第14話 新入り
ある朝、見慣れない子どもが工房の前に立っていた。
年は俺より少し上、十三歳くらいに見えた。男の子で、くるくるした明るい色の髪が特徴的だった。小柄で、笑うと目が細くなる顔をしている。荷物は小さなひとつだけ。工房の前で、入るのをためらっているようだった。
「ガルト工房はここですか」
声をかけてきた。
「そうですが」
「見習いの募集があると聞いたんですが」
俺は父に確認するために一度中に入った。
「知ってる」とガルトが言った。「エッダから連絡が来ていた。入れてやれ」
エッダさん経由の話らしかった。
その子の名前はベルといった。
どこか遠い場所から来たらしいが、詳しい話はしなかった。「家の事情で」とだけ言って、それ以上は続けなかった。ガルトも聞かなかった。この工房は詳細を聞かない方針らしかった。
昼飯を一緒に食べながら、ベルは工房の中を見回していた。
「広いですね」
「そうですか」
「前にいた場所より広い。あと、明るい。日が入ってる」
「港の方に窓があるので」
「海が見えるんですね」
「少し見えます」
ベルは少し目を細めた。嬉しそうな顔だった。この子はあまり感情を隠さないタイプだと分かった。
午後、ソーラがベルへの説明を始めた。
素材の場所、工房のルール、仕事の種類。俺が最初に聞いたのと同じことを、ソーラは同じ丁寧さで説明した。教えることに感情を入れない人だと改めて思った。
ベルは聞きながら、窓の外をちらちら見ていた。
「ベル、聞いてる?」
「聞いてます。でも——あの方角、なんか悲しい感じがする」
俺は顔を上げた。
ベルが指差したのは、西の方向だった。
「西がですか」
「なんか……空気が欠けてる感じがする。上手く言えないけど、なんか足りない感じ」
ソーラが俺を見た。俺もソーラを見た。
西の方角に夕明け星があった場所がある。今はない。
「何か知ってるの?」
ソーラがベルに聞いた。
「知らないです。ただそんな感じがして」
「感じがする、というのは」
「悲しいとか、空っぽとか。難しいんですけど、空に穴が開いてるみたいな感じ……かな」
俺はしばらく黙った。
「正確に言うと、あの方角に、先月まであった星がなくなっています」
「星が?」
「消えた。理由は分からないけど、なくなった」
ベルが西の空を見た。
「そっか。だから悲しいのかな」
この子は感覚で分かる。理屈じゃなく、空の変化を直接受け取れる。
俺はそれが気になった。
夜、ベルが観測塔に上がりたいと言った。
ガルトが許可して、俺も一緒に行くことになった。ソーラは明日の準備があると言って来なかった。
天井を開けると、ベルが「わあ」と言った。
子どもらしい素直な反応だった。俺は七年いたから今更感動しないが、初めて見る人にはそういう顔をさせる空だと思った。
「すごい。こんなにあるの」
「多いですよ、ファーレンは」
「全部に名前はあるんですか」
「名前がある方が少ないです。だからリナさんと同じことを言いますね」
「リナ?」
「港の漁師の孫娘。同じことを言ってました」
「そっか」
ベルはしばらく黙って空を見ていた。
「あの辺——」
指差した。北寄りの方角だった。
「あの辺も、なんか薄い気がする」
俺は記録帳を開いた。北方向の観測データを確認した。
特に異常は……ないはずだ。でも、俺の基準では「異常なし」でも、もっと細かい変化があれば気づけていない可能性はある。
「どのくらい薄い感じがしますか」
「分からない。薄い、としか」
「前に来たとき——ファーレンに来る前——は薄い感じはしませんでしたか」
「なかった。ここに来てから気づいた」
つまりファーレン近辺で感じている、ということだ。
「明日から毎日、そこを見てもらえますか。感じが変わったら教えてください」
「何かあるんですか」
「分かりません。でも、あなたが感じることは記録しておきたい」
ベルが少し不思議そうな顔をした。
「俺の感じることを、記録するんですか」
「感覚は証拠にはならないけど、傍証にはなります。複数のデータが積み重なると、意味が出てくることがある」
ベルはしばらく考えて、「分かった」と言った。
その夜、ガルトが俺を呼んだ。
「ベルをどう見た」
「変わった感覚を持ってる子だと思いました」
「感覚?」
「空の欠けを、感情として感じ取れるみたいです」
父はしばらく黙った。
「根拠は」
「今夜、夕明け星があった方角を見て「悲しい感じがする」と言いました。俺がそこに消えた星があると説明する前に」
「……」
「北の方角も薄い感じがすると言っていました。そちらは俺の記録では確認できていませんが、これから見ていきます」
ガルトはまた黙った。
「師匠のような目を持つ子は、時々いる」
「ミラ老師のような?」
「老師はまた別だ。ベルはもっと直感的だ。理屈ではなく、感じる」
「それを記録させたいと思っています。俺の数値記録と組み合わせると、より精度が上がるかもしれないので」
父が俺を見た。
「七歳が言うことではないな」
「すみません」
「悪い意味じゃない」
それだけ言って、部屋に戻った。
記録帳に今日のことを書いた。
ベル、十三歳。空の欠けを感情として感じ取れる可能性。西方向・夕明け星の場所を「悲しい」と表現。北方向に薄い感覚を覚えている。
俺の感覚は数値的だ。ベルの感覚は感情的だ。同じものを、違う方法で受け取っている。
二つの記録を並べると、何かが見えるかもしれない。
そういう予感があった。




