帰らぬ冒険者
第8話 帰らぬ冒険者
「……その依頼、本当にFランクで受けられるんですか?」
エリシアの問いに、受付係のリーナはすぐには答えなかった。
手元の依頼書を見つめ、何かを確かめるように裏返す。
「昨日の時点では、Fランクの調査依頼として受理されていました。ただ、調査に向かった方が戻っていない以上、状況が変わった可能性があります」
「だったら、依頼を取り下げるべきでは?」
レオンが尋ねた。
「現在、責任者に確認を取っています。正式な判断が出るまでは、新たな受注を停止する予定です」
「予定、ですか」
レオンの言葉に、わずかな棘が混じった。
リーナは申し訳なさそうに頭を下げる。
「情報の共有が遅れてしまい、申し訳ありません」
「いや、あなたを責めているわけじゃないんです。ただ、行方不明者が出ているなら、普通の調査依頼とは話が違う」
エリシアは依頼書を見つめていた。
「戻っていない冒険者って、何人なんですか?」
「2人です。どちらもFランクの冒険者で、昨日の昼過ぎに出発しています」
「2人……」
ジョシュアは小さく呟いた。
昨日の昼過ぎ。
自分たちが薬草を探していたころ、別の冒険者たちは水路へ向かっていたことになる。
「何か、連絡を取る方法はないんですか?」
「ギルドカードには緊急時に位置を知らせる機能もありますが、常に使えるわけではありません。特に地下では、信号が届かないことがあります」
リーナは説明を続けた。
「今回も確認を試みましたが、位置を特定できていません」
レオンが顎に手を当てた。
「最後に確認された場所は?」
「北門です。門番の記録に、2人が通過したことが残っています」
「帰還の記録はない?」
「はい」
レオンはしばらく考え込んだ。
エリシアが彼の顔を覗き込む。
「……まさか、行くつもりじゃないですよね?」
「まだ何も言っていないよ」
「その顔、絶対に何か考えてますよね」
「考えること自体は悪くないだろう?」
「そういう問題じゃありません!」
ジョシュアは2人のやり取りを聞きながら、依頼書に目を落とした。
報酬900ユグド。
調査対象は古い水路。
危険を感じた場合は撤退可能。
だが、昨日向かった2人は戻っていない。
報酬だけを見れば、魅力的な依頼だった。
けれど、危険の程度が分からない以上、簡単に受けていい仕事ではない。
「リーナさん」
ジョシュアが声をかけた。
「その2人を探す人は、もう決まっているんですか?」
リーナは首を横に振った。
「まだです。責任者が対応を検討しています」
「そうですか……」
ジョシュアは依頼書を見つめた。
その横で、エリシアが小さく息を吐いた。
「ジョシュア。気持ちは分かるけど、私たちだけで行くのは危険よ」
「うん。分かってる」
「本当に?」
「昨日、教えてもらったから」
エリシアは少し意外そうな顔をした。
ジョシュアは続けた。
「助けに行って、僕たちまで帰れなくなったら意味がないでしょ」
レオンが小さく笑った。
「いい判断だね」
「……なんだか、褒められると変な感じがする」
「それだけ昨日の印象が強かったんじゃない?」
エリシアが言うと、ジョシュアは苦笑した。
そのとき、受付の奥から足音が聞こえた。
現れたのは、がっしりとした体格の中年男性だった。
短く刈り込まれた髪には白いものが混じり、左の頬には古い傷痕がある。
男はリーナに何かを告げると、3人へ向き直った。
「旧水路の依頼について聞いていたそうだな」
「はい」
エリシアが答えた。
「俺はこのギルドの副責任者、バルドだ」
男は依頼書を手に取った。
「先に結論を言う。旧水路の調査依頼は一時停止する」
レオンが頷いた。
「妥当な判断ですね」
「代わりに、捜索依頼を出す。ただし、参加できるのは原則としてDランク以上だ」
「Dランク……」
エリシアは少し残念そうに呟いた。
バルドは3人を見た。
「お前たちはFランクだろう。興味があっても、今回は手を出すな」
「分かりました」
エリシアは素直に頷いた。
レオンも異論を唱えなかった。
ジョシュアは少し迷った末に尋ねた。
「もし、その2人がまだ生きていたら……間に合いますか?」
バルドの表情がわずかに変わった。
「それを確かめるために捜索隊を出す」
「……はい」
「心配する気持ちは分かる。だが、冒険者には自分の実力に合った仕事を選ぶ責任がある」
バルドは依頼書を折り畳んだ。
「お前たちができることは、別の依頼を受けて経験を積むことだ」
それだけ言うと、男は受付の奥へ戻っていった。
エリシアはしばらく黙っていたが、やがてジョシュアの肩を叩いた。
「……行きましょ」
「うん」
レオンは掲示板を見た。
