石橋に棲むもの
第45話 石橋に棲むもの
冒険者ギルドの受付前で待つこと、およそ二十分。
奥の部屋から戻ってきた男性職員は、先ほどよりも厚い資料を抱えていた。
「待たせたな」
彼は空いている机に資料を広げ、五人を手招きした。
「まず、調査依頼については達成と認められた。現地の位置、足跡の寸法、採取した体毛、それに魔物の外見まで確認できている。報告としては十分だ」
「じゃあ、報酬は?」
ミアが身を乗り出す。
「基本報酬の3500ユグドは支払われる。受付で手続きを済ませてくれ」
「よかった……!」
ミアは胸を撫で下ろした。
エリシアも笑顔になる。
「やったね!」
「ああ。ただ、もう少し話を聞かせてほしい」
男性職員は資料の一枚を五人の前に置いた。
そこには、大きな獣の姿が描かれていた。
灰色の毛並み。
狼に似た頭部。
前足に比べて短い後ろ足。
そして、背中に並ぶ硬い突起。
「……これです」
ジョシュアが言った。
四人も絵を覗き込む。
「そっくり!」
エリシアが声を上げた。
「背中の形まで同じだわ」
ミアが頷く。
男性職員は資料を指さした。
「《岩背狼》と呼ばれる魔物だ。主に北西の岩山や、山麓の森林に生息している」
「狼の仲間なんですか?」
レオンが尋ねた。
「分類上はそうだ。ただ、一般的な狼とは習性がかなり異なる」
職員は次の頁を開いた。
「岩背狼は、背中に硬い骨質の突起を持っている。名前の由来にもなっている部分だな。体格は灰牙狼より大きく、前足の筋力が発達している」
ダグラスが腕を組んだ。
「それで、あの爪か」
「そうだ。岩場を登るための爪だが、獲物を押さえつける際にも使う」
エリシアは資料を見つめた。
「強そう……」
「実際、油断できる相手ではない。成体は通常、Dランク相当の危険度で扱われる」
「Dランク!?」
エリシアが驚いた。
ミアも顔をしかめた。
「戦わなくて正解だったわね」
「そうだな」
ダグラスが頷いた。
「正面から突進されたら、俺の盾でも厳しかったかもしれない」
男性職員は資料を閉じかけ、もう一度ジョシュアたちを見た。
「それで、確認したいことがある。お前たちが見た個体は、後ろ足を引きずっていたんだな?」
「はい」
ジョシュアが答えた。
「右の後ろ足だったと思います。前足に体重をかけて、身体を引っ張るように歩いていました」
「傷は見えたか?」
「暗くて、そこまでは」
「なるほど」
職員は顎に手を当てた。
「岩背狼は、本来なら四肢を使って素早く走る魔物だ。後ろ足を引きずっていたなら、負傷している可能性が高い」
「それが、旧街道に現れた理由でしょうか」
レオンが尋ねた。
「考えられるな。山から移動してきた個体が、怪我のせいで元の生息地へ戻れなくなったのかもしれん」
ミアが首を傾げる。
「でも、どうして荷車を襲ったの?」
「餌を探していたんだろう。岩背狼は雑食性だ。肉だけでなく、木の実や根も食べる。荷車に積まれた食料の匂いに引き寄せられた可能性がある」
エリシアは、石橋の下で見た獣を思い出した。
暗がりから現れた大きな身体。
低い唸り声。
そして、こちらを警戒する目。
「……あの子、怪我してたんだ」
「エリシア」
ミアが小声で言った。
「同情するのはいいけど、危険な魔物なのは変わらないわよ」
「分かってる」
エリシアは頷いた。
「でも、何だか少し気になって」
男性職員は二人のやり取りを聞きながら、資料をまとめた。
「こちらとしても、すぐに討伐を決めるつもりはない。周辺の通行を制限し、まずは追加調査を行う予定だ」
「討伐しないんですか?」
ダグラスが尋ねた。
「必要なら討伐する。ただ、負傷した個体が一頭いるだけなら、追い払う方法もある。どちらにしても、専門の冒険者に判断してもらうことになるだろう」
レオンが頷いた。
「それがいいと思います」
「今回の報告は助かった。もし現地で戦闘になっていたら、もっと厄介な事態になっていたかもしれん」
