旧街道の足跡
第44話 旧街道の足跡
王都の西門が開かれる頃、五人はすでに門の前に集まっていた。
空は薄く晴れ、草原には朝露が残っている。
街道を行く荷馬車の車輪が石畳を鳴らし、門番たちが通行人の荷物を確認していた。
「全員、忘れ物はない?」
ミアが鞄を肩に掛け直しながら尋ねた。
「大丈夫!」
エリシアは腰の剣を軽く叩いた。
「剣もちゃんと持ってきた!」
「それを忘れたら大変だな」
ダグラスが笑う。
「食料と水も確認したよ」
レオンは鞄の留め具を確かめた。
「調査用の道具もある。あとは現地で何が見つかるかだね」
ジョシュアは地図を広げた。
「旧街道へは、西門からしばらく大通りを進んで、途中の分岐を南へ曲がるようです」
「じゃあ、出発しよう!」
エリシアが先頭に立とうとする。
「待って」
ミアがその肩を掴んだ。
「今日は私が先頭。調査依頼なんだから」
「あ、そっか」
エリシアは素直に下がった。
ミアが前を歩き、少し後ろをエリシアとダグラスが進む。
ジョシュアとレオンは地図を確認しながら、その後に続いた。
五人は王都を出発した。
◇
王都の西に広がる草原は、穏やかな風に揺れていた。
遠くには農地が見え、畑仕事をする人々の姿がある。
街道沿いには時折、小さな休憩所や井戸が設けられていた。
五人は道中、何台かの荷馬車とすれ違った。
「おはようございます!」
エリシアが声をかけると、荷馬車の御者が片手を上げた。
「おう、冒険者か!」
「はい!」
「西へ行くなら気をつけろよ。最近、変な獣が出るって話だからな!」
五人は足を止めた。
「その獣について、何かご存じですか?」
ジョシュアが尋ねた。
御者は手綱を緩めた。
「俺が見たわけじゃねえが、知り合いの商人が荷車を襲われたらしい」
「どの辺りで?」
ミアが尋ねる。
「古い石橋の近くだとよ」
レオンが地図を確認した。
「やっぱり、目撃場所はそこなんだね」
「どんな獣だったか、聞いていますか?」
ダグラスが尋ねた。
御者は少し考えた。
「灰色で、でかい犬みたいだったって話だ。だが、狼とは違うとも言ってたな」
「狼とは違う?」
エリシアが首を傾げた。
「ああ。何でも、背中が妙に盛り上がってて、走り方も変だったらしい」
レオンの表情が変わった。
「……背中が盛り上がっていた?」
「そう聞いたぜ」
御者は頷いた。
「まあ、噂だからな。どこまで本当か分からねえが」
「ありがとうございます」
ジョシュアが頭を下げた。
「おう。気をつけてな!」
御者は手綱を引き、荷馬車を走らせていった。
五人は再び歩き始めた。
「背中が盛り上がった灰色の獣……」
レオンが呟いた。
「何か心当たりがあるの?」
エリシアが尋ねる。
「いくつか候補はあるけど、まだ決めつけない方がいいと思う」
レオンは答えた。
「実際に足跡や毛を確認できれば、もう少し絞れるはずだよ」
「そうね」
ミアが頷いた。
「まずは現地調査ね」
◇
昼前。
五人は旧街道へ続く分岐に到着した。
新しい街道は、石畳が整備されている。
一方、旧街道は草に覆われ、道幅も狭くなっていた。
かつて荷馬車が通っていたらしい轍の跡が、ところどころに残っている。
「……本当に、使われてないんだね」
エリシアが呟いた。
「そうだね」
レオンが頷く。
「ただ、完全に放置されているわけでもなさそうだ」
彼は道端を指さした。
そこには、比較的新しい車輪の跡が残っていた。
「誰かが通ったんですね」
ジョシュアが言った。
「うん。少なくとも、数日以内だと思う」
ミアはしゃがみ込み、地面を調べた。
「……車輪の跡はあるけど、足跡も多いわね」
「人間のか?」
ダグラスが尋ねる。
「人間もある。でも、それ以外も」
ミアは地面の一角を指さした。
柔らかい土に、獣の足跡が残っていた。
「これ……」
エリシアが身を屈める。
「狼?」
「似てるけど、少し違う」
ミアは指先で跡の周囲をなぞった。
「爪の位置が変ね。それに、足幅が広い」
レオンも近づいた。
「確かに、灰牙狼の足跡とは違うね」
ジョシュアは地面を見つめた。
足跡は、旧街道から森の方へ続いている。
「……一体分でしょうか」
「今見えるのは、一体分だけね」
ミアが答えた。
「ただ、ほかにもいる可能性はあるわ」
ダグラスが盾を持ち直した。
「気をつけて進もう」
五人は頷いた。
