愛しきものは我が腕の中で
「ぅ……」
竜が完全に絶命したのを確認したところで、椛の身体は落下を始めた。
重力に従い落ちる最中に、彼女を支えていた風も手に握られていた刀も霧散している。
身体には力が入らず、薄れゆく意識の中では迫る地面が視界に入ってくるだけ。
このままでは、地面身体を叩き付けて死ぬだろう。
だが、それもいいかも、と椛は思っていた。
二人のいないこの異世界で生きる意味は無い。
そう諦め、完全に身体から力を抜き、思考を止めたとき――
「そんなところで眠ると危ないよ、椛ちゃん」
そっと、聞き覚えのある声が耳に入り、身体が何かに受け止められたところで、椛の意識は闇へと沈んだ。
「りょ……う?」
自らの呟きの下、椛は目を覚ます。
椛は自身が気を失っていたことを思い出したが、どうして気を失うことになったのかが思い出せない。
身体を起こし、辺りを見渡そうとすれば、身体の節々が悲鳴をあげ、椛の顔は苦痛に染まる。
その痛みが原因なのかはわからないが、椛の右目から涙が伝う。
「あれ、私どうして……」
「あ、目が覚めたんだね椛ちゃん」
「椋?」
「うん、ボクだよ~椛ちゃん」
どうして涙が流れているのかを疑問に思っていたところに、自分が目覚めることとなった人物がそこにいた。椛は、椋を確認した途端に安堵した。それも、どうして安堵したかはわからない。
そう、ただなんとなく――
「椋!」
「わぁっ! っと。どうしたの、椛ちゃん?」
「わからない。わかんないけど、しばらくこうさせて?」
「うん……」
うれしい気持ちがそこにはあり、椋がそこにいるということ、確かめたかっただけだ。
椛が椋に抱きついていると、柔らかな手が椛の頭を撫でる。
それにまた、椛は安心感を覚えるのだ。
「ボクはここにいるよ。離れないから。だから、安心して」
「うん」
それから十分ほど、椛はこの気持ちが落ち着くまで椋を抱き続けた。
「ん……ありがと、もう大丈夫」
「どういたしまして~」
「それで、ええと……どういう状況?」
冷静に考えてみれば、どうして自分が寝ていたのかを椛は把握していなかった。
「ん~とね、今いるのは、火山前に建てておいた拠点だよ。
それで、ここにいる目標の討伐が完了した時に、椛ちゃんが気を失っちゃったから、椛ちゃんは寝てたんだよ」
「んー、でもなんでか私それを斃した記憶がないんだけど……」
「椛ちゃん気絶するときに少し頭打ってたから、それで記憶が混乱してるのかも」
「そうね。確かにそうかもしれない」
それから、椛が疑問を述べれば椋が答えていき、椛は現状を理解していった。
話がひと段落すると、二人の身体は空腹を訴えたので、外で見張りをしている悼也と食事をし、その後は、様子を見るということで今日一日をゆっくりと過ごすことになったのだった。
――時間は少し遡る
竜の息吹が椋の目の前まで迫った時、悼也は椋ごと影へ呑み込み、即座に離脱した。
影とはすなわち光と同等であり、光の速さで動けるというのならばまた、影も同様の速さで動く事が出来る。
しかし、それには影であることが前提だ。そのために、悼也は咄嗟に出来るかどうかの賭けを行い、それに勝った。
実際のところ、燃焼は自発的に光を発する事象であり、すなわち炎の中には影が存在しなくなる。それ故に、一歩間違えば悼也は影の行使を行えず、椋とともに炎に呑み込まれて死ぬという可能性もあったということだ。といっても、それは既に終わった話なので可能性も何もないが。
「………………」
音は無いが、水面から顔を出すアザラシのように、悼也の双眸が地面にある影から辺りを見回す。どうやら、危険はないようだ。
確認を終えた悼也は、もしもを考え椋を先に外へと出し、続いてその体を影から這い出す。熱気に満ちた空気が身体をすぐに包む。
「あ、ありがと~悼也君」
椋は自分が無事であることを確認すると、一つ大きな嘆息をついた後に悼也に礼を言った。
だが、現状悼也は椋の方を見ていなかった。というよりは、見れなかった。
なぜなら――
「あれ、ボクの服無い」
椋の服が、どこへ行ったか無くなっていたからである。
その格好は下着と、脚に巻きつけている分割された棒、腕に身に着けている藍色の宝石の埋め込まれたリング。それ以外は身に着けていなかった。
実は、悼也は椋が影から出る際に彼女の健康的な素足を目撃しており、そのために椋の方は見ていなかったのだ。
「う~ん、これどうしよ~」
さしもの椋は、声は困ったと言ったセリフではあったが、そこに羞恥だとかいったものは混ざっていない。
ただ、純粋に困っているだけだった。
するとそこで、椋の影が蠢きだし、次の瞬間に椋の身体を覆う。
それは椋の首から足首までを覆っており、すっぽりと椋の肌を隠した。
「影の服だ~」
無論、影を操り服を作る芸当が出来る者など悼也以外いない。
悼也としても、椋が下着姿というのは厄介なため、彼女の影を用いて服の代替品としたのだった。
それから二分ほど、椋と悼也はお互いに目立つ傷があるかどうかを確認し合い、無事を確認したところで椛がいるところへ戻ろうとした刹那――。
「うわぁ!?」
「くっ」
風が吹き荒れた。
ただの山などで起こるような風ではない。嵐の時のような、荒々しく、全てを持ち去ろうとする風。
加えて、その風はただ吹いているのではなく、何処かへ集まっていることがわかり、その場所が椛のいる場所だということもわかった。