職員は五人を見回した。
「特に、撤退を選んだ判断は正しかった。覚えておけ。冒険者の仕事は、魔物を倒すことだけじゃない」
五人は頷いた。
◇
受付で報酬を受け取ると、ミアは早速硬貨を数え始めた。
「3500ユグド……確かにあるわね」
「疑ってたの?」
エリシアが笑う。
「確認は大事でしょ」
ミアは硬貨を五つに分けた。
「一人700ユグド。これで合ってるわね」
レオンが頷いた。
「うん」
ジョシュアは自分の分を受け取り、革袋へしまった。
「討伐しなくても、これだけいただけるんですね」
「情報にも価値があるってことさ」
レオンが答えた。
「今回みたいに、危険な魔物の居場所が分かれば、ギルドはほかの冒険者や商人に注意を呼びかけられるからね」
「なるほど」
ジョシュアは頷いた。
ダグラスは受付の方を振り返った。
「しかし、Dランク相当の魔物とはな」
「本当に危なかったわね」
ミアが答える。
「もしエリシアが飛び出してたら……」
「飛び出してないよ!」
エリシアが慌てて反論した。
「ちゃんと我慢したもん!」
「だから褒めてるのよ」
「そうは聞こえなかった!」
ミアは笑った。
その時、ジョシュアがふと口を開いた。
「……皆さん、少し気になったことがあるんですが」
四人が振り向く。
「どうしたの?」
レオンが尋ねた。
「岩背狼の足跡です」
ジョシュアは昨日の光景を思い返した。
「旧街道の途中で見つけた足跡は、歩幅が不規則でしたよね」
「ええ」
ミアが頷く。
「後ろ足を怪我してたなら、当然じゃない?」
「そうかもしれません。でも……」
ジョシュアは少し考えた。
「橋の近くの足跡は、途中で向きが変わっていました」
「向き?」
「はい。街道へ出ていく跡と、森の方へ戻る跡があったんです」
レオンが顎に手を当てた。
「それは、餌を探しに出たからじゃないかな」
「僕も最初はそう思いました」
ジョシュアは頷いた。
「ただ、森へ戻る方の足跡には、少し違和感があって」
「どんな?」
ミアが尋ねる。
「……足を引きずった跡が、薄くなっていた気がするんです」
四人は顔を見合わせた。
「つまり、怪我が治ってきてるってこと?」
エリシアが尋ねた。
「分かりません。見間違いかもしれませんし」
ジョシュアは答えた。
レオンは少し考えた。
「興味深いね。ただ、今ある情報だけでは判断できないかな」
「そうですね」
ジョシュアは頷いた。
ミアは腕を組んだ。
「気になるなら、報告しておいた方がいいんじゃない?」
「そうですね」
ジョシュアは受付へ戻り、足跡について追加で説明した。
受付嬢は内容を書き留め、調査担当へ伝えると約束してくれた。
それ以上、五人にできることはなかった。
◇
ギルドを出ると、夕暮れの風が頬を撫でた。
エリシアは大きく伸びをした。
「今日も疲れたー!」
「調査って、思ったより歩くのね」
ミアが答えた。
「戦闘はなかったけど、ずっと周囲を警戒していたからね」
レオンも肩を回した。
ダグラスが笑った。
「それでも、無事に戻ってこられたんだ。十分な成果だろう」
「そうだね!」
エリシアは頷いた。
五人は並んで歩き始めた。
商業区へ向かう通りでは、夕食の支度をする店から香ばしい匂いが漂っている。
ミアがふと立ち止まった。
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
エリシアが尋ねる。
「今日は少し買い物して帰ろうと思って」
「何を買うの?」
「肉」
ミアは短く答えた。
エリシアが目を丸くする。
「お肉?」
「ルイが食べたいって言ってたから。昨日は時風さんにご馳走になったけど、今日は私が買って帰ろうかなって」
彼女は革袋を軽く叩いた。
「700ユグドも稼げたしね」
レオンが微笑んだ。
「いいね」
「うん」
ミアは少し照れくさそうに笑った。
