畑の小さな侵入者
第9話 畑の小さな侵入者
小さな魔物が地面を蹴った。
「ジョシュア、下がって!」
エリシアの声が響く。
緑がかった身体が、草の上を矢のように走った。
ジョシュアは反射的に身を引いた。魔物は彼の足元をすり抜け、そのまま畑の方へ駆けていく。
「……あれ?」
エリシアが剣を構えたまま振り返った。
「襲ってこない?」
「どうやら、僕たちより作物の方が魅力的らしいね」
レオンが落ち着いた声で答えた。
魔物は畑に飛び込むと、葉の大きな野菜に噛みついた。両前脚で器用に押さえ、夢中になって食べ始める。
大きさは猫ほど。細長い胴体に短い脚、背中には苔のような緑色の毛が生えている。長い尻尾の先だけが茶色く、耳の代わりに小さな突起が2つ伸びていた。
「……なんか、思ってたのと違う」
エリシアが呟いた。
「もっと凶暴なのを想像してた?」
「少なくとも、目の前で野菜を食べ始めるとは思わなかったわ」
ジョシュアも同感だった。
魔物はこちらを警戒していたはずなのに、今は食事に夢中だ。
「レオンさん、あれが何か分かる?」
「おそらく、モスラットだね」
「モスラット?」
「草地や森の浅い地中に巣を作る小型魔物だ。植物を好んで食べる。普段は臆病だけど、巣や子供を守るときには噛みつくこともある」
レオンは杖を下ろした。
「畑に入り込んだ理由も、これなら説明がつく」
そのとき、穴の奥から別の鳴き声が聞こえた。
「キィ、キィッ!」
続けて、小さな頭が2つ顔を出した。
先ほどの個体より一回り小さい。
2匹は周囲を見回すと、先に飛び出した魔物の後を追って畑へ走っていった。
「……子供?」
ジョシュアが尋ねた。
「たぶんね」
レオンは穴の入口を観察した。
「巣の中には、まだ何匹かいるかもしれない」
「じゃあ、あの穴を塞げばいいんじゃない?」
エリシアが言った。
「今すぐ塞ぐのは勧めないな。中に取り残された個体がいたら、別の出口を掘るだろうし、最悪の場合は畑の下を掘り進む」
「……それは困るわね」
エリシアは剣を鞘に収めた。
ジョシュアは畑の方を見た。
モスラットたちは相変わらず野菜を食べている。
その様子だけを見れば、ただの小動物と変わらない。
「捕まえて、別の場所に移すことはできないかな?」
ジョシュアが尋ねると、レオンは少し考えた。
「できなくはない。ただし、巣ごと移す必要があるね。何匹いるかも確認しないと」
「それなら、農場主さんに相談してみましょう」
エリシアが提案した。
「依頼は駆除だけど、畑が荒らされなくなればいいわけだし」
3人は、納屋から戻ってきたハインツに事情を説明した。
◇
「モスラットだって?」
ハインツは畑で野菜をかじる魔物を見て、顔をしかめた。
「そんなのが住みついてたのか……」
「ええ。今のところ、人を積極的に襲う様子はありません」
レオンが答えた。
「巣を移せば、被害を止められる可能性があります」
「移す?」
ハインツは眉を寄せた。
「そいつら、また戻ってきたりしないのか?」
「近くに放せば戻るでしょうね。だから、餌になる植物が多い場所まで運ぶ必要があります」
「そんな場所、あるのか?」
「街道から離れた南西の林なら、食べ物には困らないはずです。農場からも距離があります」
ハインツは腕を組んだ。
しばらく考えた末、ため息をつく。
「……畑を荒らさなくなるなら、方法は任せる」
「ありがとうございます」
「ただし、失敗してまた戻ってきたら困るぞ」
「その場合は、改めて対策を考えます」
レオンが答えた。
ハインツは頷き、納屋を指さした。
「使えそうな道具があれば貸す。籠も縄もあるからな」
それを聞いて、エリシアが笑った。
