冒険者の報酬
第6話 冒険者の報酬
冒険者ギルドの扉を開けると、朝とは違う熱気がジョシュアを迎えた。
掲示板の前では冒険者たちが依頼の成果を自慢し合い、受付には報告を待つ列ができている。奥の食堂から漂ってきた肉料理の匂いに、ジョシュアの腹が小さく鳴った。
「まずは報告。ご飯はその後ね」
エリシアが笑う。
「まだ何も言ってないよ」
「顔に書いてあるの」
ジョシュアは空腹を隠すように、薬草の入った布袋を持ち直した。
幸い、受付の列はそれほど長くなかった。
「あら、お帰りなさい」
眼鏡をかけた受付係のリーナが、2人に気づいて微笑んだ。
「無事に戻られたんですね」
「はい。薬草も採ってきました」
ジョシュアは布袋を受付台に置いた。
リーナは中身を取り出し、束ごとに葉の裏と茎の根元を確認していく。
「青筋草が10束。傷みもほとんどありませんね」
最後の束を確かめると、彼女は満足そうに頷いた。
「採取試験、合格です。おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
ジョシュアが頭を下げると、隣でエリシアが小さく拳を握った。
「やったじゃない!」
「うん。エリシアのおかげだよ」
「私は見てただけ。ちゃんと採ったのはあんたでしょ」
そう言いながらも、彼女は嬉しそうだった。
リーナは書類に印を押し、受付台の下から小さな木箱を取り出した。
「それでは、正式なギルドカードをお渡しします。仮登録証をお預かりしてもよろしいですか?」
ジョシュアが差し出した金属板を、リーナは箱の横に置いた。
新しいカードには、剣と盾を組み合わせた紋章が刻まれている。その下には、ジョシュアの名前とFランクを示す文字があった。
「これで、指定されたFランクの依頼を受けられます。カードの情報と閲覧権限は、そのまま引き継がれています」
「分かりました」
ジョシュアはカードを受け取り、大切に胸元へしまった。
「それから、今回の報酬です」
リーナが差し出したのは、小さな革袋だった。
「青筋草10束で、300ユグドになります」
「300ユグド……」
袋の口を開くと、硬貨が入っていた。
昨日は自分の食事代さえ持っていなかったのに、今は働いて得たお金が手の中にある。
ジョシュアは硬貨を1枚取り出し、指先で転がした。
「これで何が買えるんだろう」
「そうね。安い宿の大部屋なら1泊80ユグドくらい。食堂で普通のご飯を食べれば60ユグド。あとは明日の朝ご飯も必要ね」
エリシアは指を折って数えた。
「全部合わせても170ユグドくらいだから、少しは残るわよ」
「それなら、今夜は床で寝なくて済みそうだ」
「昨日は宿のご主人が特別に泊めてくれたんだからね。毎回あんなふうにはいかないわよ」
「うん。ちゃんと払うよ」
ジョシュアは革袋の口を結んだ。
これが、冒険者として初めて手にした報酬だった。
「……あ、そうだ」
彼は顔を上げた。
「リーナさん。もう1つ報告があります」
「何でしょう?」
「採取中に魔物と遭遇しました。スライムが1体と、ゴブリンが3体です」
リーナの表情が引き締まった。
「ゴブリンが3体も?」
「はい。2体は倒しましたが、1体は逃げました」
リーナはすぐに地図を取り出した。
「場所を教えていただけますか?」
ジョシュアは小川と倒木の位置を指さした。
エリシアも隣から説明を補う。
「倒木の北側から出てきました。3体とも棍棒を持っていて、こちらを見つけると襲ってきたんです」
「分かりました。近隣の採取依頼を一時的に制限し、調査を手配します」
リーナは手早く記録を書き終えると、ジョシュアの袖に目を留めた。
「ところで、その腕は?」
「ああ、少し打たれただけです」
袖をまくると、前腕に赤紫色の痣が残っていた。
リーナは眉をひそめた。
「ゴブリンの棍棒ですか?」
「はい」
「念のため、診療所で診てもらってください。今は動かせても、後から腫れることがありますから」
「ほら、やっぱり」
エリシアが腕を組む。
「帰り道でも言ったでしょ」
「分かったよ。診てもらう」
「約束だからね」
ジョシュアは苦笑しながら頷いた。
リーナは2人を見比べ、少しだけ表情を和らげた。
「初めての依頼で魔物に遭遇したのは災難でしたね。それでも、無事に帰還し、情報まで報告していただけたのは立派なことです」