「じゃあ、私はここで」
「また明日!」
エリシアが手を振った。
「ええ。またね」
ミアは商業区の方へ歩いていった。
残った四人も、それぞれ帰路についた。
◇
ミアが家に戻ると、ルイは机に向かっていた。
紙の上に何かを書いているらしい。
「ただいま」
「あっ、姉ちゃん!」
ルイが顔を上げた。
「おかえり!」
「いい子にしてた?」
「してたよ!」
ミアは鞄を置いた。
「今日はね、ちょっといいもの買ってきたの」
「いいもの?」
ルイの耳がぴんと立つ。
ミアは包みを取り出し、食卓に置いた。
「ほら」
包みを開くと、そこには肉が入っていた。
「お肉!」
ルイが声を上げた。
「今日はこれで夕飯にするわよ」
「やった!」
ルイは椅子から飛び降り、ミアに抱きついた。
「姉ちゃん大好き!」
「はいはい」
ミアは笑いながら、弟の頭を撫でた。
「じゃあ、手伝ってくれる?」
「うん!」
ルイは元気よく頷いた。
ミアは台所へ向かい、買ってきた肉を切り始めた。
鍋を火にかけ、野菜を入れる。
しばらくすると、部屋に温かい匂いが広がった。
「姉ちゃん」
ルイが食卓から声をかけた。
「ん?」
「今日も魔物を倒したの?」
「今日は倒してないわよ」
「え?」
ルイが不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ、どうやってお金もらったの?」
「調べ物をしたの」
「調べ物?」
「そう。魔物がどこにいるかとか、どんな姿をしているかとか」
ルイは少し考えた。
「……それだけでお金もらえるの?」
「それだけって言っても、危ない場所まで行くんだからね」
ミアは鍋をかき混ぜた。
「でも、今日は戦わずに帰ってこられたから、よかったわ」
ルイは黙っていた。
しばらくして、小さく頷いた。
「……そっか」
「どうしたの?」
「ううん」
ルイは笑った。
「姉ちゃんが怪我しなくてよかった」
ミアは手を止めた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……ありがと」
彼女は再び鍋をかき混ぜた。
「ほら、もうすぐできるから、お皿を出して」
「はーい!」
◇
その夜。
王都の冒険者ギルドでは、旧街道の調査報告が整理されていた。
年配の男性職員は、ジョシュアたちが提出した手帳の写しを読んでいた。
机の上には、岩背狼に関する資料が広げられている。
「……後ろ足を引きずる個体か」
彼は呟いた。
資料には、岩背狼の生態が詳しく記されていた。
山岳地帯に生息。
単独行動が多い。
縄張り意識が強く、負傷した個体は特に警戒心が強くなる。
職員は頁をめくった。
そこには、過去の調査記録が挟まれていた。
数年前、王都北西の山麓で確認された岩背狼の記録。
その個体は、右後ろ足に深い傷を負っていた。
職員は目を細めた。
「……右後ろ足?」
彼はジョシュアたちの報告書を確認した。
そこにも、同じことが書かれている。
右後ろ足を引きずるように歩いていた。
職員はしばらく考え込んだ。
「偶然か……?」
過去の記録には、個体の識別に使える特徴が記されていた。
右耳の先端に欠け。
背中の突起の一部が折れている。
そして、右後ろ足の古傷。
職員は今回の報告書を読み直した。
耳の状態については記載がない。
背中の突起についても、詳しい形状までは確認されていない。
「……確認が必要だな」
彼は新しい用紙を取り出した。
追加調査の依頼書だった。
ただし、今度はEランク向けではない。
依頼書の上部に、Dランク以上と記入する。
職員は筆を置いた。
「同じ個体なら、少し厄介かもしれん」
彼は窓の外を見た。
夜の王都には、静かな灯りが広がっていた。
旧街道の石橋は、ここから半日ほどの距離にある。
そこに棲む岩背狼が、数年前に確認された個体と同じなのか。
答えは、まだ分からなかった。