「じゃあ、さっそく準備しましょう!」
ジョシュアも頷いた。
こうして、3人の初めての共同作業が始まった。
◇
まず、畑の周囲に残された足跡を調べた。
穴は全部で3つ。
いずれも同じ巣につながっているらしく、入口の周囲には似た足跡が残っていた。
「出口が3つなら、全部見張る必要があるね」
レオンが言う。
「私がこっち。ジョシュアは向こうをお願い」
「分かった」
「僕は一番大きな穴を担当しよう」
3人はそれぞれの位置についた。
ハインツから借りた大きな籠には、葉物野菜を入れてある。
モスラットを誘い出し、籠の中へ入ったところで蓋を閉める作戦だった。
単純だが、傷つけずに捕まえるには十分だろう。
少なくとも、ジョシュアはそう思っていた。
「……来ないね」
彼は穴の前にしゃがみ込み、野菜を見つめた。
少し離れた場所では、エリシアも同じように待っている。
「さっきまであんなに食べてたのに……」
「警戒してるんだろうね」
レオンが答えた。
「僕たちが近くにいるから、出てこないんだ」
「じゃあ、離れた方がいい?」
「そうしよう。ただし、籠を倒すための縄は手元に残しておいて」
3人は少し距離を取った。
草むらに身を隠し、穴の方を見守る。
しばらくすると、入口から小さな鼻先が現れた。
緑色の毛が揺れる。
モスラットは周囲の匂いを嗅ぎ、ゆっくりと穴から出てきた。
その視線が、野菜の入った籠に向く。
「……来た」
ジョシュアが囁いた。
「まだよ」
エリシアが小声で制する。
モスラットは籠の周囲を回り、警戒するように何度か鳴いた。
やがて、野菜の匂いに負けたのか、中へ足を踏み入れる。
1歩。
2歩。
身体がすっかり籠の中へ入った。
「今!」
エリシアが縄を引いた。
籠の蓋が勢いよく閉まる。
「キィッ!」
驚いたモスラットが飛び跳ねた。
籠が大きく揺れる。
「やった!」
ジョシュアが立ち上がった。
だが、その直後だった。
籠の横から、小さな影が飛び出した。
「えっ?」
別のモスラットだ。
そいつは閉じ込められた仲間の周囲を走り回り、籠の隙間に鼻先を突っ込んだ。
「キィ! キィッ!」
中のモスラットも鳴き返す。
2匹は必死に互いへ近づこうとしていた。
ジョシュアは思わず足を止めた。
「……親子、なのかな」
エリシアも黙って見ていた。
レオンが近づき、籠の中を確認する。
「捕まえたのは成体だね。外にいる方は若い個体だ」
「じゃあ、離しちゃ駄目だね」
「もちろん。まとめて移すつもりだよ」
レオンは杖を取り出した。
小さな風が起こり、外にいたモスラットの足元の草が揺れる。
驚いた魔物は後ずさりした。
その進行方向に、ジョシュアが別の籠を置く。
モスラットは逃げようとして、開いた籠の中へ飛び込んだ。
「今度こそ!」
ジョシュアが蓋を閉めた。
籠の中で小さな身体が跳ねる。
「……捕まえた!」
エリシアが駆け寄ってきた。
「やるじゃない!」
「レオンさんが誘導してくれたからだよ」
「役割分担がうまくいったね」
レオンは満足そうに頷いた。
その後も同じ方法で、巣から出てくるモスラットを捕まえていった。
成体が3匹。
小さな個体が4匹。
合計7匹。
最後の1匹を捕まえたころには、太陽が随分高くなっていた。
「……これで全部かな」
ジョシュアが籠を覗き込む。
「まだ断定はできないね」
レオンは巣穴の入口へ向かった。
「中を確認しよう」
彼は杖の先に小さな光を灯し、穴の奥を照らした。
ジョシュアとエリシアも覗き込む。
穴の中には、枯れ草を敷き詰めた小さな空間があった。
だが、魔物の姿はない。
「……空っぽ?」
「少なくとも、見える範囲にはいないね」
レオンは周囲の地面を軽く叩いた。