原因をすぐに知る。
椛が、行っているのだろう、と。
「急ごう!」
「ああ」
この時の椋は焦った声で悼也を呼び、悼也もまた、いつもとは違い声に焦りのようなものが垣間見えていた。
ただ、二人が避難したところと椛のいる場所は大きく離れており、推定でも二十分近くかかる。
「悼也君!」
「わかった」
それなりに長い間一緒にいるだけあって、二人は阿吽の呼吸で行動する。
椋が考えたのは、悼也の使用した影による移動。
アレを使えば服が消えるわけなのだが、椋は既に服ではなく影を身体に纏っているので、気にすることもなかった。
即座に、悼也は椋へと近づき影を展開。
二人の身体を呑み込み、平面の影となった一つの影は、生身での移動よりも遥かに速い速度で椛の下へと移動するのだった。
「うわぁ、完全にキレちゃってるよ、椛ちゃん」
そこで見たのは、一人の少女の怒りによる暴走と、一匹の緋竜による空中での高速戦。
椛は空を蹴りながら縦横無尽に竜を牽制し、竜はひと回り小さくなったその躰を駆使しながらお互いに相対している。
一人は烈風をまき散らし竜へと斬りかかり、一匹はその鋭い爪牙で少女へと喰らい引き裂こうとする。
「これは、手出しすると巻き込まれちゃうな~。悼也君、今は観てることにしよう。それにボクとしては、あそこまで怒る椛ちゃんは、久々だよ」
実際に、椋は椛がキレるのを数えるほどしか見たことがない。それも、怒る理由はほとんど椋だったり椛に近しい人間に対してだけ。一度だけ、椋も椛にキレられたことがあるからこそ、椛のあのキレている状態の時は、下手な事をしない方がいいこともわかっていた。
絶対に、キレた椛と喧嘩をしないほうがいい、と。
「あれ、悼也君も結構昔に椛ちゃんにボコされたよね?」
「ああ……」
被害者は、ここに二人いた。
それも、椋も悼也もキレたときの椛に面喰い、一方的に反省するまでボコられた記憶は、もはやトラウマといっても過言ではない。なにしろ、幼い頃より大人顔負けの身体能力と道場で鍛えていた技を身に着けていたはずなのに、こと椛に至ってはそれが通用しなかったのだから。幼心でなくとも心には残る。
しみじみと二人はその時のことが脳裏に浮かび、またそれによって冷や汗をかいたのは言うまでもあるまい。
「それにしても、一番厄介なのは、やったことを覚えていない点なんだよね~」
そう、もう一つに恐ろしいのは、椛はキレた後に、必ず気絶する。そして目が覚めると、キレた要因全てを忘れているのだ。だからこそ、本人は何も知らないしいつも通りに接してくる。それが、ある意味では一番怖いことでもあった。
なにせ、自分でつけた傷なのに、どうしたのその怪我?と心配してくれるのだ。本心で。
だからこそ、心配している相手に原因がお前だというのもためらわれたし、もしキレているときの自分を思い出させて下手なことが起こるのも困るから、言わなかった。
故に、椋の中では怒らせてはいけない人物殿堂入りしており、悼也もトップ3には椛がランクインしているのだった。
「あ、あの動作」
そこで、事態は変わる。
翼を片方使い物にならなくなり地面へと落下した竜が、椛の方を見て大きく口を広げたのだ。
それはとあることへの予備動作であり、椋も命の危機にさらされたもの。
だが対する椛は、竜の真正面に立っていた。
そして竜の予備動作は二秒と経たないうちに終了し、その口からは炎の息吹が吐かれる。
危ないと、そう思い椋が飛びだそうとしたとき、悼也は椋の肩を掴んで止める。
「なにするの!?」
「観ていろ」
「でもっ」
「観ていろ」
悼也の言葉ははっきりとしており何かの確信に満ちていた。だから椋はその言葉を信じ、椛を見守る。
視界に映る椛は、黒い塵の集合体で出来上がった刀を腰に溜める。
そして、炎が椛の目前にまで近づいた瞬間、腰に溜められていた刀が下から上へと一閃。
同時に炎の中に椛は呑み込まれ、椋は内心不安でありながらも、飛びだすことはしなかった。
しばらくもしないうちに炎は空気に紛れて消え、そこには炎が迫るまでと同じ刀を腰に溜めたままの椛の姿が。椋は安堵する。が、その後に驚愕にも襲われる。
炎の息吹を吐いた竜が、真っ二つに割れ、絶命した。
それは考えるまでもなく、椛が起こしたのだと、確信した。
では如何様かと問えば、答えは既に用意されている。
炎が迫る刹那に振った黒い刀。あれが、竜を斃した原因なのは間違いない。
竜は割れた片方の躰を溶岩に沈ませると、もう片方は地面へと倒れる。
「椛ちゃん!」
だが、椋の視界にはそんなものなど入っていなかった。
竜を斃したことからか、宙に立っていた椛は糸の切れた人形のように落下する。
椋は全速力を以て椛へと近づき、このまま地面に落ちてくるまで待っていては自分が今度は椛を受け止めることが出来ないと判断。すぐさまに全身を用いて高く跳躍し、その腕に椛を抱きかかえることに成功する。
そして、こう言った。
「そんなところで眠ると危ないよ、椛ちゃん」
閉じかけている目蓋の中にある瞳が椋の姿を捉えると、椛は意識を闇へと委ねる。
その表情は、親とはぐれた幼い子供が、ようやく親と再会できたときのような、安心した顔つきだった。
そして椋は、椛のその表情を見て安心すると、竜の躰から素材を回収した悼也と合流し、火山の外にある拠点へと戻るのだった。
椛の意外な一面性。
なんだかんだでリーダーは椛なのです。




