↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/46

勝敗を分けるもの

第32話 勝敗を分けるもの


 翌朝。


 《黄金の館》の上階では、一人の男が三冊の帳簿を見比べていた。


 ヴァルター。


 灰色の髪を丁寧に撫でつけ、黒い礼服に身を包んだ男は、窓から差し込む朝日にも目を向けず、数字を追っていた。


 昨日の収集記録。


 一昨日の収集記録。


 そして、三週間前の収集記録。


 彼の指が、ある箇所で止まる。


「……南通り、ですか」


 時計修理店の周辺。


 それまで安定して幸運を収集できていた一帯で、昨日の午前から収集量が急激に落ち込んでいた。


 同じ現象は、花屋や菓子店の周辺でも確認されている。


 奇妙なのは、全体の収集量が大きく変わっていないことだった。


 幸運を集められなくなった対象が現れる一方、別の対象からの収集量が増えている。


 装置は不足分を補うように、残された人々から幸運を集め続けていた。


「……説明してください」


 ヴァルターが顔を上げる。


 向かいに立つ技術責任者は、緊張した面持ちで答えた。


「原因は不明です。起動状態も作用範囲も、設定に変更はございません」


「故障の可能性は?」


「判断できません」


「では、収集量が減った場所に共通する特徴は?」


「それも……」


 技術責任者は言葉を濁した。


「我々が把握しているのは、収集と配分の結果だけです。装置の内部で何が起きているのかまでは分かりません」


「……そうでしたね」


 ヴァルターは小さく息を吐いた。


 《運命変換器(フォルトゥーン)》。


 幸運を集め、別の誰かへ与える遺物。


 その表向きの能力は理解している。


 だが、なぜそんなことが可能なのか。


 装置が何を基準に対象を選び、どのように幸運を移動させているのか。


 それを説明できる者はいなかった。


 技術部門が扱えるのは、起動と作用範囲の設定だけ。


 だからこそ、今回の異常は厄介だった。


「引き続き、記録を取ってください」


「承知いたしました」


「それと、フィール様にはまだ報告しないように」


 技術責任者が顔を上げる。


「……よろしいのでしょうか」


「原因も分からない段階で報告しても、余計な混乱を招くだけです」


「……かしこまりました」


 男が退出すると、ヴァルターは別の書類を取り出した。


 街の警備担当者から提出された、最近の不審者に関する報告書だった。


 数日前から、不運が続く店を訪ね歩いている冒険者たちがいる。


 若い剣士。


 魔法使い。


 獣人の少女。


 大盾を持った青年。


 そして、素性の分からない若者。


 彼らには、もう一人同行者がいた。


 昨日、その男は南通りの住民たちに、奇妙なことをしていたという。


「……幸運を祈る?」


 ヴァルターは眉をひそめた。


 報告書を読み進める。


 時計修理店。


 花屋。


 菓子店。


 運搬人。


 彼らが訪れた場所と、収集量が減少した場所。


 それが、ほとんど一致していた。


「……なるほど」


 偶然かもしれない。


 祈りなどという曖昧な行為が、遺物に影響を与えるとは考えにくい。


 しかし、偶然と切り捨てるには一致しすぎている。


 ヴァルターは机の呼び鈴を鳴らした。


 従業員が入ってくる。


「お呼びでしょうか」


「本日の午後、《黄金の館》で小規模な競技会を開催します」


「競技会、ですか?」


「ええ。参加費は無料。優勝賞金は一万ユグド」


 従業員は驚いたように顔を上げた。


「一万ユグド……かなりの金額ですが」


「構いません」


「競技内容はいかがいたしましょう」


「私が用意します」


 ヴァルターは報告書を閉じた。


「それと、こちらの冒険者たちへ招待状を」


「承知いたしました」


「参加を強制する必要はありません。興味を持っていただけるよう、丁寧にお誘いしてください」


 従業員が一礼して退出する。


 ヴァルターは窓の外を見た。


 朝の《煌めき通り》には、今日も大勢の人々が行き交っている。


「……さて」