「ありがとうございます」
「ただし、次からは危険を感じた時点で撤退を検討してください。依頼の達成より、命の方が大切ですから」
その言葉に、エリシアも真剣な顔で頷いた。
「はい。気をつけます」
ジョシュアも頭を下げた。
こうして、初めての依頼は正式に完了した。
◇
ギルドを出ると、エリシアが大きく伸びをした。
「さて、次は診療所ね」
「その前に、ちょっといい?」
「何?」
ジョシュアは革袋を取り出した。
「昨日の食事代と、宿のこと。少し返したいんだけど」
エリシアはきょとんとした。
「……何で?」
「何でって、ずっと助けてもらってるから」
「いいわよ、別に」
「でも、エリシアだってお金が必要なんでしょ?」
「うっ」
彼女の肩が跳ねた。
「……まあ、必要だけど」
「だったら――」
「待った」
エリシアはジョシュアの手を押し戻した。
「今日の報酬は、まず自分のために使いなさい」
「でも」
「いい? 冒険者は毎日仕事があるとは限らないの。雨で採取に行けない日もあるし、依頼が見つからない日もある。今持ってるお金を全部使ったら、明日困るかもしれないでしょ」
ジョシュアは革袋を見下ろした。
300ユグド。
さっきまでは、随分たくさん稼げた気がしていた。
けれど、宿に泊まり、食事をすれば半分以上がなくなる。
「……確かに」
「でしょ?」
「じゃあ、余裕ができたら返すよ」
「それなら考えてあげる」
エリシアは得意げに笑った。
「それと、返すって言うなら、今度ご飯でも奢ってよ」
「うん。約束する」
「……あんた、本当に素直ね」
彼女は少し照れたように顔をそらした。
「ほら、行くわよ。診療所が閉まっちゃう」
ジョシュアはその後を追った。
診療所では、腕の痣を確認した年配の治療師から、骨に異常はなさそうだと告げられた。患部を冷やすよう指示され、簡単な手当てを受ける。
診察と処置の費用は50ユグド。
ジョシュアが革袋から硬貨を出すと、エリシアは何も言わずに見守っていた。
支払いを終えたところで、ジョシュアはふと思い出した。
「そういえば、ルカのところにも行くんだったね」
「そうだった。マルタさんが今朝、様子を見に行くって言ってたし、どうなったか気になるわ」
エリシアは空を見上げた。
まだ日没までは時間がある。
「行きましょ。自警団への相談も約束したんだし」
◇
ルカの家を訪ねると、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえた。
「誰?」
「ジョシュアだよ。エリシアも一緒」
扉が勢いよく開いた。
「来てくれたんだ!」
ルカは2人を見るなり、嬉しそうな顔をした。
昨日よりも表情が明るい。
「母さん、少し良くなったんだ!」
「本当?」
「うん! 朝にマルタ先生が来てくれて、薬も飲ませてくれた。まだ熱はあるけど、昨日よりずっと楽そうなんだ」
ジョシュアはほっと息を吐いた。
「よかった」
「2人とも、入って!」
案内された部屋では、ルカの母親が寝台に横になっていた。
顔色はまだ優れないものの、昨日より呼吸が落ち着いている。
「昨日は……ありがとうございました」
母親が身体を起こそうとしたので、エリシアが慌てて止めた。
「無理しないでください。まだ休んでいた方がいいですよ」
「ええ……。ルカから、話を聞きました」
母親はジョシュアに目を向けた。
「この子が、ご迷惑をおかけしたそうで……」
「いえ。僕たちも、できることをしただけです」
ジョシュアが答えると、ルカは俯いた。
「……母さん、ごめん」
母親はゆっくりと手を伸ばし、息子の頭を撫でた。
「もう、あんなことはしないでね」
「うん。絶対にしない」
その声は、昨日よりもしっかりしていた。
ジョシュアはルカの隣にしゃがんだ。
「自警団に相談する話、覚えてる?」
ルカの表情が曇る。
「……うん」
「今日、行けそう?」
少年は少しの間、何も言わなかった。
やがて、母親を見てから頷いた。
「行く。ちゃんと話す」
エリシアが微笑んだ。
「私たちも一緒に行くから。まずは何があったか説明しましょ」
「……ありがとう」
ルカは小さく頭を下げた。
◇
自警団の相談窓口は、住宅街の端にある石造りの詰所だった。
入口には王国の紋章が掲げられている。
建物を前にして、ルカの足が止まった。
「……やっぱり、怖い」