「せっかく3人揃ったんだ。今日は別の仕事を探そう」
◇
依頼掲示板の前には、相変わらず多くの冒険者が集まっていた。
レオンは掲示板を眺めながら、いくつかの依頼書を確認していく。
「採取、配達、害獣駆除……。ふむ」
「何かいいの、あります?」
エリシアが尋ねる。
「条件を考えると、これかな」
レオンが指さしたのは、街の南側にある農場からの依頼だった。
畑を荒らす魔物の調査と駆除。
報酬は1200ユグド。
依頼書には、農場周辺で小型の魔物が目撃されていると記されていた。
「これなら3人で受けられるね」
ジョシュアが言う。
「そうだね。ただし、相手の種類を確認してからだ」
レオンは依頼書の注意事項を読んだ。
「目撃されたのは小型の魔物。被害は作物の食害が中心で、人への直接的な被害は報告されていない」
「それなら、昨日のゴブリンよりは安全そうですね」
エリシアが言った。
「おそらくね。とはいえ、油断は禁物だ」
レオンは依頼書を掲示板から外した。
「まずは依頼主から詳しい話を聞こう」
3人は受付で手続きを済ませた。
リーナは依頼書を確認すると、少し安心したような顔をした。
「こちらでしたら、Fランクの方でも受注できます。農場の方からも、できるだけ早く来てほしいと連絡がありました」
「分かりました」
エリシアが答える。
リーナは地図を広げた。
「南門を出て、街道を進んだ先にある農場です。徒歩で1時間ほどですね」
ジョシュアは地図を覗き込んだ。
「結構遠いんだね」
「農場は街の外にあるからね」
レオンが答える。
「それに、今回の仕事は調査も含まれている。日没までに戻れるよう、早めに出発した方がいい」
エリシアは頷いた。
「じゃあ、準備してから行きましょう」
◇
南門を出ると、広い畑が続いていた。
街道の両側には麦畑が広がり、風が吹くたびに穂が波のように揺れる。
遠くには農作業をする人々の姿が見えた。
「こうして見ると、街の外って広いね」
ジョシュアが言う。
「王国の領土はもっと広いよ」
レオンが答えた。
「ここはまだ、王都からも離れた地方都市の周辺だからね」
「王都って、どんなところ?」
「大きいよ。人も多いし、建物も立派だ。商会の本店や騎士団の施設も集まっている」
「行ったことがあるの?」
「何度かね」
レオンは遠くを見た。
「もっとも、僕はあまり好きじゃないけど」
「どうして?」
「人が多すぎる。静かに本を読む場所を探すのにも苦労するんだ」
エリシアが呆れたように笑った。
「それ、単に人混みが嫌いなだけじゃないですか」
「その通りだよ」
レオンは平然と答えた。
ジョシュアは笑った。
昨日まで、知らない人ばかりの街でどうすればいいかも分からなかった。
それが今は、こうして2人と並んで歩いている。
少し不思議な気分だった。
「ところで、ジョシュア」
レオンが声をかけた。
「君は魔法に興味があると言っていたね」
「うん」
「なら、少し教えておこうか」
「いいの?」
「歩きながら話すくらいならね」
レオンは腰の杖を軽く持ち上げた。
「魔法は、体内の魔力を使って現象を引き起こす技術だ。火を生み出したり、水を操ったり、風を起こしたりする」
「昨日見せてくれたみたいに?」
「そう。ただし、何でもできるわけじゃない。得意な属性もあれば、苦手な属性もある」
レオンは手のひらを上に向けた。
小さな水滴が浮かび上がる。
「例えば、僕は水と風が得意だ」
水滴は空中で形を変え、小さな輪になった。
ジョシュアは興味深そうに見つめた。
「触ってもいい?」
「構わないよ」
ジョシュアが指を伸ばすと、水の輪は指先に触れ、冷たい感触を残して弾けた。
「本物の水だ」
「もちろん」
レオンは笑った。
「ただ、魔力には限りがある。使いすぎれば疲労するし、場合によっては動けなくなることもある」
「じゃあ、戦いの途中で魔力がなくなったら大変だね」
「その通り。だからこそ、魔法使いには前衛が必要なんだ」
レオンはエリシアを見た。
「頼りにしているよ」
「……まだ正式に組んだわけじゃないですからね」
「おや、そうだった」
レオンはわざとらしく肩をすくめた。
エリシアはため息をついた。
ジョシュアは2人のやり取りを見ながら、自然と笑みを浮かべていた。
◇
農場に着いたのは、昼前だった。
木製の柵に囲まれた広い畑の中央には、小さな家と納屋が建っている。
畑の一角では、何本もの作物が倒され、土が掘り返されていた。
「……これはひどいですね」
エリシアが呟く。
近くで作業をしていた男性が、3人に気づいて歩いてきた。
「冒険者さんか?」
「はい。ギルドから依頼を受けてきました」
エリシアが答えると、男性はほっとした表情を浮かべた。