◇
旧街道を進むにつれ、周囲の木々が増えていった。
道の両側には背の高い草が生い茂り、ところどころに倒木がある。
鳥の鳴き声が聞こえる。
風が枝を揺らし、木漏れ日が地面に落ちていた。
「静かだね」
エリシアが呟いた。
「そうね」
ミアは耳を動かした。
「でも、何もいないわけじゃない」
彼女は立ち止まった。
「……待って」
五人が足を止める。
「どうした?」
ダグラスが尋ねた。
ミアは地面を指さした。
「ここ、見て」
道端の草が、不自然に倒れていた。
その先には、何か重いものが通ったような跡がある。
「大きな獣が通ったのかな」
レオンが呟いた。
「たぶんね」
ミアはしゃがみ込んだ。
「それに……」
彼女は草の根元から、灰色の毛を一本摘み上げた。
「毛が落ちてる」
エリシアが覗き込む。
「これが例の魔物の?」
「まだ分からないけど、可能性は高いわ」
ミアは小袋を取り出し、毛を慎重にしまった。
レオンが頷いた。
「これだけでも、報告の材料になるね」
「足跡も測っておきましょう」
ジョシュアが言った。
彼は鞄から紐を取り出した。
ミアが見つけた足跡の長さと幅を測り、レオンが手帳へ記録する。
「前足の幅は……後ろ足より少し広いね」
レオンが呟いた。
「それに、歩幅が不規則だ」
「怪我してるのかな?」
エリシアが尋ねた。
「その可能性もあるけど、まだ何とも言えない」
レオンは手帳を閉じた。
「もう少し調べてみよう」
◇
昼過ぎ。
五人は、古い石橋へ到着した。
橋は小さな川に架かっており、石造りの欄干には苔が生えていた。
かつては荷馬車が通れるほどの幅があったようだが、今は一部が崩れかけている。
「ここが目撃場所か」
ダグラスが呟いた。
ジョシュアは地図を確認した。
「はい。商人たちが襲われたのは、この周辺のようです」
ミアは橋の手前でしゃがみ込んだ。
「……ここにも足跡がある」
エリシアが近づく。
「さっきと同じ?」
「たぶんね」
ミアは頷いた。
「でも、こっちの方が新しい」
足跡は橋の下へ続いていた。
川辺の柔らかい土には、深く爪の跡が残っている。
「……かなり大きいですね」
ジョシュアが呟いた。
レオンは周囲を見回した。
「橋の下に隠れている可能性もある。慎重に行こう」
五人は武器を構えた。
ミアが先頭に立ち、橋の下を覗き込む。
そこには、暗い空間が広がっていた。
石壁の隙間には草が生え、川の水が静かに流れている。
だが、魔物の姿は見えなかった。
「……いないわね」
ミアが呟いた。
「でも、何かある」
彼女は橋の下へ降りた。
四人も慎重に後を追う。
そこには、枯れ草や枝が集められた場所があった。
まるで、大きな獣が寝床にしていたような跡だった。
「巣……でしょうか」
ジョシュアが尋ねた。
「そうかもしれない」
レオンが答えた。
ミアは周囲を調べた。
「ここにも毛が落ちてる」
彼女は小袋を取り出し、灰色の毛を集めた。
その時。
「……待って」
ミアの耳がぴんと立った。
五人が動きを止める。
「どうした?」
ダグラスが小声で尋ねた。
ミアは橋の奥を見つめていた。
「……何か、聞こえる」
ジョシュアも耳を澄ませた。
川の流れる音。
風が草を揺らす音。
その奥から、低い音が聞こえた。
ぐるるる……。
「……唸り声?」
エリシアが呟いた。
ダグラスが盾を構えた。
「全員、下がれ」
五人はゆっくりと後退した。
暗がりの奥で、何かが動いた。
灰色の毛並み。
大きな四肢。
そして、背中に盛り上がった奇妙な突起。
「……あれが」
レオンが息を呑んだ。
獣はゆっくりと姿を現した。
狼に似た顔。
だが、身体は灰牙狼より一回り大きい。
背中には硬そうな突起が並び、前足の爪は異様に長かった。
獣は五人を見つめ、低く唸った。
「……レオン」
エリシアが小声で尋ねた。
「あれ、何?」
レオンは答えなかった。
代わりに、手帳を取り出そうとした手を止めた。
「……分からない」
彼は静かに言った。
「少なくとも、僕が知っている魔物とは違う」
ミアは短剣を握り直した。
「……どうする?」
ダグラスが盾を前に出した。
「依頼は調査だ。無理に戦う必要はない」
ジョシュアは獣を見つめた。
その動きは、どこか不自然だった。
前足に体重をかけ、後ろ足を引きずるように歩いている。
