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推しの肩甲骨を剥がすことになりました。〜営業スマイルの裏でガチ恋勢は限界を迎えている〜  作者: 寝不足魔王


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19/21

第19話:暴露されたガチ恋垢と、推しの爆走生配信

 アイドルの輝きは、時に、見る者の心にある「執着」という名の毒を呼び覚ます。

 だが、その毒を「笑い」という名の解毒剤で中和できるのは、世界で唯一、二十三歳の無敵な陽キャ・レンだけかもしれない。


 その日の朝、佐藤凛(三十五歳)が事務所のスタッフルームのドアを開けた瞬間、空気は液体窒素をぶっかけられたかのように凍りついた。

 同僚たちがタブレットを囲んで何やら囁き合い、凛が近づくと一斉に視線を逸らす。その光景に、凛の職業的な直感――そして十年以上のオタ活で培った「嫌な予感に対するアンテナ」が最大出力で警報を鳴らした。


「……何かあったのですか?」


 リーダーのカイが、苦虫を噛み潰したような顔でスマートフォンを差し出す。画面には、大手ネット掲示板とSNSで爆発的に拡散されている、粗い画質の写真が踊っていた。


『【激写】ルミナス・レイのレンに愛人発覚!? 深夜にマンションを出入りする謎の年上女性』

『この女、昔のイベント会場にもいたぞ。職権乱用のガチ恋勢か?』


 心臓が、一度止まってから激しくバックバクと脈打ち始めた。

 深夜、レンの自宅から地味な格好で出てくる自分の姿。さらには、過去に一般ファンとして最前列でペンライトを振り回していた際のマヌケな近影までが、丁寧にも比較画像として並べられている。


(終わった。私の社会人生活も、レンくんの清廉なイメージも、すべてがこの一秒で塵になったわ……!)


 凛の脳内では、すでに「不適切接触により解雇」という辞令と、全ファンからの呪詛じゅそが飛び交う謝罪会見のシミュレーションが始まっていた。だが、その絶望の淵で、凛の中の「プロのオタク」がふと冷静に写真を分析し始めた。


(……待って。この撮影角度、そしてこのタイミング。……これ、パパラッチじゃないわ。事務所の内部構造とレンのスケジュールを完全に把握している人間の仕業だわ)


「佐藤さん、マネージャーが上で待ってる。……それと、レンが今、隔離室で暴れてる」

 カイの言葉通り、廊下の奥からは「佐藤さんは関係ないだろ! 僕が無理やり呼んだんだ!」というレンの怒鳴り声が、壁を突き抜けて聞こえてくる。


 マネージャー室に入ると、そこには頭を抱えた松下と、冷徹な東、そして今にも机を蹴飛ばしそうな勢いのレンがいた。

「……佐藤さん。この写真について、説明を……」


「説明の前に、まずはこちらをご覧ください」

 凛は、震える手で自分のノートPCを広げた。絶望で泣き崩れる暇があるなら、一秒でも早く「推しの足元を掬った奴」を特定するのがオタクの義務だ。


「これは、リークされた写真の影の伸び方と、事務所の搬入口の防犯カメラの死角を照らし合わせた解析データです。……撮影者は外部の人間ではありません。今週の火曜、清掃に入っていた業者、あるいはその隙に侵入を許した『内部の手引き』によるものです」


「……えっ、佐藤さん、いつの間にそんなの調べたの?」

 怒り狂っていたレンが、ポカンと口を開ける。


「レン様、静かに。……私は十年以上、あなたのスケジュールを分単位で把握し、SNSの投稿背景に映り込んだ僅かな反射から居場所を特定するアンチと戦ってきた『ガチ勢』です。この程度の特定、マッサージの合間に終わります」


 凛の「鋼の営業スマイル」が、今は不敵な軍師の笑みに見えた。

 東が眼鏡を押し上げる。

「……なるほど。あなたが『ファン』であるという疑惑は、この際、有能な防衛能力として評価しましょう。……ですが、世間は納得しませんよ。現在、不買運動や『裏切りだ』という声が殺到しています。……特に、あなたの『裏垢』が特定されるのも時間の問題だ」


