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推しの肩甲骨を剥がすことになりました。〜営業スマイルの裏でガチ恋勢は限界を迎えている〜  作者: 寝不足魔王


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第24話:仮想空間の密着、現実世界の限界

 佐藤凛、三十六歳。彼女は今、人生で最も「不可解な密着」に直面していた。

 場所はレンの自宅リビング。昨日、三十六歳という言い逃れのできない年齢の大台に乗ったばかりの彼女の前に立ちはだかったのは、新たな「推し活」の壁――最新のVRゲーム機だった。


「ね、凛さん! こっちこっち! 右から巨大なスライムが来てるから、魔法で止めて!」

「……レン様。申し上げにくいのですが、私は先程から暗闇の中で壁に向かって火球を連発しております。操作方法が全く分かりません! そもそも三十六歳の動体視力を過信しないでください!」


 レンが最近ハマっているという最新のVRファンタジーゲーム。

『専属トレーナーとして、最新技術を用いた動体視力のトレーニングも兼ねてほしい』という、もっともらしい(けれど絶対に凛を遊びに巻き込みたいだけの)理由で、彼女は協力プレイのパートナーに指名されたのだ。


 VRゴーグルを装着すると、視界は360度広がる美しい異世界にジャックされる。

 目の前には、凛々しい騎士の姿をしたレンのアバターが立っている。

 しかし、視覚が仮想世界にある一方で、現実の凛はレンと同じソファに座っており、彼の動くたびに伝わる体温や衣擦れの音を、異常なまでの解像度で感じ取っていた。


「あ、危ない! 凛さん、伏せて!」

「ひゃんっ!?」


 レンの声と同時に、凛の肩が強く抱き寄せられた。

 ゲーム内ではドラゴンの火炎放射を避ける動作なのだろう。だが、現実世界では、レンが凛の肩を抱き込み、自分の胸元に引き寄せている状態だ。


(……待って。視界はCGの勇者様だけど、右肩に触れてるこの質感は、紛れもなく本物の『アイドルの大胸筋』じゃないの!)


 凛はゴーグルの中で目を白黒させた。

 視界が塞がれている分、触覚が狂ったように研ぎ澄まされる。

 レンの逞しい腕が背中に回り、彼のシトラスの香りがパーカー越しにダイレクトに鼻腔を突く。三十六歳の理性が「これはゲームの演出、これはデータの塊」と必死に唱えるが、オタクとしての心臓は「推しとゼロ距離!!」という事実に、もはや不整脈を起こしそうな勢いで脈打っていた。


「……あ、ごめん。……つい、反射的に。……でも、凛さん。……VRの中だと、なんかいつもより小さく見えるね。……守ってあげたくなるっていうか」


 耳元で聞こえる、生身の声。

 レンの吐息が首筋を掠め、凛は全身に電気が走ったような衝撃を受けた。


「……レ、レン様。……離してください。……敵は、もう去ったのではないですか?」


「んー。……まだ来そう。……ねえ、凛さん。……このまま、僕の後ろに隠れてて。……僕が、ずっと守ってあげるから」


 レンの言葉は、ゲームの台詞をなぞっているようでいて、けれど本心を隠しきれない甘い響きを帯びていた。

 彼はそのまま、凛の腰をぐいと引き寄せ、自分の膝の間に彼女をすっぽりと収めるような形で座り直した。


(……ダメ。……これ、三十六歳の独身女性が耐えられる多幸感じゃない。……私、今ならこのままデータになってサーバーに住み着ける気がする……!)


 凛は震える手でコントローラーを握りしめた。

「……レン様。……不謹慎です。……トレーニングと言ったのは、あなたでしょう。……ほら、早く次のステージへ行ってください。……三十六歳の血圧を上げすぎないで!」


「えー。……凛さん、現実だとあんなに厳しいのに。……ゴーグルしてると、なんだか大人しいね。……もしかして、僕の顔が見えないから、少しだけ『僕の凛さん』になってくれてるの?」


 レンの指が、凛のゴーグルの縁を、悪戯っぽくなぞった。

 視覚を奪われた無防備さと、触覚による至福。

 その奇妙なアンバランスさが、凛の「大人の分別」を、ゆっくりと、けれど確実に溶かしていく。


 恋愛未満。

 けれど、この暗闇の中で共有されている熱量は、間違いなく「仕事」の範疇を大きく逸脱していた。


    * * *


 一時間後。

 ようやくゲームが終わり、二人はゴーグルを外した。

 現実世界の明かりが目に飛び込み、凛は慌ててレンから距離を取った。


 レンは、少し乱れた髪をかき上げながら、満足そうに伸びをした。

「あー、楽しかった! ……凛さん、意外と魔法使いの才能あるよ。……最後、僕の背中を守ってくれたの、すっごく頼もしかった」


「…………。……私は、ただパニックになってボタンを連打していただけです。……あと、現実世界での距離感がおかしすぎます」


 凛は赤くなった顔を伏せた。

 レンの顔を見ると、先程までの「ゼロ距離」の感触が蘇ってしまい、まともに直視できない。

 三十六歳になって早々、こんなに心臓を酷使する羽目になるとは。

 

 レンはそんな凛の様子を見て、ふっと優しく微笑んだ。

 そして、彼はテーブルの上に置かれた凛のマッサージバッグを指差した。


「……さて。……ゲームで動体視力使ったから、今度は本物のメンテナンス、お願いしてもいい? ……さっき、凛さんを抱き寄せた時にさ。……凛さんの肩、すっごい震えてたから。……今度は僕が、その緊張、解してあげたいくらいだけど」


「…………お断りします。……あなたのバキバキになった前腕筋を、私が『根こそぎ』解させていただきます! これが、三十六歳の意地です!」


「あはは! やっぱり、そうじゃなきゃね」


 凛は逃げるようにオイルを取り出した。

 

 三十六歳、佐藤凛。

 仮想空間での冒険は終わったが、現実世界での「推しとの距離」は、もはやどんなVRよりも非現実的な熱を帯び始めていた。


(……VRゴーグル、あと十枚くらい予備を買っておこうかしら。……いえ、これ以上は本当に寿命が縮むわね、私の……!)


 凛の心の中の叫びは、レンの無邪気な笑い声と共に、夜のリビングに溶けていった。


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