背中の突起が、呼吸に合わせて僅かに動いていた。
「……下がりましょう」
ジョシュアが言った。
「今は、戦う必要はありません」
レオンが頷いた。
「そうだね。特徴は確認できたし、証拠も集めた」
エリシアは剣を握りながら、少し迷った。
だが、すぐに頷いた。
「……分かった」
五人はゆっくりと後退した。
獣は、その場から動かなかった。
ただ、低い唸り声を上げ続けている。
やがて、五人が橋の下から離れると、獣は暗がりへ戻っていった。
◇
石橋から十分ほど離れた場所で、五人は足を止めた。
「……ふう」
エリシアが息を吐いた。
「怖かった……」
「私もよ」
ミアが答えた。
「でも、追ってこなくてよかったわ」
ダグラスは盾を下ろした。
「どうやら、巣を守っていたようだな」
「そうかもしれません」
ジョシュアが頷いた。
レオンは手帳を開いた。
「灰色の毛並み。大型の四足歩行。背中に突起。前足の爪が長い。後ろ足を引きずるような歩き方……」
彼は特徴を書き留めていった。
「これだけ情報があれば、ギルドでも調べられるはずだ」
「じゃあ、依頼は達成できそう?」
エリシアが尋ねた。
「少なくとも、調査結果は報告できる」
レオンが答えた。
「魔物の種類が特定できるかは、ギルドの判断次第だけどね」
ミアは小袋を取り出した。
「毛もあるし、足跡の記録もあるわ」
ダグラスが頷いた。
「なら、戻ろう」
五人は帰路についた。
旧街道を歩きながら、ジョシュアは一度だけ振り返った。
遠くに、古い石橋が見える。
あの暗がりには、今もあの獣がいるのだろう。
なぜ、あんな場所に住み着いたのか。
なぜ、商人たちの荷車を襲ったのか。
まだ分からないことは多い。
けれど、今はそれ以上踏み込むべきではない。
ジョシュアは前を向いた。
仲間たちが歩いている。
彼も、その後を追った。
◇
王都へ戻った頃には、日が傾き始めていた。
五人はそのまま冒険者ギルドへ向かった。
「お帰りなさいませ」
受付嬢が笑顔で迎えた。
「旧街道の調査依頼ですね。結果はいかがでしたか?」
「魔物を確認できました」
レオンが答えた。
彼は手帳を開き、調査結果を説明した。
灰色の毛並み。
背中の突起。
長い前足の爪。
不自然な歩き方。
そして、石橋の下にあった巣。
ミアは採取した毛を差し出した。
「こちらが証拠です」
「ありがとうございます」
受付嬢は小袋を受け取った。
内容を確認し、少し表情を引き締める。
「……なるほど」
彼女は手帳の記録と毛を見比べた。
「少々お待ちいただけますか?」
「はい」
レオンが答えた。
受付嬢は奥の部屋へ向かった。
五人は近くの椅子に腰を下ろした。
「……何か分かるかな」
エリシアが呟いた。
「どうだろうね」
レオンが答えた。
「少なくとも、普通の灰牙狼ではないと思う」
ミアが頷いた。
「私もそう思う」
ダグラスは腕を組んだ。
「危険な魔物でなければいいが」
ジョシュアは静かに待っていた。
しばらくして、受付嬢が戻ってきた。
その隣には、年配の男性職員が立っていた。
「お待たせしました」
受付嬢は五人を見回した。
「調査結果について、少し確認したいことがあります」
レオンが立ち上がった。
「はい」
男性職員は、小袋に入った灰色の毛を見つめていた。
「この毛を採取した場所は、石橋の下で間違いないか?」
「はい」
ミアが答えた。
「巣のような場所に落ちていました」
男性職員は頷いた。
「そうか……」
彼は少し考え込んだ。
「実は、似た特徴を持つ魔物の記録がある」
五人の表情が変わった。
「本当ですか?」
ジョシュアが尋ねた。
「ああ」
男性職員は頷いた。
「ただし、少し気になる点がある」
「気になる点?」
エリシアが聞き返す。
男性職員は手帳を開いた。
「その魔物は、本来この地域には生息していないはずなんだ」
レオンが眉を寄せた。
「……別の地域から来たということですか?」
「その可能性もある」
男性職員は答えた。
「だが、まだ断定はできない」
彼は五人を見回した。
「まずは、今回の調査結果を正式に記録させてもらう。依頼の達成については、確認が済み次第、受付から案内する」
五人は頷いた。
ジョシュアは、採取された灰色の毛を見つめた。
あの獣が何者なのか。
そして、なぜ旧街道に現れたのか。
その答えは、まだ出ていなかった。