 彼は小さく笑った。


「どのような方々なのでしょうね」


◇


「……明日には帰らないと駄目ね」


 宿の食堂。


 ミアは届いたばかりの手紙を読み終え、小さく息を吐いた。


「ルイ君から?」


 エリシアが尋ねる。


「保護院の先生からよ」


 ミアは手紙を折り畳んだ。


「ルイは元気にしてるって。ただ、宿泊の延長は明後日の朝までしか受けられないみたい」


「……明後日?」


 ジョシュアが尋ねる。


「ええ。ここから王都までの移動時間を考えると、明日の朝には出発しないと間に合わないわ」


 ミアは苦笑した。


「あの子、私がいないと夜更かしするから心配なのよね」


「それなら、今日中に調査をまとめよう」


 レオンが言った。


「マルセルさんへの報告も必要だしね」


「……でも、まだ分からないことが多いよ?」


 エリシアが不安そうに尋ねる。


「そうだね」


 レオンは頷いた。


「不運が増えていることは確かだ。でも、その原因を説明できる証拠は見つかっていない」


 ダグラスが腕を組んだ。


「昨日、時風さんが祈った人たちの様子はどうなんだ?」


「今のところ、運が良くなったように見えるわ」


 ミアが答える。


「ただ、それが本当にお祈りのおかげなのかは分からない」


「はははっ! そう難しく考えるなって!」


 時風は朝食のパンを頬張りながら笑った。


「困ってた人たちが喜んでるんだから、いいことじゃないか!」


「それはそうだけど……」


 ミアは時風を見た。


「……本当に、ただお祈りしただけなの?」


「もちろん!」


「……絶対、何か隠してるでしょ」


「秘密の祈り方でも教えようか?」


「そういう話じゃないわよ!」


 エリシアが笑った。


 ジョシュアも、つられて小さく微笑む。


 その時だった。


「失礼いたします」


 食堂の入口から、宿の従業員が声をかけてきた。


「皆様宛てに、お手紙をお預かりしております」


「……手紙?」


 ジョシュアが顔を上げる。


 差し出された封筒には、金色の星が描かれていた。


◇


「……競技会?」


 レオンが招待状を読み上げた。


『本日午後二時、《黄金の館》にて特別競技会を開催いたします。


 参加費無料。


 優勝賞金、一万ユグド。


 競技内容は、知恵と判断力を競う卓上遊戯。


 皆様のご参加を、心よりお待ちしております。』


 末尾には、丁寧な筆跡で署名があった。


 ヴァルター。


「一万ユグド!?」


 ミアの耳がぴんと立った。


「……そんなに大きい金額なんですか?」


 ジョシュアが尋ねる。


「大きいなんてもんじゃないわよ!」


 ミアは身を乗り出した。


「参加費無料で一万ユグドなんて、普通はあり得ないわ!」


「すごい!」


 エリシアが目を輝かせる。


「じゃあ、参加しようよ!」


「待って」


 レオンが招待状を見つめた。


「気になることがある」


「何?」


「僕たちは昨日、《黄金の館》に行った。そして今日は、わざわざ宿まで招待状が届いている」


 ダグラスが頷く。


「俺たちに参加してほしい理由があるのかもしれないな」


「……この人、誰なんでしょう?」


 ジョシュアが署名を指さした。


「ヴァルター……か」


 レオンが名前を読み上げる。


「《黄金の館》の関係者だろうね。こんな催しを開けるくらいだから、相応の立場にいる人だと思う」


「……そうですね」


 ジョシュアは少し考えた。


「……それなら、街で起きていることについて、何か知っているかもしれません」


「可能性はあるね」


 レオンが頷く。


「少なくとも、話を聞いてみる価値はありそうだ」


「でも、相手が何を考えてるか分からないわよ?」


 ミアが言った。


「それなら、なおさら慎重に行動しよう」


 ダグラスが答える。


「正式な催しなら、人目もある。何かあれば、すぐに引き上げればいい」


「……そうね」


 ミアは頷いた。


「ただし、参加費が無料でも、別の賭けに誘われたら断ること。いい?」


「はーい!」


 エリシアが元気よく返事をした。


「……あなたが一番心配なのよ」


