第11話 秘密の記録帳
見習いになってから、仕事の種類が増えた。
素材の管理、写図の手伝い、客への対応の見学。ソーラが担当していた作業の一部が俺に回ってきた。そのソーラは父の仕事をより直接的に補佐するようになった。工房全体が少しずつ動いた感じだった。
仕事は嫌いじゃなかった。
前の世界でもデスクワークは好きだったし、正確さを求められる作業は向いていると思う。ただ、子どもの体は集中力が続く時間が短い。午前いっぱいで限界になって、午後は少し頭が動かない時間が出てくる。これは前世にはなかった問題だ。三十二年分の精神と七年分の肉体では、どうしてもズレが出る。
その時間帯に、俺は記録帳を整理した。
記録帳は今や二冊になっていた。
一冊目は観測記録。日付、方角、輝度の推定値、気象状況。毎晩書いている。これが一番大事なもので、普段は鞄に入れている。
二冊目は補足記録。疑問、推測、気になったこと。「こういうことが起きた」という事実と、「こういう意味かもしれない」という推測を、必ず別の欄に書く。混ぜない。前の世界でも混ぜると論文がめちゃくちゃになるから、その習慣が残っていた。
問題は表記法だった。
輝度を数値で書きたいのだが、この世界には前の世界の「等級」という単位がない。星図師たちが使うのは「明暗の区別」で、明るい・やや明るい・ふつう・やや暗い・暗い、の五段階が一般的だ。それでは精度が足りない。
俺は独自の表記法を作ることにした。
一週間かけて考えた。
前の世界の等級制度(数字が小さいほど明るい)をそのまま使うことも考えたが、比較基準がなければ数字に意味がない。何を「1等」とするかが決まらないと、値が宙に浮く。
代わりに、俺は「基準星方式」を採用した。
工房の近くから見えるいくつかの星を「基準」に選んで、それを100として他の星を相対的に表記する。基準星が変わらない限り、他の星の増減が数値として記録できる。基準星自体が変化したときは、別の星に切り替えて記録する。
欠点は、基準星が消えたときに過去のデータが使いにくくなることだ。でも、今の段階ではこれが一番現実的だと判断した。
ソーラにその話をしたら、珍しく関心を持った顔をした。
「自分で単位を作ったの?」
「正確には単位じゃなくて相対指数ですが」
「同じことじゃない?」
「基準が変わると絶対値が変わるので、厳密には違います」
「……頭の中がどうなってるの、あなた」
「前の世界で——」
また口が滑りかけた。
「習い事で、数字を扱う場面があって」
「習い事。ふうん」
ソーラは深く聞かなかった。俺の「なんとなく分かる」系の発言に慣れてきた感じがあった。
ある日、ミラ老師の家に行ったとき、老師に記録帳を見せた。
老師はかなり長い時間、見ていた。
「これはお前が考えた?」
「はい。一週間くらいかけて」
「どこかで習ったのではなく」
「習っていません」
老師がページをめくった。
「……基準星を変えた時の補正方法は考えてあるか」
「ここです」
後半のページに説明を書いてあった。老師はそれを読んで、少し黙った。
「完全じゃないが、筋は通っている」
「どこが完全じゃないですか」
「基準星が二つ同時に消えたとき、この方法では対応できない」
俺は考えた。言われた通りだった。
「次の改訂で対応します」
「改訂、という言い方をするんだな」
「文書は改定していくものだと思っているので」
老師がまた少し笑った。
「変な子だ。七歳にしては特に」
帰り道、港でコルダ老人に会った。
「おう、レン。老師のとこか?」
「はい。記録帳を見てもらいました」
「お前は老師によく行くな。あの人、滅多に人を入れないのに」
「分からないです。なぜかは」
「気に入られてるんだろ。あの人、面白い奴しか相手にしないから」
コルダ老人が荷物を抱え直した。
「そうだ、レン。夕明け星の代わりの道標を、組合でようやく決めた。あそこのやや北にある星を使うことにした。ガルトにも報告するよう言われてたから、一緒に工房行くか」
「はい」
歩きながら、コルダ老人が言った。
「夕明け星、本当に戻ってこないのかな」
「……分からないです」
「星が消えるって、どういうことなんだろうな。俺たちには見えてなかったのに、お前には見えてた」
「消えかけてたとき、少しずつ暗くなってたんです。目が慣れてたから分かっただけで」
「慣れの問題じゃないよ、それは」
コルダ老人は港の方を見た。
「この海で五十年漁をしてきて、夜の空はずっと見てきた。でも俺には気づけなかった。気づける目というのが、ある人にはあるんだな」
俺は何も言えなかった。
「気づいてくれてよかった。消えるまでの記録が残ってる。それだけでも、違う」
工房に戻って、記録帳を開いた。
今日追加した改良点を書き込んだ。老師に指摘された「基準星が二つ同時に消えた場合」の対応案も、とりあえず思いついたことを書いた。完全な答えじゃないが、考え始めれば進む。
それから「コルダ老人の言葉」という欄を作って、今日聞いたことを書いた。
「気づいてくれてよかった」——事実として、コルダ老人はそう言った。
俺は推測欄に一行書いた。
「記録が意味を持つのは、誰かに読まれたときではなく、書いた瞬間からかもしれない」