ジョシュアも立ち止まる。
「うん」
「怒られるかな」
「多分、怒られると思う」
「……そこは大丈夫って言ってよ」
ルカは困ったように笑った。
ジョシュアは少し考えてから答えた。
「でも、黙っていたら何も変わらないと思う」
ルカは詰所の扉を見た。
「……そうだよな」
エリシアが2人の背中を軽く押した。
「ほら。いつまでもここに立ってたって仕方ないでしょ」
3人は詰所へ入った。
中には木製の机と椅子が並び、壁には街の地図が掛けられていた。
奥にいた自警団員が顔を上げる。
「どうした?」
エリシアが一歩前に出た。
「この子のことで、相談したいことがあります」
団員はルカに目を向けた。
少年は緊張した様子で唇を結んでいたが、やがて口を開いた。
「……俺、昨日、財布を盗みました」
団員の表情が引き締まる。
「そうか。まずは座って話そう」
3人は勧められた椅子に腰を下ろした。
団員は紙とペンを取り出す。
「名前は?」
「ルカです」
「分かった。何があったのか、最初から聞かせてくれるか?」
ルカはぽつぽつと話し始めた。
母親が病気になったこと。
薬を買うお金がなかったこと。
働こうとしても、子供だからと断られたこと。
そして、通りかかった人の財布を盗んでしまったこと。
途中で何度か言葉が詰まったが、団員は急かさずに聞いていた。
「……なるほどな」
話を聞き終えると、団員はペンを置いた。
「事情は分かった。だが、どんな理由があっても、人の物を盗んでいいわけじゃない」
「……はい」
「財布は今どこにある?」
ジョシュアが答えた。
「昨日、近くの露店の人に預けました。持ち主に返してもらうためです」
「店の場所は分かるか?」
「はい」
ジョシュアが場所を説明すると、団員は頷いた。
「こちらで確認しておこう。持ち主が見つかれば、被害について話を聞く必要がある」
エリシアが尋ねた。
「この子は、どうなりますか?」
「それは今ここでは決められない。被害者の確認も必要だし、詳しい事情も調べることになる」
団員はルカを見た。
「ただ、自分から来て話してくれたことは、きちんと記録しておく」
ルカは小さく頷いた。
団員は続けた。
「それと、お母さんの病気で生活に困っているんだったな」
「……はい」
「教会に生活相談の窓口がある。治療費や食事のことで困っている人を支援する仕組みもあるから、紹介状を書こう」
ルカが顔を上げた。
「そんなの、あるんですか?」
「あるとも。もっとも、支援を受けられるかどうかは担当者が事情を確認してからだがな」
団員は紙に何かを書き込み、ルカへ渡した。
「明日の午前中、これを持って教会へ行きなさい。こちらからも連絡しておく」
ルカは紙を両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
「財布の件でも、また話を聞くことになる。そのときは必ず来ること。いいな?」
「はい!」
少年は深く頭を下げた。
詰所を出るころには、夕方の鐘が鳴り始めていた。
◇
ルカを家まで送り届けると、少年は扉の前で振り返った。
「ジョシュア、エリシア」
「何?」
「……本当にありがとう」
ジョシュアは微笑んだ。
「ちゃんと話せてよかったね」
「うん。怖かったけど……行ってよかった」
ルカは手にした紹介状を大切そうに握っていた。
「母さんが元気になったら、俺もちゃんと働くよ」
「焦らなくていいからね。まずはお母さんが元気になること」
エリシアが言うと、ルカは大きく頷いた。
「分かった!」
少年が家の中へ戻るのを見届け、2人は歩き出した。
夕暮れの街には、仕事を終えた人々の声が響いていた。
「……よかったわね」
エリシアが呟く。
「うん」
「これで全部解決ってわけじゃないけど、少なくとも相談できる人は見つかったし」
「そうだね」
ジョシュアは頷いた。
自分たちだけで何もかも解決できるわけではない。
それでも、誰かに助けを求めることならできる。
今日のルカを見て、そんなことを思った。
「さて!」
エリシアが手を叩いた。
「今度こそ、今日の用事は終わり!」
「そうだね」
「で、ジョシュア」
「何?」
「今夜はどうするの?」
ジョシュアは足を止めた。
「……宿?」
「そう。ちゃんと泊まる場所を決めないと」
「昨日の宿に戻ってみようか」