「えへへ」


 時風は楽しそうに笑っていた。


「いいねえ! 面白そうじゃないか!」


「時風さんも参加するの?」


「俺は見学にしとくよ」


「えー!」


「若い奴らの活躍を見るのも楽しいからな!」


 時風はそう言って、残っていたパンを口に放り込んだ。


◇


 午後二時。


 《黄金の館》の一角には、特設の競技場が設けられていた。


 中央には円形の卓。


 その周囲を、観客席が取り囲んでいる。


 天井から吊るされた照明が、磨き上げられた床を照らしていた。


「……すごい」


 エリシアが周囲を見回す。


「昨日より人が多い!」


「賞金が一万ユグドだからね」


 レオンが答えた。


 参加者には商人らしい男や旅装束の女性、高価な服を着た青年などがいた。


 明らかに賭場慣れした様子の老人もいる。


「……強そうな人が多いわね」


 ミアが呟く。


「大丈夫!」


 エリシアは胸を張った。


「頭を使う勝負なら、レオンがいるし!」


「僕に全部押しつけるつもり?」


「えへへ」


 レオンは苦笑した。


 その時だった。


「皆様、お待たせいたしました」


 落ち着いた声が響いた。


 卓の向こうから、一人の男が現れる。


 黒い礼服。


 胸元には、金色の星を模した装飾。


 整えられた灰色の髪。


 男は観客へ向かって、優雅に一礼した。


「本日の進行を務めます、ヴァルターと申します」


 拍手が起こった。


「このたびは、私どもの競技会へお越しいただき、誠にありがとうございます」


 エリシアが小声で呟く。


「あの人が招待状の……」


「そうみたいだね」


 レオンが頷いた。


 ヴァルターは微笑みながら、卓の上に小さな木箱を置いた。


「今回の競技は、単純な運だけでは勝てません」


 箱の蓋が開かれる。


 中には、白い石が並んでいた。


「必要なのは、相手の考えを読み、自らの選択を決める力」


 ヴァルターは石を一つ摘まみ上げた。


「競技名は、《最後の一石》」


 係員が、卓の上に二十一個の石を並べた。


「ルールは簡単です」


 ヴァルターは指を一本立てる。


「二人で交互に石を取ります。一度に取れる数は一個から三個まで。取った石を戻すことはできません」


 続いて、石を一個だけ残して他を脇へ寄せた。


「そして、最後の一個を取った者が敗北となります」


 観客席がざわめいた。


「……最後を取ったら負け?」


 エリシアが首を傾げる。


「そういうことみたいだね」


 レオンが答えた。


「先手と後手は、対局ごとに抽選で決定します。対局中の相談は禁止。制限時間内に石を取らなかった場合も敗北です」


 ヴァルターは微笑んだ。


「勝者は次の対局へ進み、最後まで勝ち残った方が優勝となります」


「……簡単そう」


 エリシアが呟く。


「簡単な遊びほど、奥が深いものですよ」


 ヴァルターは穏やかに答えた。


「どうぞ、皆様。存分にお楽しみください」


◇


 最初の対局が始まった。


 商人風の男と、旅装束の女性。


 先手は商人だった。


「三個」


 商人が石を取る。


 残り十八個。


「二個」


 女性が取る。


 残り十六個。


「……三個」


 商人が取る。


 残り十三個。


 女性は一個取った。


 残り十二個。


 商人は三個。


 残り九個。


 女性は一個。


 残り八個。


 商人は三個。


 残り五個。


 女性は一個。


 残り四個。


 商人は三個。


 残り一個。


「……あ」


 女性の顔が青ざめた。


 取れる石は、最後の一個だけ。


「……負け、ですね」


 女性は小さく呟き、その石を取った。


「勝者、先手!」


 係員が宣言した。


 拍手が起こる。


 エリシアは首を傾げた。


「……あれ?」


「どうしたの?」


 ミアが尋ねる。


「何か、最後だけ急に決まった気がして」


 レオンは卓を見つめていた。


「……なるほど」


「分かったの?」


「少しだけね」


 レオンは指を折り始めた。


「最後の一個を相手に渡せば勝ち。つまり、自分の番が終わった時点で一個残せればいい」


