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星図師は空の欠けを知っている  作者: ごま
第一部:工房の空

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第17話 父の若い頃

 ロットは翌朝もいた。

 工房の玄関先で荷物を広げて、昨夜の素材を整理していた。どうやら今夜もここに泊まるつもりらしかった。父がいつのまにか許可したらしい。ガルト工房は人を追い出さない方針らしかった。

「おはよう、レン。七歳、おはよう」

「おはようございます。七歳でなくレンです」

「分かってる。でも七歳が挨拶してると思ったら元気出るじゃないか」

 何かが違う気がしたが、反論する場所が分からなかった。

 ベルがロットの荷物を覗いた。

「この筒、全部星図ですか」

「半分くらい。半分は各地の工房でもらった写しとか、自分で作った記録とか」

「全部自分で担いで旅してるんですか」

「そう。重いけど」

 ロットが肩をすくめた。ほんとうに気にしていない顔だった。


 その日は午後から観測の準備があった。

 漁師組合が新しい道標星を正式に決めてから、月に一度ガルトが確認観測をする習慣が始まった。今日はその日だ。俺も記録係として同席する。

 父は出かける前に道具の点検をした。観測用の器具、記録帳、換算表。ソーラが準備した一覧を確認して、不足がないか確かめる。

 ロットが横でそれを見ていた。

「ガルト工房って、観測の準備が細かいんですね」

「当然だろう」

「俺がいた工房はもっと感覚でやってたけど」

「感覚で出た答えを数値で確かめることに意味がある」

「そういうもんですか」

「漁師は数値で動く。感覚は船頭の中だけにある。記録は残せる」

 ロットは少し考えた顔をした。反論せずに「なるほど」と言った。素直な奴だと思った。


 観測が終わった夜、雨が来た。

 急ではなく、夕方から空が重くなって、夜になって本格的に降り始めた。こういう夜は記録が取れないから、工房の中で過ごすことになる。

 台所に全員が集まった。ガルト、ソーラ、俺、ベル、そしてロットがまだいた。マーゴさんが昼間に差し入れた煮込みが残っていたので、それを温めて食べた。

 ロットがよく喋った。各地の話、変わった星図師の話、珍しい観測器具の話。ソーラは相槌を最小限にしていたが、聞いていないわけではなかった。ベルは時々「それで?」と続きを聞いた。

「ソルテの工房には面白い老師がいてね。毎晩空に向かって独り言を言ってるんですよ。星に話しかけてるって言って。最初は変な人だと思ったけど、あの人の星図は特に正確でした」

「なぜ正確なんですか」

「よく観てるから、だと思う。話しかけるくらいよく観てるから」

 ガルトが黙って煮込みを食べていた。

「ガルト工房に来る前、どこにいましたか」

 ロットがガルトに聞いた。

 父は少し間を置いた。珍しく、考えてから答えた。

「南の方にいた。修行をしていた。若い頃の話だ」

「南、どのあたりですか」

「ネベルという町だ」


 ネベルは港町ではなく、内陸にある星図師の集まる学術都市だと聞いたことがある。王立星図院の分院もある。

「ネベルですか。俺も行ったことある。星図師がたくさんいて、みんな議論してましたよ」

「議論する場所だ」

「ガルト師匠は修行中、何を議論してたんですか」

 父がまた少し間を置いた。

「星の変化を観測する方法を。俺が若い頃に少し気になることがあって」

「気になること?」

「……空が変わっている気がした」

 台所が少し静かになった。俺とソーラは顔を見合わせなかった。でも同じことを考えていたと思う。

「変わるって、どういう感じですか」

 ロットが続けた。

 父は少し長く黙った。

「上手く言えない。何かが、少しずつなくなっていく感じがした。記録には残らなかった。俺の感覚だけで、根拠がなかった。だから話しても相手にされなかった」

「根拠がなくて、そのまま終わったんですか」

「……ああ」

 それだけだった。

 父がそういう話をするのは珍しかった。ロットが初対面で臆せずに聞いたから、少し開いたのかもしれない。ガルトは知っている人間には扉を閉めているが、知らない人間には逆に少し開く、そういうことが時々ある。


「ガルト師匠は、今でも変わってると思いますか。空が」

 ロットが聞いた。

 父は答えなかった。

 答えない、ということがひとつの答えだと俺は思った。

 その後、話はロットが別の工房で覚えた観測の技術の話に移った。父が少し興味を持った様子で、技術的な質問をした。ロットが「それ面白いですね!」と大声で言った。台所が騒がしくなった。

 俺は少しだけ記録帳にメモした。

 父の若い頃の話。ネベルで修行中に「空が変わっている」と感じた。記録に残らなかった。誰にも信じてもらえなかった。

 カイの話をミラ老師から聞いた。カイも「星がおかしい」と言い続けて、誰にも相手にされなかった人物だ。

 父と、カイと、コルダ老人。みんな「何かがある」と感じていた。でも根拠がなかった。

 俺は根拠を作っている。毎晩、少しずつ。


 夜が更けて、ロットが「俺は布団があればどこでも寝られる」と言った。倉庫に案内したらすぐ荷物を広げて「最高!」と言った。どこでも元気だった。

 俺は部屋に戻って記録帳を開いた。

 雨の夜は観測ができない。でも記録できることはある。

 今日分かったこと。父が若い頃、空の変化を感じていた。根拠がなかったので封印した。俺の記録帳が積み重なれば、その根拠の一部になるかもしれない。

 なるかもしれない、とだけ書いた。断言しなかった。でも消さなかった。

 雨の音が続いていた。


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