表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星図師は空の欠けを知っている  作者: ごま
第一部:工房の空

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/74

第18話 星図の値段

 漁師組合の事務所に入ったのは初めてだった。

 港の奥にある古い建物で、中は煙草の匂いと魚の匂いが混ざっていた。長机があって、椅子がいくつかあって、壁に古い地図が貼ってある。観測塔とは全然違う空間だった。

 父と一緒に入った。俺は荷物を持つ係と記録係を兼ねていた。

「ガルト工房の先生が来た」

 組合の若い男が奥に声をかけた。しばらくして、組合長のカルボという男が来た。六十過ぎ、太い眉毛、声が低い。コルダ老人とは顔なじみらしく、普段は港でよく話しているのを見かける。

「ガルト師匠。今日は更新の話でしょうか」

「そうだ。新しい道標星の記録を持ってきた。月次の更新料と合わせて確認させてくれ」

「ええ、ええ」

 テーブルを挟んで座った。俺は隅の椅子に座って記録帳を開いた。


 星図の値段というのは、俺はあまり意識したことがなかった。

 工房の収入について父は細かく話さないし、俺も聞かなかった。仕事として星図を作っていて、それで工房が成り立っている、という程度の理解しかなかった。

 今日、数字が出てきた。

「月次更新が銀貨三枚。新しい道標星の記録追加が別途銀貨一枚。計四枚ということで」

「道標星の追加は、急ぎの依頼だった分、一枚半でいただきたい」

「……そうですな」

 組合長が少し間を置いた。

 俺は数字を記録した。頼まれていないが、いつか役に立つかもしれないと思った。


 交渉は短かった。一枚半で合意した。

 その後、組合長が星図を広げた。更新前と更新後の比較確認だ。父が説明しながら、変更点を指差す。道標星の位置、季節ごとの見え方の違い、悪天候時の代替案。

「夕明け星の代わりになる星、漁師たちはまだ慣れていないんですよ」

「時間がかかる。でも使い続ければ慣れる」

「急いで使って迷子になられても困る」

「新しい星の見つけ方を記した別紙を作った。渡してある」

「ありがとうございます。あの別紙、若い連中には助かってると言ってましたよ」

 組合長の口調が少し柔らかくなった。


 帰り道、父が少し先を歩いていた。

 俺は追いかけながら聞いた。

「星図の値段はどうやって決めるんですか」

「手間と責任による」

「責任?」

「その星図を使って海に出た漁師が死んだとき、誰が責任を取るか」

 俺は少し止まった。

「星図師が取るんですか」

「取れるかどうかは別だ。でも、関係はある。精度が低い星図で死んだなら、精度を上げる責任が星図師にある」

「精度が高くても、消えた星を使って死んだ場合は」

「それは星図師が知らせなかった分の責任がある。だから俺たちは消えた星を記録する。消えたことを記録して漁師に伝える。それが仕事だ」

 父が先に歩いて行った。俺は後ろを歩いた。


 工房に戻ったら、ロットとダンが玄関先にいた。

 ダンは届け物で来て、そのままロットと話し込んでいたらしい。

「そっちは北方面を回ってたんですか? 北の工房、どんな感じでした」

「北は寒くて、星が近い感じがする。空気が薄いから。でも俺は南が好き。温かいし」

「でも観測精度は北の方が高いって聞いた」

「確かに高い。寒いのを除けば最高の環境。寒いのを除けば」

 二回言った。よほど寒かったのだと思う。

 俺が通りかかったらロットが「レン! 今日は何してたの」と聞いた。

「組合との交渉に同席しました」

「七歳が同席?」

「記録係として」

「レンは本当にすごいな……」

 ダンが「組合って、夕明け星の件でまだ揉めてるとこですよね」と言った。

「揉めてるというか、漁師が慣れていないということです。別の星を使うことに」

「慣れてないまま海に出たりしないといいけど」

「慣れてないまま出ていた老漁師が二人いると、今日組合長が言っていました」

「で、どうなったんですか」

「幸い無事だった。でも、ひやりとしたと言っていました」

 ダンが黙った。ロットも少し黙った。

 「星図が間違っていたら死ぬ」という話は、俺には割と日常的なことだった。でも、外から聞く分には実感が違うらしかった。


「星図師って、そういう仕事なんだ」

 ロットが言った。

「知らなかったんですか」

「分かってはいたんだけど、今日みたいに具体的に聞くと違うな。俺、旅しながら技術だけ覚えてたけど、なんか……足りない気がしてきた」

「何が?」

「責任の感覚。師匠がいると自然に覚えるやつ。俺は各地を回ってるから、そこの漁師さんたちとそんなに長く関わらないんだよね。だから「命に関わる」という感覚が薄かったかもしれない」

 ロットはそれ以上言わなかった。でも考えている顔だった。

 うるさい奴だと思っていたが、考えるときはちゃんと黙る。それは分かった。


 夜、記録帳を開いた。

 今日同席した交渉の数字と内容を書いた。月次更新の料金体系、新しい道標星の普及状況、慣れていない漁師の危険事例。

 それから補足欄に書いた。

 「記録が命に関わる」という感覚を、今日初めて外から確認した。俺の記録は精度を上げることで漁師の安全に繋がる。逆に、精度が低い記録や誤った記録は命に関わる。

 当たり前のことだ。でも、数字で交渉する場面を見て、初めて重さとして分かった。

 父が「手間と責任による」と言ったとき、俺が想像していたよりずっと大きい責任を背負って仕事をしていた。

 毎晩、記録を続けることはそういうことだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