「うん」


「その一つ前を考えると……」


 レオンは小さく呟いた。


「五個、九個、十三個……」


 ジョシュアが顔を上げた。


「……四個ずつ?」


「そう」


 レオンは微笑んだ。


「五個残っている状態で自分の番が来ると、何個取っても相手に一個から三個残る。相手は一個残すように取れるから、こちらが負ける」


 エリシアが首を傾げる。


「……つまり?」


「一個、五個、九個、十三個、十七個、二十一個」


 レオンは卓の石を指さした。


「この数で自分の番が来ると、相手が間違えない限り勝てない」


「えっ!?」


 エリシアが驚いた。


「じゃあ、最初から二十一個って……」


「先手が不利だね」


 レオンは頷いた。


「後手が正しく対応すれば、必ず勝てる」


 ミアが眉をひそめた。


「それ、先手になったらどうするの?」


「相手が間違えるのを待つしかない」


「……そんな」


 ダグラスが腕を組んだ。


「運だけでは勝てないと言っていたが、先手と後手を決める抽選は重要なんだな」


「そういうことだね」


 レオンは頷いた。


 ジョシュアは卓を見つめていた。


 二十一個の石。


 最後を取った者が負け。


 相手が正しく打てば、先手は勝てない。


「……でも」


 ジョシュアが小さく呟く。


「……相手が、間違えたら」


 レオンが振り向いた。


「そう。そこが勝負になる」


◇


 対局は次々と進んだ。


 エリシアは初戦で先手を引き、あっさり敗北した。


「うわああっ!」


 卓に突っ伏す。


「何もできなかった!」


「相手が間違えなかったからね」


 レオンが苦笑する。


「くやしい!」


 ダグラスも先手を引いた。


 途中まで粘ったものの、相手が正確に石を取り続け、敗北。


 ミアは後手を引き、危なげなく勝利した。


「……なるほどね」


 ミアは残った石を見つめた。


「一個取られたら三個。二個取られたら二個。三個取られたら一個」


「そういうこと」


 レオンが頷く。


「相手と自分で、合計四個ずつ取ればいい」


 ミアは少し得意そうに笑った。


「これなら覚えられるわ」


 レオン自身も後手を引き、勝利した。


 そして。


「次の対局!」


 係員が声を上げた。


「ジョシュア様、前へ!」


 ジョシュアはゆっくり立ち上がった。


「……はい」


 対戦相手は、賭場慣れした様子の老人だった。


 老人はジョシュアを見るなり、小さく笑った。


「若いの。こういう遊びは初めてか?」


「……はい」


「そうかそうか」


 老人は楽しそうに頷いた。


「なら、少し教えてやろう」


 係員が抽選箱を差し出す。


 老人が札を引く。


 そこには、後手と書かれていた。


「……ほう」


 老人の口元が緩む。


 ジョシュアは先手。


 卓には、二十一個の石。


「それでは、始めてください」


 係員が宣言した。


 ジョシュアは石を見つめた。


 しばらく考える。


 そして、一個取った。


 残り二十個。


 老人は三個取る。


 残り十七個。


 ジョシュアは二個取った。


 残り十五個。


 老人は二個取る。


 残り十三個。


 そこまでは、予想通りだった。


 老人は微笑んだ。


「悪いが、勝負はもう決まっているぞ」


「……そうですね」


 ジョシュアは頷いた。


 そして、石を一個取った。


 残り十二個。


 老人は三個取る。


 残り九個。


 ジョシュアは二個取った。


 残り七個。


 老人は二個取る。


 残り五個。


 ジョシュアは一個取った。


 残り四個。


 老人は三個取った。


 残り一個。


「……終わりだな」


 老人が笑う。


 ジョシュアは最後の石を見つめた。


「……はい」


 そして、その一個を取った。


「勝者、後手!」


 拍手が起こる。


 ジョシュアは静かに席を立った。


「……ありがとうございました」


「礼儀正しい若者だ」


 老人は満足そうに笑った。


 観客席へ戻ると、エリシアが駆け寄ってきた。


