第79話 アリシア、スミナルド陛下の考えを聴く
「兄上! 俺の話を聴いてくれ!」
スレッドリーは、玉座へと戻っていくスミナルド陛下の背中に向かって叫び続ける。
「兄上は間違っている! 理想を掲げるだけでは民を救うことはできないんだ!」
スミナルド陛下はその言葉にピクリと反応し、階段の中腹付近でスレッドリーのほうに向きなおった。
「では訊こう。お前の言う『民を救う』とはなんだ?」
根源的な問いかけだ。
「俺の思う『民を救う』とは……常に明日の食事の心配をする必要がなく、飢える者がいない世界。毎日みんなが笑顔で、前向きに生きていける世界を作ることだ」
初めて言語化されたスレッドリーの理想郷。
ストラルド様のお考えも、きっとそれに近いものだったんじゃないかなって思う。あの方は常に笑っていらっしゃったものね。それでいて保守的過ぎず、わたしやエヴァちゃんみたいな常識から外れているような者のことも、ちゃんと見て評価してくださって……。
でも、理想の王国作りは道半ばだったと思うから。息子のスミナルド陛下には、自分の意思を引き継いでほしいと思っていたんじゃないのかな。
「ああ、それはたしかに『民を救う』目指すべき国の在り方だな。私も同じ考えだよ」
スミナルド陛下が肯定の意を示す。
「ではすぐに民を苦しめる新法を廃止し、貴族領の自治権を復活させなければ」
「だからそれはなぜだ?」
「なぜとは……。民が苦しんでいるから……」
「それの何が問題なのだと尋ねているんだよ」
民が苦しんでいることに問題はない。
そうとも取れる発言に、スレッドリーは困惑した様子を見せ、言葉を詰まらせる。
「よく聴け、スレッドリー。人の上に立つのならば、目の前のことばかりに気を取られ、場当たり的な対処を繰り返してはいけない。それをすると、たしかに目の前にいる民をその場限りで救うことはできるだろう。しかし、その間にほかの民のことはどうする? すべて順番に救っていくのか? 端から救っている間に、最初に救った者がまた不幸に陥ったらどうする? もう一度その者を救うのか、それともその者は後回しにしてまだ救っていない者を先に救うのか?」
「それは……」
その問いかけに、スレッドリーは答えられない。
スレッドリーが掲げたのはただの理想論で、実際にどう手を打つかを練った話ではないからね。手法について問われても答えられないのは当然だよ。
「理想を掲げるなら、同時にその道筋も考えろ。幾通りもな。人は生きている。頭の中で描いた通りには動いてくれないのだよ。だからどんな事態に発展したとしても、理想からぶれないように、できうる限りすべてのパターンを検討しておけ。絶対に進んではいけない道を行きそうになったら、その時には全力で抗え。どんな代償を払っても、阻止しろ」
つまり今の状態は、スミナルド陛下が検討した幾通りも考えた道筋の中の1つ。想定内の状態であって、絶対に阻止しなければいけないような状態にはない、ということなのかな。
「民の1人1人を見るのはとても良いことだ。しかし、すべての民を救いたいと願うなら、国を在るべき理想の姿にしたいと願うなら、諦めなければいけないこともあると知れ」
「だが兄上。それだと、すべての民を救っていないのではないのか……」
目の前の結果だけを見たらたしかにそう。
今も仕事を失った各貴族領の兵士たちは不幸になっている。そしてその人たちが食べるものに困って野盗になって、襲われた相手も不幸になっている。
「なあ、スレッドリー」
スミナルド陛下は再び階段を降り、スレッドリーのもとへ歩み寄る。
「理想を掲げたその瞬間からその状態になるとしたら、それほどうれしいことはないな」
そうね。
でも――。
「そんなことはありえんのだよ。理想に近づけていくためには、あらゆるものが変わっていく必要がある。今までと違うものに変化するには多くの苦痛が伴うものだ。それは避けられないのだよ」
今の状態は変化の途中に支払わなければいけない代償。
国民の苦痛は想定されたもの。
「お前の言う『すべての者が飢えずに笑顔でいられる世界』というのは、私が目指す理想の国の状態でもある。思い描く景色に大きな差はないと思っているよ」
「しかし!」
納得できない様子のスレッドリーが声をあげる。
「民は目の前のことしか見えていない! 兄上は自分たちを飢えさせようとする敵。そのように思われてしまっている! このままでは!」
暗殺されてしまう、か。
どうしようね……。
今みたいな話って、共感できる人とできない人がいるからね。
『国が理想の状態になるためには、必要なことだ。だからあなたは飢えて死んでね』って言われて、『はいわかりました』とはならないもんね。
2人は同じ理想を目指しているようでいて、どこか決定的にすれ違ってしまっている気がする。
これは困った……。