「助かったよ。俺はここの農場主、ハインツだ」
ハインツは畑を指さした。
「ここ数日、夜になると何かが畑を荒らすんだ。最初は獣かと思ったんだが……」
「違うんですか?」
ジョシュアが尋ねる。
「昨日、姿を見たんだ。小さな影が何匹も走り回っていてな。普通の獣とは動きが違った」
レオンがしゃがみ、荒らされた土を調べた。
「足跡は残っていますか?」
「ああ、こっちだ」
ハインツが案内した場所には、小さな足跡がいくつも残っていた。
ジョシュアもしゃがみ込む。
足跡は人間のものに似ていたが、ずっと小さかった。
指のような跡が3本。
爪で引っかいたような溝もある。
「……ゴブリン?」
エリシアが呟いた。
レオンは首を横に振った。
「似ているけど、少し違うね」
「違う?」
「ゴブリンの足跡にしては小さい。それに、指の形も違う」
レオンは足跡の周囲を調べた。
「おそらく、別の小型魔物だと思う」
ハインツが不安そうに尋ねた。
「危険な奴なのか?」
「まだ分かりません。ですが、作物を食べているだけなら、こちらから刺激しない限り襲ってこない可能性もあります」
レオンは立ち上がった。
「まずは被害の出る時間帯と、魔物の数を確認しましょう」
「夜になると出るんだ。昨日は日が沈んでからだった」
「なるほど」
エリシアは畑を見回した。
「じゃあ、今のうちに周囲を調べて、夜に備えた方がいいですね」
ハインツは頷いた。
「頼む。これ以上荒らされたら、収穫に響くんだ」
「分かりました」
3人は畑の周囲を調べ始めた。
ジョシュアは足跡を追いながら、柵の外へ向かった。
小さな足跡は、畑の端にある茂みへ続いている。
「……こっちかな」
草をかき分けると、地面に小さな穴が開いていた。
人が入れるほどではない。
だが、小型の魔物なら通れそうな大きさだった。
「エリシア! レオンさん!」
ジョシュアが呼ぶと、2人が駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「ここに穴がある」
レオンはしゃがみ込み、穴の周囲を調べた。
「……なるほど。ここから出入りしているのかもしれないね」
彼は杖を取り出し、先端に小さな光を灯した。
穴の中を照らす。
奥には、細い通路が続いていた。
「地下に巣があるのかな」
ジョシュアが尋ねる。
「可能性はある。ただ、今の段階では断定できない」
レオンは光を消した。
「穴を塞ぐだけでは、別の場所から出てくるかもしれない。まずは中に何がいるのか確かめたいところだね」
エリシアが腕を組んだ。
「でも、狭すぎて入れませんよ」
「そうだね。だから、向こうから出てきてもらう必要がある」
レオンは少し考えた。
「……罠を仕掛けようか」
「罠?」
ジョシュアが聞き返す。
「魔物が作物を狙っているなら、餌で誘い出せるかもしれない」
エリシアが頷いた。
「なるほど。捕まえて種類を確認するんですね」
「そういうこと」
レオンはハインツへ向き直った。
「少し作物を分けてもらえますか? できれば、被害の多かった種類を」
「ああ、構わん。これ以上畑を荒らされるくらいなら安いもんだ」
ハインツは納屋へ向かった。
ジョシュアは穴の奥を見つめた。
暗い通路の先から、かすかな音が聞こえた。
何かが動いている。
小さな爪が土を引っかくような音だった。
「……中にいる」
ジョシュアが呟く。
エリシアが剣の柄に手を置いた。
「見える?」
「見えない。でも、音がする」
レオンは穴へ耳を近づけた。
しばらくして、彼も頷いた。
「確かに。何匹かいるようだね」
そのときだった。
穴の奥で、何かが光った。
小さな黄色い点が2つ。
ジョシュアは息を止めた。
それは、暗闇の中からこちらを見つめる目だった。
次の瞬間、穴の奥から甲高い鳴き声が響いた。
「キィッ!」
エリシアが一歩下がる。
レオンは杖を構えた。
そして、穴の中から小さな影が飛び出してきた。
緑がかった身体。
長い尻尾。
鋭い爪。
その姿は、ゴブリンとも、普通の獣とも違っていた。
「……何、これ?」
エリシアが呟く。
レオンは目を細めた。
「なるほど。そういうことか」
小さな魔物は地面に着地すると、3人を威嚇するように鳴いた。
その背後から、さらに複数の鳴き声が聞こえる。
穴の中には、まだ何匹もいるらしい。
ジョシュアは採取用の刃物を持っていないことに気づき、思わず自分の腰を見た。
当然ながら、武器はない。
エリシアが剣を抜いた。
「ジョシュア、後ろに!」
レオンも杖を構える。
「慌てなくていい。まずは相手の動きを見よう」
小さな魔物は尻尾を振り、地面を蹴った。
その動きは、予想以上に速かった。