「惜しかったね!」


「……うん」


「でも、途中まですごく頑張ってた!」


「……ありがとう」


 レオンは少し不思議そうに尋ねた。


「ジョシュア。途中で、勝てないことには気づいていたよね?」


「……うん」


「なら、どうして最後まで同じように取ったんだい?」


 ジョシュアは少し考えた。


「……相手が、どう取るのか見たかったから」


「……なるほど」


 レオンは頷いた。


「相手が間違えないか、確かめていたんだね」


「……うん」


 ジョシュアは卓を見つめた。


 勝てない勝負だった。


 少なくとも、相手が正しく打ち続ける限り。


 それでも、最後まで考えることはできる。


 相手の選択を見て、次を予測することはできる。


 そのことが、少しだけ面白かった。


◇


 競技会が進むにつれ、会場の空気が変わっていった。


 後手が圧倒的に有利。


 その事実に気づいた参加者たちは、抽選結果に一喜一憂するようになった。


 先手を引いた者は落胆し、後手を引いた者は安堵する。


 だが、全員が正しく打てるわけではなかった。


 焦って石を取りすぎる者。


 残りの数を数え間違える者。


 勝ちを急いで、最後の一個を取ってしまう者。


 そうした小さな失敗が、時折、勝敗をひっくり返した。


 ミアは二回戦で敗れた。


 後手だったにもかかわらず、途中で一個多く取ってしまったのだ。


「……やっちゃった」


 ミアは額を押さえた。


「残りの数、ちゃんと数えてたつもりなのに……」


「惜しかったね」


 レオンが慰める。


「……あなたは勝ってるから余裕ね」


「いや、そんなことは……」


「あるでしょ」


 ミアは頬を膨らませた。


 そのレオンも、次の対局で先手を引き、敗北した。


 こうして、五人全員が競技から脱落した。


「……結局、誰も優勝できなかったね」


 エリシアが苦笑する。


「まあ、そう簡単にはいかないさ」


 ダグラスが答えた。


 その時だった。


「皆様、お疲れ様でございました」


 ヴァルターが近づいてきた。


 彼は五人へ向かって、丁寧に一礼した。


「いかがでしたか? 今回の競技は」


「面白かったです!」


 エリシアが答える。


「でも、先手が不利すぎませんか?」


「おや」


 ヴァルターは微笑んだ。


「お気づきになりましたか」


「レオンが教えてくれたんです!」


「なるほど」


 ヴァルターはレオンへ視線を向けた。


「優秀でいらっしゃる」


「いえ、単純な規則ですから」


 レオンは軽く頭を下げた。


「ただ、最初から先手が不利なことを承知で競技を開いたのは、少し意地が悪いですね」


 ヴァルターは小さく笑った。


「その通りです」


「……認めるんですか?」


 ミアが驚く。


「ええ」


 ヴァルターは頷いた。


「この遊戯では、最初の抽選が大きな意味を持ちます。しかし、抽選で後手を得たからといって、必ず勝てるとは限らない」


 彼は卓へ視線を向けた。


「有利な立場を与えられても、それを生かせなければ敗北する。逆に、不利な立場でも、相手の失敗によって勝機が生まれる」


 ジョシュアは黙って聞いていた。


「……まるで、人生のようでしょう?」


 ヴァルターが微笑む。


 エリシアは首を傾げた。


「……そうですか?」


「ええ」


 ヴァルターは静かに続けた。


「幸運に恵まれる者もいれば、不運に見舞われる者もいる。それでも、最後に結果を決めるのは本人の選択です」


 その言葉に、ジョシュアは顔を上げた。


「……でも」


「はい?」


「……最初から、勝てない場合もありますよね」


 ヴァルターの笑みが、わずかに止まった。


「……と、おっしゃいますと?」


「……相手が間違えなければ、先手は勝てません」


 ジョシュアは静かに言った。


「……どれだけ考えても、どれだけ頑張っても」


 レオンが小さく頷いた。


「確かに、完全に正しい手を選び続ける相手には、先手の勝ち筋がありません」


 ヴァルターは二人を見つめた。


 それから、ゆっくりと笑った。


「……おっしゃる通りです」