 その言葉に、凛は凍りついた。

 『レン君の鎖骨に住みたい凛』――その存在が公になれば、もはや弁解の余地はない。


「それなんだけどさ!」

 レンが、突然会議室のテーブルをバンと叩いて立ち上がった。

「僕、いいこと思いついちゃった。……っていうか、これが一番スッキリするし!」


「レン、何を――」


 止める松下の声を無視し、レンは自分のスマートフォンを取り出すと、事務所の公式生配信アプリを独断で起動させた。


「あ、みんなー! おはよー! ライブ配信始めたよ!」


「「「なっ……!?」」」


 大人たちの絶叫を余所に、レンの配信には数秒で数万人の視聴者が集まってきた。

 凛は画面外で、もはや気絶する寸前だった。この男、あろうことか「事前の打ち合わせなし」で、世界に向けて爆弾を放り投げようとしている。


「えー、週刊誌の件でみんなザワついてるみたいだけど、結論から言うね! あの女性は僕の『命の恩人』で、世界一のマッサージ師の佐藤さんです!」


 チャット欄が猛烈な勢いで流れる。『愛人じゃないの?』『ファンだったって本当?』という文字が画面を埋め尽くす。


「でね、彼女が実は僕のファンだったって話。……それ、本当だよ! むしろ僕、彼女がガチ勢だから採用したんだよね。だって、僕の配信を毎晩隅々までチェックして、僕がゲーム中にどこを痛めたか、画面越しの姿勢だけで把握してる『プロのオタク』だよ? そんなの、僕の体を管理してもらうのに世界で一番適役じゃん!」


 凛は壁に頭を打ち付けたくなった。

 この男、あろうことか「重度のファンであること」を「採用の正当な理由」として堂々とプレゼンし始めたのだ。


「みんな、想像してみて? 自分の推しの筋肉を、プロの技術で毎日ケアしてくれるスタッフ。これほど愛情と責任感を持って仕事してくれる人、他にいないでしょ? 彼女、僕がちょっと変な姿勢で寝ただけで、次の日には指先で『昨日ゲームしすぎ』って叱ってくれるんだよ。最高に信頼できるスタッフ(職人)でしょ!」


 レンのあまりにもポジティブな、かつ「オタクの心理」を逆手に取った独自の解釈に、殺気立っていたチャット欄の空気が、急速に「呆れ」と「笑い」へと塗り替えられていく。


『……え、なんか納得しちゃった』

『確かに、アンチが触るよりガチファンが揉んでる方が安心だわ』

『プロのオタク(35)VS バキバキの推し(23)……この組み合わせ、新しすぎない?』


「というわけで! 彼女はこれからも僕の専属です。……もし文句があるなら、僕より先に僕の肩甲骨を剥がせるようになってから言ってね! ……あ、あと。僕らの仲を邪魔しようとして隠し撮りした犯人さん。特定はもう終わってるから、警察でゆっくりマッサージ受けてきてねー!」


 配信終了。

 世間の「愛人疑惑」は、わずか十分足らずで「推しを物理的に支える最強の職人オタク」という、誰も予想しなかった微笑ましい関係性として再定義されてしまった。


    * * *


 嵐が去った後の会議室。

 凛は、椅子に座ったまま魂が口から半分抜けかけていた。


「……レン、様……。……何をしたか分かっているのですか。……私はもう、一般人としての静かな隠居生活は送れません……」


「いいじゃん。……これで堂々と、僕の隣にいられるでしょ?」


 レンが、凛の前に膝をつき、その手を優しく取った。

「……佐藤さん。……いや、凛さん。……君の『鎖骨に住みたい』って願い、マッサージしてる時なら、実質叶ってるも同然でしょ? 誇ってよ」


「……っ、う、うるさいです! 恥ずかしすぎて今すぐこの床のタイルと一体化したいです!」


「あはは! 照れてる凛さんも可愛いよ。……さあ、騒動で体がガチガチになっちゃった。……ご褒美に、今日は特別に『公認ガチ恋勢』専用のフルコース、お願いしてもいい?」


 レンはそう言って、凛の指先にチュッと音を立ててキスをした。

 陽気で、無邪気で、けれど誰よりも独占欲の強い、彼のいつもの笑顔。


(……三十五歳。……佐藤凛。……どうやら私の人生、これからもっとめちゃくちゃになりそうです)


 凛は、真っ赤な顔でオイルの蓋を開けた。

 

 世界公認となった「推し」と「ガチ勢」。

 二人の歪で、最高に愉快な関係は、ここからさらなる「日常」へと爆走していく。


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