別の出口からも反応はない。
「巣の奥までは確認できないけど、出入りの痕跡を見る限り、これで全部の可能性が高い」
エリシアが息を吐いた。
「よかった……」
ジョシュアも安心した。
誰も怪我をせず、魔物も傷つけずに捕まえられた。
初めての共同作業としては、悪くない結果だと思う。
もっとも、問題はここからだった。
「……これ、どうやって運ぶの?」
エリシアが籠を見下ろした。
7匹のモスラットは、それぞれの籠の中で落ち着きなく動いている。
ハインツから借りた籠は大きく、数も多い。
3人で持てないことはないが、林まで運ぶとなると相当な手間がかかりそうだった。
レオンは少し考えた。
「荷車を借りられないかな」
「またハインツさんにお願いするの?」
「そうなるね」
エリシアは額に手を当てた。
「……私たち、冒険者というより引っ越し屋みたい」
ジョシュアは思わず笑った。
「確かに」
「笑い事じゃないわよ!」
そう言いながらも、エリシアも笑っていた。
◇
ハインツから荷車を借り、3人は南西の林へ向かった。
道中、籠の中からは時折鳴き声が聞こえた。
ジョシュアが荷車を引き、エリシアが後ろから押す。
レオンは周囲を警戒しながら歩いていた。
「……重い」
エリシアが呟く。
「代わろうか?」
ジョシュアが尋ねる。
「大丈夫。あんたは前を見てて」
「分かった」
林に到着すると、レオンは周囲の植生を確認した。
背の低い草が多く、木々の根元には柔らかな土が広がっている。
近くには小さな水場もあった。
「ここなら、餌にも水にも困らないはずだ」
レオンが言った。
ジョシュアは籠を地面に置いた。
「じゃあ、開けるよ」
「待って。全員、少し離れてからね」
エリシアが注意する。
3人は籠の蓋を開け、数歩下がった。
最初に飛び出したのは、成体のモスラットだった。
周囲を警戒するように鼻を動かし、草むらへ駆け込む。
続いて、小さな個体たちが飛び出した。
1匹が転び、地面を転がる。
すぐに立ち上がり、先に走った仲間を追いかけた。
「……かわいい」
エリシアが小さく呟いた。
「さっきまで、畑を荒らす魔物だったのに?」
レオンが尋ねる。
「それとこれとは別です」
エリシアは真顔で答えた。
ジョシュアは笑った。
最後の1匹が籠から出ると、モスラットたちは草むらの奥へ消えていった。
しばらくすると、遠くから小さな鳴き声が聞こえた。
「これで終わりかな」
ジョシュアが言う。
「農場に戻って、巣穴を塞げばね」
レオンが答えた。
「また別の個体が住みつく可能性もあるから、柵の下も補強してもらった方がいい」
「分かった。ハインツさんに伝えよう」
エリシアが頷いた。
3人は空になった籠を荷車に積み直し、農場へ戻った。
◇
農場に戻ると、ハインツが待っていた。
「どうだった?」
「7匹、全て林へ移しました」
エリシアが報告する。
「巣穴も確認しましたが、見える範囲に残っている個体はいませんでした」
レオンが補足した。
「念のため、巣穴を塞ぎ、柵の下を補強してください。再び侵入される可能性を減らせます」
ハインツは大きく息を吐いた。
「そうか……助かったよ」
彼は荒らされた畑を見た。
「正直、全部倒してもらうしかないと思ってたんだがな」
「今回は移動させる方法が使えましたから」
レオンが答えた。
「ただし、必ず戻ってこないとは言い切れません。しばらく様子を見てください」
「ああ。分かった」
ハインツは頷いた。
「お前さんたち、若いのによくやってくれた。ギルドには俺からも報告しておくよ」
「ありがとうございます!」
エリシアが笑顔で答えた。
ジョシュアも頭を下げた。
こうして、農場の依頼は無事に終わった。