 彼は手袋を直した。


「ですが、それでも人は勝負をする」


「……はい」


「なぜでしょう?」


 ジョシュアは少し考えた。


「……分かりません」


「そうですか」


 ヴァルターは穏やかに頷いた。


「では、いつか答えが見つかるとよろしいですね」


 そして、五人へ一礼した。


「本日はご参加いただき、ありがとうございました」


◇


 競技会が終わった後。


 ジョシュアたちは《黄金の館》を出ようとしていた。


「……何だか、変な人だったね」


 エリシアが呟く。


「ヴァルターさん?」


 レオンが尋ねる。


「うん。ずっと笑ってたけど、何考えてるのか分からなかった」


「……同感だね」


 レオンは頷いた。


 ミアが腕を組む。


「それに、あの競技会。何だか私たちを見ていたような気がするのよね」


「考えすぎじゃないか?」


 ダグラスが尋ねる。


「そうかもしれないけど……」


 ミアは首を傾げた。


 ジョシュアは振り返った。


 《黄金の館》の奥。


 金色の装飾が施された階段。


 その上階へ続く通路。


 昨日、フィールが従業員に呼ばれて向かった場所。


「……フィールさん」


 ジョシュアが小さく呟く。


「ん?」


 エリシアが振り向いた。


「どうしたの?」


「……今日は、いないんですね」


「ああ、そういえば!」


 エリシアが周囲を見回す。


「昨日は一緒に遊んだのにね」


「忙しいんじゃないかな」


 レオンが答えた。


「従業員の人たちも、ずいぶん気を遣っていたし」


「……そうだね」


 ジョシュアは頷いた。


 その時。


「おーい!」


 聞き慣れた声が響いた。


 時風だった。


 彼は入口近くの柱にもたれ、楽しそうに手を振っていた。


「終わったかー?」


「時風さん!」


 エリシアが駆け寄る。


「見てた!?」


「もちろん!」


「私、すぐ負けちゃった!」


「はははっ! 見事な負けっぷりだったな!」


「そこは慰めてよ!」


 時風は大笑いした。


 ミアがため息をつく。


「……もう、帰りましょう」


「そうだな!」


 時風は頷いた。


「明日は王都へ戻るんだろ?」


「ええ。朝一番で出るつもり」


「なら、今日は早めに休まないとな!」


 六人は《黄金の館》を後にした。


◇


 上階の執務室。


 ヴァルターは、窓の外を眺めていた。


 大通りを歩く六人の姿が、人混みの中へ消えていく。


 その背中を見送りながら、彼は机の上の報告書を開いた。


 時計修理店。


 花屋。


 菓子店。


 そして、幸運を祈る男。


 報告書に記された特徴と、先ほど見かけた年長の同行者の姿が重なる。


「……あの方ですか」


 ヴァルターは小さく呟いた。


 競技会の間、男は一度も参加しなかった。


 観客席で笑い、時折拍手を送り、周囲の者と談笑していただけ。


 不審な行動は何もなかった。


 それが、かえって気にかかった。


 ヴァルターは呼び鈴を鳴らした。


 従業員が入ってくる。


「お呼びでしょうか」


「先ほどの冒険者たちについて、引き続き調査を」


「承知いたしました」


「特に、同行している年長の男性を重点的に」


 従業員は頭を下げた。


「かしこまりました」


「それから、南通りの収集記録をもう一度確認してください。昨日の訪問時刻と照合したい」


「承知いたしました」


 従業員が退出する。


 ヴァルターは椅子に腰掛けた。


「……さて」


 彼は静かに笑った。


「どこまで、ご存じなのでしょうね」


 その頃、地下では《運命変換器(フォルトゥーン)》が回り続けていた。


 幸運を収集できない対象は、昨日よりも増えている。


 その分、残された人々からの収集量は、さらに増加していた。


 誰かが救われる一方で。


 別の誰かが、理由も分からない不運に見舞われている。


 それでも、装置は止まらない。


 与えるべき幸運を集めるために。


 ただ、動き続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。