第13話 コルダ老人の話
週に一度、港に行く機会がある。
組合への定期連絡や、届け物の手伝いで父について行くことが多い。最近は一人で行かせてもらえるようにもなった。「足元に気をつけろ」とだけ言われて、あとは任せてもらえる。
港は賑やかだ。
漁師と行商人と旅人が入り混じって、朝は特にうるさい。魚の匂いと潮の匂いと、どこかで炊いている飯の匂いが混ざっている。前の世界では嗅いだことのない匂いだが、七年いたら慣れた。
コルダ老人は午前中、たいてい桟橋か港の隅の日当たりのいい石の上にいる。体は漁師として現役だが、最近は若い衆に任せることが増えて、自分は監督することが多いらしい。
今日も石の上に座っていた。
「おう、レン。一人か」
「父は工房に残っています。俺だけ届け物で」
「そうか。まあ座れ」
隣の石に座った。
しばらく海を見ていた。午前中の港は船が出た後で、少し静かになる。波の音と、遠くで誰かが怒鳴っている声と、鳥の鳴き声。
「老人の昔話を聞く気はあるか」
コルダ老人が言った。
「聞きます」
「漁師の昔話なんて、星図師の役に立つかどうか分からんが」
「役に立つかどうかより、面白いかどうかの方が大事だと思っています」
老人が笑った。
「いい返しだ。じゃあ聞け」
「俺が若い頃——三十代くらいか——の空は、今より星が多かった気がする」
俺は手が止まった。
「多かった、というのは」
「多かった。数えたわけじゃないが、なんとなく、賑やかだった感じがする。今の空は、なんというか……薄い」
「薄い」
「明るさの問題じゃないんだよな。数の問題でも、もしかしたらないのかもしれない。でも昔の方が、空が詰まってた感じがした」
老人は海を見たまま続けた。
「漁師ってのは夜の空を毎晩見てる。曇りの日以外はな。五十年見てると、なんとなく変化が分かる。でも俺は言葉にできないし、気のせいかもしれないと思っていた」
「言わなかったんですか、誰かに」
「言っても仕方ないと思ってた。俺たちは星図師じゃないから、細かいことは分からない。でも——お前が夕明け星の話をしたとき、俺は「やっぱりそうか」と思った」
「やっぱり」
「薄くなってたんだろうと。消えたのは夕明け星だけじゃないんじゃないかと、俺はずっとそう思ってた。でも言わなかった」
俺は記録帳を出した。
「今日の話、書いていいですか」
「なんで記録するんだ」
「漁師が五十年見てきた感覚は、俺の一年の記録より信頼できると思うので」
老人が少し驚いた顔をした。それからうなずいた。
「書いていいよ。何を書くんだ」
「コルダさんが感じていること。三十代の頃から空が変わった感覚があったということ」
「俺の感覚なんか、証拠にもならないだろ」
「証拠にはならないかもしれませんが、傍証にはなります。複数の人が似たことを感じていた、という記録は、一人より意味がある」
老人はしばらく考えた。
「……そうか。じゃあ書いとけ。コルダ、六十八歳、漁師歴五十年、空が薄くなった感覚がある。これでいいか」
「十分です。ありがとうございます」
その後、港をうろうろしていたら、見知らぬ男に声をかけられた。
三十代くらいで、旅人の格好をしていた。荷物が多い。行商人に見えるが、売っているものが分からない。
「君、星図師の見習いかい?」
「そうですが」
「腕のバッジを見た。珍しいな、こんな小さな子が」
見習いの証として工房のバッジを腕につけていた。地味なものだが、知っている人には分かるらしい。
「フィンという。行商をしている。各地の港を回ってる」
「レンです。ガルト工房の見習いです」
「ガルト工房か。腕がいいと聞いてる。ちょうどよかった、聞いてもいいか」
「何をですか」
「最近、各地を回っていて、変なことが多くてね」
フィンは声を少し落とした。
「東の方の町で、記憶がおかしくなった老人が出たって話を聞いた。一つの町で複数人。何年も前のことを全部覚えているのに、ある時期のことだけすっぽり抜け落ちている」
「記憶が」
「医者は歳のせいだと言ってるらしいけど、同じ年代の老人が同じ時期の記憶を失っているのは変だろ。星図師は空のことしか知らないかもしれないけど、何か関係があるかと思って」
俺は考えた。
記憶と星が、どう関係するか。今の段階では分からない。でも——気になった。
「どこの町ですか」
「この港から東に三日ほど行った、ランドという村。小さい場所だ」
「その話、記録してもいいですか」
フィンが少し驚いた顔をした。
「構わないけど、七歳の見習いが記録して何に使うんだ」
「今は分かりません。でも後で役に立つかもしれない」
フィンは少し笑って「変わった子だな」と言った。
工房に戻ってから、記録帳の補足欄に書いた。
コルダ老人の証言。そしてフィンという行商人の情報。東のランドという村で、複数の老人が同じ時期の記憶を失っている。
事実欄と推測欄を分けて書いた。
事実:老人たちの記憶の欠落。同時期に複数人。 推測:星の消失と何らかの関係がある可能性。ただし根拠なし。
「根拠なし」と書いた。でも消さなかった。
根拠がないことと、可能性がないことは違う。