「そうね。大部屋が空いてればいいんだけど」
2人は昨日の宿へ向かった。
食堂では、宿の主人が夕食の準備をしていた。
「おう、兄ちゃん。今日は仕事が見つかったのか?」
「はい。冒険者になれました」
「そいつはよかったな!」
主人は豪快に笑った。
「で、今夜も物置で寝るつもりか?」
「いえ。今日はちゃんと払えます」
ジョシュアは革袋を取り出した。
「大部屋に空きはありますか?」
「ああ、あるぞ。1泊80ユグドだ」
「お願いします」
主人は頷き、木製の札を差し出した。
「2階の奥だ。寝台は空いてるところを使ってくれ。食事は別料金だからな」
「分かりました」
ジョシュアは宿代を支払い、札を受け取った。
それを見ていたエリシアが、満足そうに頷く。
「これで今夜はちゃんと寝られるわね」
「うん」
「じゃあ、私はそろそろ――」
彼女が言いかけたところで、ジョシュアが口を開いた。
「エリシア」
「何?」
「夕食、一緒に食べない?」
エリシアは目を瞬いた。
「……え?」
「今日のお礼に、何か奢りたいんだ」
「ちょっと待って。さっき、お金は大事にしなさいって言ったばかりでしょ」
「でも、食事くらいなら大丈夫だと思う」
ジョシュアは残った硬貨を数えた。
報酬は300ユグド。
診療所で50ユグド。
宿代で80ユグド。
残りは170ユグド。
食事を2人分頼めば120ユグド。
明日の朝食代を考えると、余裕はほとんどない。
ジョシュアが計算していると、エリシアが笑い出した。
「……ああ、もう。そんな真剣な顔しないでよ」
「でも、約束したから」
「約束は『今度』でしょ。今日じゃなくていいの」
彼女はジョシュアの肩を軽く叩いた。
「今日は自分の分だけ払いなさい。私も自分で払うから」
「……分かった」
「その代わり、ちゃんと稼げるようになったら奢ってもらうわよ」
「うん。絶対に」
「期待してるからね」
2人は食堂の空いた席に腰を下ろした。
主人が運んできたのは、温かい野菜のスープと厚切りのパン、それに少量の焼いた肉だった。
ジョシュアは思わず目を輝かせた。
「おいしそう」
「働いた後のご飯は格別よ」
エリシアは得意げに言った。
ジョシュアはスープをひと口飲んだ。
温かさが、疲れた身体に染み渡る。
「……おいしい」
「でしょ?」
エリシアもパンをちぎった。
しばらくは、2人とも食事に夢中だった。
やがて、ジョシュアが顔を上げる。
「そういえば、明日はどうするの?」
「明日?」
「また依頼を受けるんだよね」
「もちろん。せっかく冒険者になったんだから」
エリシアは少し考えた。
「でも、あんたはまだ武器も持ってないし、防具もない。しばらくは採取や雑用を中心にした方がいいわね」
「そうだね」
「それに、私もそろそろ1人じゃ受けにくい依頼をやってみたいのよね……」
「1人じゃ受けにくい?」
「人数が必要な仕事とか、魔法が使える人がいた方が安全な仕事とか。そういうの」
ジョシュアは頷いた。
「じゃあ、仲間を探すの?」
「簡単に言うけど、気の合う相手を探すのって大変なのよ」
エリシアはパンを口に運んだ。
「実力だけじゃなくて、ちゃんと約束を守ってくれる人じゃないと困るし」
「確かに」
「まあ、明日ギルドで考えましょ」
そう言って、彼女は残りのスープを飲み干した。
そのときだった。
「――その話、少し興味があるな」
突然、隣から声がした。
ジョシュアとエリシアが顔を向ける。
いつの間にか、近くの席に1人の青年が座っていた。
銀色がかった金髪。
澄んだ青い瞳。
そして、髪の間から覗く、長く尖った耳。
青年は手元の本を閉じ、2人に向かって微笑んだ。
「魔法使いを探しているんだろう?」
エリシアは目を丸くした。
「……え?」
「ちょうど僕も、同行者を探していたところでね」
青年は椅子から立ち上がった。
「レオン・アルフェリス。Fランクの冒険者だ」
そう名乗ると、彼はジョシュアに視線を移した。
「君たちがよければ、少し話を聞かせてもらえないかな?」
ジョシュアはエリシアを見た。
彼女もこちらを見返している。
つい先ほど、仲間を探すのは大変だと言っていたばかりだ。
その本人が、目の前に現れてしまった。
「……世の中って、案外狭いのね」
エリシアが呟く。
レオンは楽しそうに笑った。
「それは、話を聞いてから判断してほしいな」




