーゴさんが差し入れをくれたらしく、いい匂いがした。

 ソーラが立ち上がって記録帳を返した。

「整理された記録帳だった。見やすかった」

「ありがとうございます」

「あなたのやり方には再現性がないと前に言ったけど、この「事実と推測を分ける」部分は再現できるかもしれない」

「よければ使ってください」

「……考えておく」

 ソーラらしい返し方だった。


 昼飯の席でロットがまた騒がしかった。

「マーゴさんの煮込み、最高ですね! 旅してて一番困るのは飯が安定しないことで! 港町は魚が美味しいけど内陸は違うし! ガルト工房の飯事情、毎日こんな感じなんですか!」

「毎日ではない」とガルトが言った。

「でもたまにある?」

「マーゴが気まぐれで持ってくる」

「最高の環境じゃないですか! やっぱり俺ここ気に入った!」

 ベルが「また長居しそう」と言った。ダンが「俺も飯だけもらいに来ていいですか」と言った。

 ソーラが「駄目です」と言った。

 台所が笑いで少し騒がしくなった。


 夜の記録帳に書いた。

 今日の出来事。ソーラが記録帳を読んで、「事実と推測を分ける」方法に関心を持った。ソーラが正確さ以外のことが「少し気になる」と言った。

 ソーラが変化している、というわけではない。でも、扉が少し開いた感じがした。

 記録が人に読まれると、何かが動くことがある。記録帳の中だけにある情報は、俺の中にしかない。でも、誰かに見られた途端に、それは別の場所にも存在し始める。

 前の世界でも、論文を発表すると世界が動き始めることがあった。それと似ている。

 俺はソーラとの話を「協力者の欄」に書いた。まだ「可能性」として書いた。確定ではないから。


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