帰り道、3人は並んで歩いていた。
「今日は、あまり戦わずに済んだね」
ジョシュアが言う。
「それが一番よ」
エリシアが答えた。
「怪我をしないで仕事を終えられるなら、それに越したことはないわ」
「僕も同感だね」
レオンが頷いた。
「魔物を倒すことだけが、冒険者の仕事ではないから」
ジョシュアは2人を見た。
昨日は、目の前の魔物を倒すことで精一杯だった。
けれど、今日は違う。
相手の習性を調べ、道具を使い、3人で協力して問題を解決した。
こういう方法もあるのだと、初めて知った。
「……2人と一緒でよかった」
ジョシュアが言うと、エリシアが振り向いた。
「何よ、急に」
「いや、今日の仕事、僕1人じゃできなかったと思うから」
エリシアは少し照れたように笑った。
「……まあ、そうね」
レオンも微笑んだ。
「僕も同じだよ。君たちがいなければ、あの籠を運ぶだけでも苦労しただろうし」
「そこなんですか?」
エリシアが呆れたように言った。
「重要なことだよ。荷物を運べる人間がいるのは、冒険において大きな利点だからね」
「……なんか、褒められてる気がしない」
ジョシュアが呟く。
レオンは楽しそうに笑った。
「もちろん、冗談さ」
3人の笑い声が、街道に響いた。
◇
ギルドへ戻ったころには、夕方になっていた。
リーナは3人の報告を聞き、依頼書を確認した。
「農場主の方からも連絡が届いています。無事に解決したそうですね」
「はい」
エリシアが答える。
「魔物は7匹いましたが、全て別の場所へ移しました」
「ありがとうございます。では、こちらが報酬です」
リーナは革袋を差し出した。
「合計1200ユグドになります」
エリシアは袋を受け取り、3人で分けた。
1人400ユグド。
ジョシュアは硬貨を手に取り、少し嬉しくなった。
これで、今夜も宿に泊まれる。
明日の食事代も確保できそうだ。
「さて」
レオンが口を開いた。
「これで、初めての共同依頼は成功だね」
「そうですね」
エリシアが頷いた。
「……どうします? これからも一緒に組みますか?」
レオンはジョシュアを見た。
「僕は賛成だけど、君は?」
「僕も賛成です」
ジョシュアは迷わず答えた。
「2人と一緒なら、もっと色々なことができそうだから」
エリシアは少し笑った。
「じゃあ、決まりね」
彼女は手を差し出した。
「これからよろしく、レオンさん」
「こちらこそ」
レオンがその手を握る。
続いて、ジョシュアも手を重ねた。
3人は顔を見合わせた。
「……なんか、こういうのいいね」
ジョシュアが言う。
「何が?」
「仲間ができたって感じがする」
エリシアは一瞬きょとんとした後、笑った。
「そうね。これからは3人で頑張りましょ!」
レオンも頷いた。
「ただし、無茶はしないこと。特にジョシュア」
「……僕だけ?」
「昨日の話を聞く限り、君が一番危なっかしいからね」
エリシアも大きく頷いた。
「それは本当にそう!」
「……分かったよ」
ジョシュアは苦笑した。
こうして、3人の冒険者としての活動が始まった。
その日のギルドでは、別の話題も広がっていた。
北の旧水路へ向かった捜索隊が、まだ戻っていないという。
掲示板の端には、朝まで貼られていた調査依頼の代わりに、新しい紙が掲示されていた。
赤い文字で書かれた、立入禁止の告知。
そして、その下には小さく、こう記されていた。
『北部旧水路周辺において、原因不明の魔力反応を確認。詳細調査中』
ジョシュアは、その文字を見つめた。
原因不明の魔力反応。
それが何を意味するのか、今の彼には分からなかった。
ただ、朝に聞いた帰らぬ冒険者たちのことが、頭を離れなかった。




